2年生から寄宿舎へ
母と共に通った船岡支援学校
うさちゃんにとって又新たな生活が始まる。寄宿舎は
全県下から入学を希望する方々が集まるところで主に肢体不自由の方たちのための学校でした
養護学校が義務化になりこの地域の重複障害を持つ子供たちはこの学校に入学となりました
全校生徒(1年~3年)の重複障害を持つA組は特別学級でした(宇=さん)もその一人です
寄宿舎にはこんなに障害の重い生徒は初めてということで1年間の生活を見て
寄宿舎での話し合いは何とか対応できそう?とのことで受けていただいたとのことでした。
受け入れていただいても、うーさんの介助はかなり大変なので
私はいつ「もうお母さんと通学してください」のお話があるかもしれないと覚悟をしていました.。
そんな不安をよそにうーさんは寄宿舎生活をしながら通学していました
同じ部屋には(小、中,高)の5人で毎日体が不自由ながら
身支度、食事、通学と頑張っている同室の方たちを見ながら、
皆体が不自由なのに頑張って暮らしている,一番年上の自分は何にもできない
自分でも頑張れることが、、、考えて考えて到達したのは電動車いすの練習ならで切るかもしれない
母を説得せねばならない
それで担任の先生に電動車椅子の練習をさせてくださいと
先生は私に話してくれました
「母を説得してください」とお願いされたそうです。
私は今こんなに楽しく心豊かに学校生活を楽しんでいる
たとえ電動車椅子の練習を使えるまでには(何十年かかるか分からない障害の重さから)
今は充分学校を楽しんでほしい、高校卒業したら毎日たくとう医療センターへ
通い練習を頑張ろうと先生に伝えるのでした。しかし先生はうーさんに何度説得されたか
そのたびに先生は私に話すのでした
私はこんなに先生にご心配をかけてもと 医師の診断がなければ練習はできないので
診察だけでも行きましょうとうーさんに伝えてもらいました
この話を聞いてうーさんは大喜び声を出して喜しかしした
(お医者さんは無理との返事を出されてくると私は思っていました)
oisyasannha
あっても