明日深夜、NASAが超重大・緊急記者会見!! 「植民惑星」「地球外生命体」発見の歴史的1日になる可能性ガチで高い、物理学者予想 tocana.jp/2017/02/post_1… @DailyTocanaさんから
— ISAMI AKASAKA (@ADGIWAZOKU) 2017年2月23日 - 01:56
途中入社してのCM企画はキリンさんのトマトジュースでした。
プレゼンの企画を早朝のTBSでのモーニングショーの立会いの後、他の作業とともにプレゼン企画を毎日先輩に出すのです。帰りの車内、家での作業 毎日提案しますがどれも駄目。このCMの演出をなさったのが、今は亡き里見ディレクターでした。その後里見さんともいろいろな企画や賞を頂きました。当時のN先輩とはその後、他のプロジェクトでもやらせて頂きましたが、そのプロデユーサーとしての手腕は本当に学ばせて頂きました。もう一人の先輩は、M製菓様の商品ネーミングや企画で共に凌ぎを削ったS先輩、企画の粘りには驚きました事を思いだします。N先輩は、とことんスタッフを追い込みますが、プレゼンでクライアントが一番良い案を否定しますと、そこから説教がはじまったのです。隣でHCDが諌めますが、笑っている。こんな凄い方々のお陰で
自分も「正論」で仕事をさせて頂いたと感謝しております。意固地ですから多くの上司を困らせた次第です。
トマトでこんな表現もある。
トマトでこんな表現もある。キュウリに茄子の表現 カットされた部分はレシピ本でしょうか、、。KENWOODの料理カッターの広告表現、ドバイJWTの広告です。
🎶でんでん蒸し蒸しカタツムリ🎶 兎に角を「ウサギニツノ」と読んだ私ですから言えません。
— ISAMI AKASAKA (@ADGIWAZOKU) 2017年2月22日 - 00:33
安倍首相が国会答弁で「云々」を「でんでん」と読み大恥! 他にも中学生並みの言い間違い連発、その理由とは? lite-ra.com/2017/01/post-2… @litera_webさんから
バナナは野菜か果物か?(1) goo.gl/uq3dQo
— ISAMI AKASAKA (@ADGIWAZOKU) 2017年2月22日 - 20:47
(http://drhaniwa.tumblr.com/post/111415143/%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%8A%E3%81%8C%E4%BF%BA%E3%82%92%E5%91%BC%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%82%8B-via-pocopokoさせて頂きました。)
コピーY氏、アートS氏 今では共に重鎮です。
当時のテレビCMよりも良いですね。
CR現場在職中 バナナのCMをプレゼンした事がありました。
それもバナナ 各社の組合 「バナナ輸入組合」挙句に競合プレゼンでした。
日本語と英語 プレゼンです。外国語の場合作業は2倍かかります。
クライアントの人数も多く、砂防会館でやったのを覚えてます。
日本語プレゼンは若手のホープ Yさんにお願いして私は英語でやりました。
営業のK氏も英語がペラペラ、マーケもペラペラ、で私はブロークンですから、深夜帰宅の際
運転手さんに「ちょっと煩いかもしれませんが許して下さい。」と英語プレゼンの凡その暗記でした。傍迷惑な客でした。
「バナナの叩き売り」の時代から今では物価上昇の事もあり、少々高くなった様にも感じます。
チキータは電通賞やギャラクシー賞も受賞しているんですね。
ドールの5秒CMもなかなかのアイディアです。
随分とお洒落なったバナナは、プレゼン打ち合わせで当時のCDが「バナナは野菜か?果物か?」と言ったことを思い出しました。
どっちなんだろう?調べてみますと、
「草として生えて実をつけるのが「野菜」、木になるのが「果物」だと言えます。
この定義で言えばトマトは「果物」、スイカやイチゴは「野菜」に分類されることになります。
さて、肝心のバナナはどうでしょうか。
