少し前へ!

歩いてきた道をもう少し前へ

記録12 学校へ行かせたい

2022年10月14日 | うさちゃん

小学入学の壁

就学猶予 どんなに障害が重くとも学校だけは行かせたい

     これは親の願い、うーさんの思いはわからないけど

子供にあった学校が欲しい 楽しいこと集団教育の楽しさ

私達親子3組(同じ障害を持つ子の親)、子供を連れて県庁の知事さんまで

何度お願いに行ったことか、子供を連れて行くので

知事さんはいつも私たちをはげましてくださいました

そんな中、国は重度障碍児も入れる、養護学校義務化を制定されたのです

宮城県でも同時開校になりました。

うーさん入学1年前の年でした(昭和54年4月)からです

うーさんより私たちの喜びは大変なものでした。

けれども一緒に頑張ってくれた中学以上の方たちは学校には入れません

就学猶予(年齢超過というためです)

そこでディサービスを(手作り)無認可で始まりこれも仙台で初めてのこと

現在は法人化され様々なサービスを提供されています(就学猶予された方々は

この無認可デイサービスへ通ったのです)

うーさんたちは恵まれ小、中、高無事卒業することができましたが

就学猶予の方たちはその後特別訪問編入入学という形で希望する方は

全員学校教育を受けられています。又33年かかりで高校への入学もかなえました

当時、就学猶予をされてこられた方たちは60歳にして初めて学校へはいれたと

お母様たちは涙して喜んでいました。

今障碍を持っても支援サービスが充実しております。

うーさんたちの時代はすべて親の介助が当たり前でしたから

親たちは本当によく頑張りました。

振り返ってみれば昭和60年ころから?、支援サービスが普及され私たちも

ショウとシテイ入浴サービス等サービスを使うようになってきました.。

 

 

 

 

 


記録11うーさん入る小学校がない

2022年10月14日 | うさちゃん

うーさんの笑いは徐々に多くなってきましたしかし寝返りも

首のすわりも、運動機能面は厳しい

頑張っているお友達はそれぞれ進歩しているのに

うーさんだけは特別進歩がない

訓練量も決して少ないわけではないのに

これが重度障碍者なのか?

この先一体どうなるでしょう

でも訓練は休むわけにはいかない

刺激を与え喜びを持ちながら

うーさん一人に合わせた

訓練と生活をさせていかねばと

自分に言い聞かせながら暮らすのである

そんな時就学の問題が出てきた

就学猶予、超重度の子供は全員就学猶予

我が子も就学猶予、自宅で9年間?

学校へは入れないんだ。重度障害の子は学校へ行けないんだ

どこへ行けばよいの、

思い悩み悲しい思いは尽きませんでした

せめて学校へ行かせたいそれが親の願いでした

当時まだ重度障碍者の学校はなかったのです

政治家の中には国の役に立たない子供に国のお金をかけることは

できないという時代でしたから

でも健康な子供に生まれてきたかった子供のために

何とか、、との思いは消えませんでした

知的障害、肢体不自由児学級、等は全県で1個あるか

うーさんのいく道には何もない