無人島という言葉の持つ響きには、一種独特の魅力がある。
ストレスだらけの普段の生活を抜け出して、無人島にでも行ってみたいなと思ったことのある人は、いるだろう。
私は、幼い頃に友達と秘密基地などを作る時に、無人島にでも秘密基地が作れたらいいだろうな・・などと思ったもんだった。
でも、実際に無人島に行ってみると、そこでの生活は大変。
色んな事に対する知識、不屈の精神力、体力、器用さ、など、色んなものが要求されることになる。
無人島ってやつは、ロマンを感じる単語ではあるが、実際にはそんな甘いもんじゃないのだ。
過去に無人島を題材にした物語や漫画などは何作も発表されてきている。
今回私が読んだ本も、その中に入る一冊といえる。
その本のタイトルは
「無人島に生きる十六人」という。
新潮社の文庫本だ。
作者は須川邦彦さん。
描かれてる冒険談は、なんと明治時代のお話。
しかも、これはどうやらフィクションではないらしい。
実際にあったことなのだ。
その辺が「十五少年漂流記」や「冒険ガボテン島」とは違う。
海賊に襲われたり、獣との戦いがあったり、財宝を発見したり、動物が喋ったり・・といったドラマを盛り上げるための見せ場があるわけではない。
ただただ、ひょんなことから無人島にたどり着いた「海の男だち」が、どうやって名も知らぬ小さな無人島で生き抜いてゆくか。それだけだ。
物語を波瀾万丈のものにするためのそういった要素が無い分、逆にリアリティがある。
登場人物は少年ではない。皆、明治時代の日本のおじさん(若者も混ざっているが、少年ではない)たちばかりだ。
明治時代の日本の「海の男」ばかりだ。
しかも、このおじさんたちときたら、気概と誇りに溢れており、その精神たるや高潔といってもいいだろう。
この、日本の自慢すべき「明治時代の海の男たち」が暮らすことになってしまった無人島は、ハワイ群島の西のはずれにあるミッドウェー島の近くのパール・アンド(エンド)・ハーミーズ海礁にある無人島。
島の正式な名前などない。もしかしたら今も無いかも。
彼らは便宜上「本部島」と呼んでいた。
ちなみに「パール・エンド・ハーミーズ」でざっと検索すると、この本の紹介に行き着くことはあっても、実際のその海礁について書かれたページは見当たらなかった。
まあ、ざっと調べただけなので、根気良く調べればあるのかもしれないが、少なくてもすぐには見つからないのではあるまいか。
無人島生活。
ともすれば絶望的な思いにとらわれ、仲間割れしたり、自暴自棄になったり、突発的な行動をとったりしがちな状況である。
にもかかわらず、一切そんなことはせず、彼等は日本人として、海の男として、仲間同士助け合い、最後まで持ち続けた気概には、清々しさを覚えるし、感動する。
今の日本人が失ったものを、彼等に教えられたような思いだ。
こんな勇敢で高尚な精神を全員が持ちつづけて、危機を乗り切った事実には、大いに拍手を送ると共に、こういう日本人がいたことを私は誇りに思う。
本を読めば分かるのだが、そこに悲壮感みたいなものは感じられない。
そのへんが、普通の無人島談とは違う点だろう。
無人島で暮らすにあたって、彼等は次の規律を持った。
1、島で手に入るもので、暮らしていく。
2、できない相談をいわない。
3、規律正しい生活をする。
4、愉快な生活を心がける。
極限ともいえる状況で、上の4つの規律を守るのは難しいと思う。
でも、彼らの間で、この規律は最後まで破られることはなかった。
その生活ぶりには弱音も聞こえず、絶望感も感じられなかった。
無人島冒険談としての面白さも、ちゃんと備えており、一気に読み干せる面白さだ。
で、読み終わった人には、確実に感動をもたらすだろう。痛快さと共に。
無人島には、行ってみたい。
でも私が行ってみたいと思う無人島は、迎えの船がちゃんと来てくれるのが分かっている無人島なのだ。で、いつ帰宅できるかもあらかじめ計算できる無人島なのだ。
本来の意味での無人島ではないだろう。
少なくても、命がけの冒険ではない。
こういう本を読む度に、無人島には漠然とした憧れをもってしまうが、いざ実際にこの本で描かれた無人島で 迎えの船の当ても無く 暮らすことは私にはできないだろう。
自暴自棄になったり、突発的な行動を自制しつづける自信は・・・ない。
この物語の終盤で書かれた、以下の文章に私は特に感動した。大好きだ。
この尊敬すべき男たちの本質を物語っているような気がしてならない。
その本文とは・・・
「私たちは この島で初めて真剣に 自分で自分をきたえることができた。
そして心をみがき、その心の力が どんなに強いものであるかを、はっきり知ることができた。
十六人が本当に1つになった心の強さの前には、不安も心配もなかった。
食べるものも、飲むものも、自然が分けてくれた。
アザラシも、鳥も、星も、友達となって、やさしくなぐさめてくれた。
これも、みんなの心がけがりっぱで、勇ましく、そしてやさしかったからだ。
私は心から諸君に感謝する。ありがとう。」
である。
本文の、このくだり、ジーンと来た。
この無人島での長い生活で、相当苦労しただろうに。優しさに満ちているではないか。
こんな日本人が過去に居たことを知ると、「世界の中にあって日本人は そう捨てたもんじゃないぞ」と思いたくなってくる。
いや、ナショナリズムという意味ではなくて。
人間として、だ。
それにしても、彼等がこの無人島で生きた数十年後に、このすぐ近くで日本はアメリカと戦争をすることになるだなんて、彼等には想像もつかなかっただろうなあ。
無人島。行ってみたい。
厳しい場所だとは分かってても、「無人島」という言葉には、どうにもロマンをかりたてられてしまう。
でも、それは自分が今普通の生活を送れているからこその「無いものねだり」なのだろう。
ストレスだらけの普段の生活を抜け出して、無人島にでも行ってみたいなと思ったことのある人は、いるだろう。
私は、幼い頃に友達と秘密基地などを作る時に、無人島にでも秘密基地が作れたらいいだろうな・・などと思ったもんだった。
でも、実際に無人島に行ってみると、そこでの生活は大変。
色んな事に対する知識、不屈の精神力、体力、器用さ、など、色んなものが要求されることになる。
無人島ってやつは、ロマンを感じる単語ではあるが、実際にはそんな甘いもんじゃないのだ。
過去に無人島を題材にした物語や漫画などは何作も発表されてきている。
今回私が読んだ本も、その中に入る一冊といえる。
その本のタイトルは
「無人島に生きる十六人」という。
新潮社の文庫本だ。
作者は須川邦彦さん。
描かれてる冒険談は、なんと明治時代のお話。
しかも、これはどうやらフィクションではないらしい。
実際にあったことなのだ。
その辺が「十五少年漂流記」や「冒険ガボテン島」とは違う。
海賊に襲われたり、獣との戦いがあったり、財宝を発見したり、動物が喋ったり・・といったドラマを盛り上げるための見せ場があるわけではない。
ただただ、ひょんなことから無人島にたどり着いた「海の男だち」が、どうやって名も知らぬ小さな無人島で生き抜いてゆくか。それだけだ。
物語を波瀾万丈のものにするためのそういった要素が無い分、逆にリアリティがある。
登場人物は少年ではない。皆、明治時代の日本のおじさん(若者も混ざっているが、少年ではない)たちばかりだ。
明治時代の日本の「海の男」ばかりだ。
しかも、このおじさんたちときたら、気概と誇りに溢れており、その精神たるや高潔といってもいいだろう。
この、日本の自慢すべき「明治時代の海の男たち」が暮らすことになってしまった無人島は、ハワイ群島の西のはずれにあるミッドウェー島の近くのパール・アンド(エンド)・ハーミーズ海礁にある無人島。
島の正式な名前などない。もしかしたら今も無いかも。
彼らは便宜上「本部島」と呼んでいた。
ちなみに「パール・エンド・ハーミーズ」でざっと検索すると、この本の紹介に行き着くことはあっても、実際のその海礁について書かれたページは見当たらなかった。
まあ、ざっと調べただけなので、根気良く調べればあるのかもしれないが、少なくてもすぐには見つからないのではあるまいか。
無人島生活。
ともすれば絶望的な思いにとらわれ、仲間割れしたり、自暴自棄になったり、突発的な行動をとったりしがちな状況である。
にもかかわらず、一切そんなことはせず、彼等は日本人として、海の男として、仲間同士助け合い、最後まで持ち続けた気概には、清々しさを覚えるし、感動する。
今の日本人が失ったものを、彼等に教えられたような思いだ。
こんな勇敢で高尚な精神を全員が持ちつづけて、危機を乗り切った事実には、大いに拍手を送ると共に、こういう日本人がいたことを私は誇りに思う。
本を読めば分かるのだが、そこに悲壮感みたいなものは感じられない。
そのへんが、普通の無人島談とは違う点だろう。
無人島で暮らすにあたって、彼等は次の規律を持った。
1、島で手に入るもので、暮らしていく。
2、できない相談をいわない。
3、規律正しい生活をする。
4、愉快な生活を心がける。
極限ともいえる状況で、上の4つの規律を守るのは難しいと思う。
でも、彼らの間で、この規律は最後まで破られることはなかった。
その生活ぶりには弱音も聞こえず、絶望感も感じられなかった。
無人島冒険談としての面白さも、ちゃんと備えており、一気に読み干せる面白さだ。
で、読み終わった人には、確実に感動をもたらすだろう。痛快さと共に。
無人島には、行ってみたい。
でも私が行ってみたいと思う無人島は、迎えの船がちゃんと来てくれるのが分かっている無人島なのだ。で、いつ帰宅できるかもあらかじめ計算できる無人島なのだ。
本来の意味での無人島ではないだろう。
少なくても、命がけの冒険ではない。
こういう本を読む度に、無人島には漠然とした憧れをもってしまうが、いざ実際にこの本で描かれた無人島で 迎えの船の当ても無く 暮らすことは私にはできないだろう。
自暴自棄になったり、突発的な行動を自制しつづける自信は・・・ない。
この物語の終盤で書かれた、以下の文章に私は特に感動した。大好きだ。
この尊敬すべき男たちの本質を物語っているような気がしてならない。
その本文とは・・・
「私たちは この島で初めて真剣に 自分で自分をきたえることができた。
そして心をみがき、その心の力が どんなに強いものであるかを、はっきり知ることができた。
十六人が本当に1つになった心の強さの前には、不安も心配もなかった。
食べるものも、飲むものも、自然が分けてくれた。
アザラシも、鳥も、星も、友達となって、やさしくなぐさめてくれた。
これも、みんなの心がけがりっぱで、勇ましく、そしてやさしかったからだ。
私は心から諸君に感謝する。ありがとう。」
である。
本文の、このくだり、ジーンと来た。
この無人島での長い生活で、相当苦労しただろうに。優しさに満ちているではないか。
こんな日本人が過去に居たことを知ると、「世界の中にあって日本人は そう捨てたもんじゃないぞ」と思いたくなってくる。
いや、ナショナリズムという意味ではなくて。
人間として、だ。
それにしても、彼等がこの無人島で生きた数十年後に、このすぐ近くで日本はアメリカと戦争をすることになるだなんて、彼等には想像もつかなかっただろうなあ。
無人島。行ってみたい。
厳しい場所だとは分かってても、「無人島」という言葉には、どうにもロマンをかりたてられてしまう。
でも、それは自分が今普通の生活を送れているからこその「無いものねだり」なのだろう。