高さが数mもあり「バナナの木」と言われますが、実際は草本なので「野菜」に分類されます。
しかし、どれも確固たる定義ではなく、果実は生産上の統計を取る上で果物として分類しています。スイカやイチゴ・バナナなどは分類上は野菜ですが、果実的な利用をされることが多いため、果実的野菜として扱われています。「バナナは野菜か果物か」という問いには生産分野では「野菜」と答えることができます。
(http://banana-calorie-eiyou-kounou.biz/entry9.html バナナは野菜か果物か?から一部引用させて頂きました。)
注意!モンスター化する「自分大好き」な人たち : 読売新聞
— ISAMI AKASAKA (@ADGIWAZOKU) 2017年2月21日 - 09:30
yomiuri.co.jp/fukayomi/ichir…
『気をつけよう。自己愛の背伸び強か、自画自賛‼️」
広告表現「その1東国の踠」 goo.gl/4SU6I1
— ISAMI AKASAKA (@ADGIWAZOKU) 2017年2月21日 - 20:46
主要活断層、16追加…全国計113か所に : 読売新聞
— ISAMI AKASAKA (@ADGIWAZOKU) 2017年2月21日 - 23:01
yomiuri.co.jp/science/201702…
クリエーティブの現場局は12年もありませんでした。そのあとも色々と企画戦略やコピーそれにデジタルアーカイブの開発やデジタルツール開発もやらせて頂きました。後半は強いて言えば研究開発させて頂いたNAC(現ナックイメージテクノロジー)の中嶋社長や先輩達のお陰だと思っております。
広告を欧米から学び、カンヌやニューヨークADC IBAにクリオ賞など多くの作品が受賞しました。特にクリオアワードは日本国内でも受賞パーティをしてくれました。クライアント様の「代わりにもらって来てよ」と言われ恥ずかしながら登壇したこともありました。
クリオも40年を迎えたんですね。今も多くの海外の賞は受賞しておりますが、広告表現が点になってしまった感は誰もが思っていることだと思います。
広告屋として誰もが「犬のお父さんを連れて家族で新幹線で京都に行く、車内販売の火星人がBOSSを売っている」競い合わないと駄目だと思っております。
時代とともに表現のタイムラインは変わってきますが、名作はやはり名作です。
これらの表現から新しいアイディアが生まれるかもしれません。
今夜、私の放送学科時代の友人でもあり、共に若い方々の指導をしてきた国重雅彦さんを「偲ぶ会」が開かれます。映画「はやぶさ」の監督をした映像ディレクター高橋洋人さんも、彼が育てた
映像人の一人です。
彼は何時も若い方々の目線で、対峙していました。だから卒業生の期を超えて愛された先生でもあり、多くの若い方々の相談にも応じていました。
人は家族にしても、友人にしても「何時も空気」の様にいるものだと思ってしまいます。
その存在が突然いなくなる事を考えてもいません。だから空気がなくなると、皆そのショックで
立ち上がれない方も多いでしょう。
ドイツのスーパーマーケットチェーン・Edekaの最も悲しいクリスマスコマーシャル
昨年のカンヌライオンでグランプリを受賞しています。
男性の子供たちはどうしているのかと言うと、今や立派な社会人に成長した彼らは、世界中を飛び回るビジネスマンであったり、日夜働く医者であったり、日々家事と子育てに追われる母親であったりと、それぞれが目が回るほど多忙で慌ただしい日常を送っています。
クリスマスに父親の元を訪れることがなくなったのは、忙しすぎる現代生活世界中そうなのでしょう。
そんな子供たちに突然“父親が亡くなった”との不幸の知らせが届きます。出張先から急遽帰国し、仕事を休み、子供たちは孫を連れて父親の家に集まります。
悲しみに包まれて、家に入った一同を迎えたのは、亡くなったはずの父親とクリスマスのごちそうでした。YouTube公開からわずか5日で2,200万回以上再生され、そのバイラルこ効果には驚きます。英国のJohn Lewisの表現は夢を与え、Edekaは今の家族の断絶社会を描いたと言えましょう。
