小学入学の壁
就学猶予 どんなに障害が重くとも学校だけは行かせたい
これは親の願い、うーさんの思いはわからないけど
子供にあった学校が欲しい 楽しいこと集団教育の楽しさ
私達親子3組(同じ障害を持つ子の親)、子供を連れて県庁の知事さんまで
何度お願いに行ったことか、子供を連れて行くので
知事さんはいつも私たちをはげましてくださいました
そんな中、国は重度障碍児も入れる、養護学校義務化を制定されたのです
宮城県でも同時開校になりました。
うーさん入学1年前の年でした(昭和54年4月)からです
うーさんより私たちの喜びは大変なものでした。
けれども一緒に頑張ってくれた中学以上の方たちは学校には入れません
就学猶予(年齢超過というためです)
そこでディサービスを(手作り)無認可で始まりこれも仙台で初めてのこと
現在は法人化され様々なサービスを提供されています(就学猶予された方々は
この無認可デイサービスへ通ったのです)
うーさんたちは恵まれ小、中、高無事卒業することができましたが
就学猶予の方たちはその後特別訪問編入入学という形で希望する方は
全員学校教育を受けられています。又33年かかりで高校への入学もかなえました
当時、就学猶予をされてこられた方たちは60歳にして初めて学校へはいれたと
お母様たちは涙して喜んでいました。
今障碍を持っても支援サービスが充実しております。
うーさんたちの時代はすべて親の介助が当たり前でしたから
親たちは本当によく頑張りました。
振り返ってみれば昭和60年ころから?、支援サービスが普及され私たちも
ショウとシテイ入浴サービス等サービスを使うようになってきました.。