うーさんの訓練は
肢体不自由、脳性麻痺専門の総合的な医療療育施設
他県からの外来者もいて診察までの待ち時間、
診察に要する時間もかなり充実していてたっぷりな時間がかかった。
病弱な子供を抱えての診察は楽なものではありませんでした
それでも先生はうーさんの体をを動かし。すべての角度から丁寧に
診察をし治療の方向を探していく
これからどんなことになるだろう。希望、混乱、体力 あらゆることが
頭の中でグルグル回ってしまいました。
車もない時代なので、子供をおんぶし荷物を持ちバスを乗り継ぎ
自宅に帰ると発熱この繰り返しでした。でも
私の頭の中に全力で訓練すれば首も座りある程度、回復できるのでは?
淡い夢を持っていました。
うーさん生後11ケ月 親子で2ケ月間の母子入院
この施設では脳性麻痺の機能訓練は3歳から始めていたそうです。
ある程度の理解力も必要なので今まで貫いてきたとのこと
この度超早期発見、超早期治療が必要であるとうたわれ、うーさんはその第1号だったのです。
お医者さんやリハビリの先生の期待は大きかったと思います。
施設上げての新しい方針に職員の皆様は本当に張り切っていました。
まず、母子入院とは5組の親子
治療のため、訓練の大切さ、療育、社会生活の中での
母親教育、家族も含め進んでいくための教育でした。
この子の麻痺している体について、綿密な検査が終え
その後、ボバース法による運動機能訓練法が示された
当面初歩的なもので子供の状態に合わせた訓練が始まる
毎日午前午後すべて訓練 夜は自主訓練
子供が寝てから母親教育各担当の教育、なぜ訓練?家庭生活は訓練一筋、社会福祉制度など等どんなサービスがあるか?装具について、まひの状態に合わせ機能がより良好な方向へ行くために、装具を作る。我が家はバギー車移動手段に使う等
先生方は専門のお話をしてくださいました。
当時学校は就学猶予、もちろん幼児教育もなくすべてが家族の頑張りでした。
お盆もお正月も今は訓練です、それがお医者さんのご指導でした。
2ケ月が過ぎても、うーさんは進歩がみられませんでいた。首は座らず腹這いもできず何をしても無反応、体は蒟蒻のようにこたこた。回りの方たちはある程度進歩があり喜んで退院しました
先生はリハビリの先生と共に、うーさんを診察するたびに、本当に麻痺が強く障害が重いと嘆いているのでした。
母子入院が終えて外来には2週に一度、全力で頑張ってもなんの結果も見られません
外来へ行くと先生にこの2週間何をして過ごしてましたか?
つらい、うーさんは相変わらず無反応、眼だけがきれいでした。どんなにつらく、悲しんでも、どうにもできず、この現実から逃げることはできず訓練を続けなければならないのでした。。
救われたのは長女と次女、そしてうーさんの父親と義母 娘たちは3歳と8歳
私が落ち込んでいると「お母さん私達協力するからお母さん頑張って」両ひざにつかまり私をはげましてくれました。はっとわれに返りこの子たちのためにも頑張らねば。そう思う私がいました。