今夜の国重雅彦さんの「偲ぶ会」に彼も天国からちょこっと覗いてくれればうれしいのですが、、、。
映像人の一人です。
彼は何時も若い方々の目線で、対峙していました。だから卒業生の期を超えて愛された先生でもあり、多くの若い方々の相談にも応じていました。
人は家族にしても、友人にしても「何時も空気」の様にいるものだと思ってしまいます。
その存在が突然いなくなる事を考えてもいません。だから空気がなくなると、皆そのショックで
立ち上がれない方も多いでしょう。
ドイツのスーパーマーケットチェーン・Edekaの最も悲しいクリスマスコマーシャル
昨年のカンヌライオンでグランプリを受賞しています。
男性の子供たちはどうしているのかと言うと、今や立派な社会人に成長した彼らは、世界中を飛び回るビジネスマンであったり、日夜働く医者であったり、日々家事と子育てに追われる母親であったりと、それぞれが目が回るほど多忙で慌ただしい日常を送っています。
クリスマスに父親の元を訪れることがなくなったのは、忙しすぎる現代生活世界中そうなのでしょう。
そんな子供たちに突然“父親が亡くなった”との不幸の知らせが届きます。出張先から急遽帰国し、仕事を休み、子供たちは孫を連れて父親の家に集まります。
悲しみに包まれて、家に入った一同を迎えたのは、亡くなったはずの父親とクリスマスのごちそうでした。YouTube公開からわずか5日で2,200万回以上再生され、そのバイラルこ効果には驚きます。英国のJohn Lewisの表現は夢を与え、Edekaは今の家族の断絶社会を描いたと言えましょう。
今夜の国重雅彦さんの「偲ぶ会」に彼も天国からちょこっと覗いてくれればうれしいのですが、、、。
海外での音楽録りで作詞 やコーディネートして頂いたミッシェルさんから、お母様の訃報を彼女のfacebookで知りました。彼女の落胆は言葉に出来ない事でしょう。私もお母様とお会いしました。生を受けてから我々は、死へのタイムラインに向かって生きていくのです。
私の母も数年前に94歳で旅たちました。火葬場で焼かれた骸を見て、足に重たい金具が入っていた事に気づきました。「重たかったろうに、、、。」我々は老いていくなかでいろいろなことを知ります。老いた目で外に出て歩いて見たらどうなんだろう。そう思えば視えてくるものもあるでしょう。
ドイツのFilmakademieで映像制作を学ぶ学生のEugen Merherさんが作成した動画が世界で話題になっておりました。タイトルは「Adidas – Break Free」です。これは世界的スポーツ用品メーカーであるアディダスのCMの形を取った映像作品です。観た目、プロの作品だと思ってしまいました。そのシーンシーンに無駄がないのです。この動画は公開から3週間程度で470万PVを稼ぎ、今でもアクセス数は伸びております。
「Break Free」は自由になる、抜け出す、ふりほどくなどの意味でしょう。
老人ホームで暮らす 元陸上選手として活躍したであろう老人が自分の荷物の中から古いアディダスのランニングシューズを履いて走り出します。入所者たちの驚きの視線の中でホームからの逃亡を目論む老人を介護士たちは捕まえて連れ戻すのです。
トレーニングをしながら繰り返し脱出を計る老人から、介護士たちは遂にシューズを取り上げてしまいます。落胆する老人ですが、彼の努力は他の入所者たちにとっても大きな希望となっていたのです。こっそりシューズとランニングウェアを取り返した入所者たちの盛大な応援の中、老人はもう一度走り始めます。
老人ホームに暮らす老人達や病院で寝たきりになった方々、植物人間になってしまった人々。
みんな生を受けて最後のタイムラインの中で何を残すことができるでしょうか。
「BreakFree」は、老人達を一つ括りで扱うことへの「break through 概念を打ち破る事かもしれません。
P.S
Dear,Michelle SAN
Please accept my deepest condolences.