今は、いろいろな楽しい方々との出会いを楽しむ桂川ですが、最初にここにたどり着くのは大変でした。現在は、小畑川沿いで4km下り、新川端病院で右に曲がり4kmで羽束師橋に着きます。道も広いし、走りやすい。しかし、最初はそんな事わからないので、大変な思いをしました。今回はそのお話。
その日は令和元年十二月十六日です。もうすぐ、こどもの国マラソンデビューをするので気合付けに、どこまで走れるか桂川までいってみよ。と、軽い気持ちでチャレンジしました。チャレンジは良いことです。いつもと違うチャレンジをする事で、”いつもの事”の値打ちが再確認できます。十二月中旬位になると、流石に5kmぐらいは連続で走れる様になっています。こどもの国向けに。だんだんと力が伸びていたので、桂川の距離感や、そこまで行ったら帰り道がある事を考えずに走り出しました。
小畑川を2kmほど降ると、善峰道に交差します。結構立派な道なので、まっすぐ行けば桂川まで行けるかな?と思い左折。しばらくゆくと、あらら、細い道になってしまった。分岐。太い方へ、しばらくすると阪急西向日駅。東向いて走っているのに西向こうとは、何とも面白くありません。オマケに阪急さんが道を分断してしまっているので、蟻の行列にいたずらで石を置いたりした時の様に南に行こうか、北にゆこうか迷ったりします。この時、南に解決を求めていたなら、今日のボログはありません。北に行きました。近道になります。と、その時は思いました、とんでもない遠回りなのですが、、。
北に行き、阪急線路を超えれると、番田道、と言う東向きの道を見つけました。次はJRの線路です。これもそのまま越えれそう。細いけど。さらに次、新幹線もOK。なかなか、行けます。次、東名高速もOK。このまま桂川か?と思っていたら、東名高速の下を潜って道は途切れてしまいました。ずっと向こうまで一面田んぼ。京都市にこれだけ田んぼがあるのかと言うぐらい田んぼ。桂川はどこに行ったのだ?ロプノールを探したヘディンの心境です。実は、この辺が桂川が西に蛇行しているため、一番遠いのです。それでも、東向きにゆく道を探して、畦道みたいなとこを走りました。500mほど先に川。”おっ、ついに着いた?”その向こうに住宅街。ちょっと桂川にしては細いですが、その時にはまだ走って桂川に出ていませんので多少の期待。
案の定、桂川な訳がありません。ガックリです。この時、だいぶ苦しく(8kmぐらい?)で迷路の様な住宅街を右に左に進みます。先の見えない、この様な走りほど疲れるものはありません。昨今の事情と同じですね。GAMINのGPSで当時の経路を辿ると、桂川を渡るまでに10km使っています。迷路を4kmは探しつつ、進んだ感じです。下町の工場を沢山見つけました。皆さん、師走の忙しい時で一生懸命頑張っておられます。呑気にこんなとこ走っているのは私ぐらいです。今は、さらに厳しい環境かと。新型コロナ禍をなんとか凌いでくださる様、願っています。
写真は、その時の帰りの桂橋です。12月、あっと言う間に日が落ちました。さらに9号線まで行き、クタクタになりながら帰ったら、初めて20km以上を経験した日にもなりました。一昨日のダム湖一周の3倍は疲れた感じです。それでも、初めての桂川、初めての20kmは記念に残る日となりました。これで、自信付けて?子供の国4.2kmにチャレンジします。
河わたる ものの例えは かずあれど 我が営みに 迷いなきかな あやパパ
河わたる ものの例えは かずあれど 我が営みに 迷いなきかな あやパパ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/94/29a007d40f1fd288cc7283156cc54532.png)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます