時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

こうやって怖い人に怒られるわよ!・・と注意する親

2009年04月30日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)

先日、古本屋で「バカ親って言うな! ~モンスターペアレントの謎~」という本を入手。で、さっそく読んでみた。

そこには驚くべき「モンスターペアレントの言動の実例」が書かれていた。
にわかには信じられないような事実が並んでいた。常識の範囲をはるかに越えている。
今の教師の苦労たるや、いかばかりだろう・・・と思った。自殺する教師の実例は、いたたまれない。
もちろん、学校側、教師側の応対ぶりにも何がしかの問題はあるのだろうが、モンスターペアレントの言動は恐ろしく思えたし、それは学校&教師側の問題の比ではない・・とも思えた。
また、そこには、相互理解の欠如という問題が、その原因に含まれてるということも分かった。

本には色んなことが書かれていたが、その結びの部分は、けっこう理想論で結ばれていた。
やはり、こういう題材を扱った本の結論や、こういう問題の解決方法を考えた場合、そのまとめ先は理想論に行くしかないのだろうか・・それが現状なのだろうか。
そう思うと、この問題の現実的な解決の難しさを実感してしまった。
理想論でしめくくられているがゆえに、なおさら。



これを読んでて、私はふと、学校以外での、ある親のある言動に思い当たった。
それは・・。↓

よく巷では、「子供のことを叱れる、近所の怖い大人(おじさんやおばさんなど)がいなくなった」と言われる。
我が子ではなくても、他人様の子でも、その子がいけないことをしたら、注意できる「口うるさい大人」がいなくなったことを嘆く意見もたまに耳にする。

私は、そういう大人が居なくなったのは、子供達の親のせいでもあると思っている。

なぜなら、・・例えば、誰かが見ず知らずの子を注意した場合、その子の親は「こうやって、こわいおじさん(おばさん)に怒られるでしょ!!」「こうして怖いおじさん(おばさん)に怒られるから、あっちに行きましょ!」と我が子に声をかけるケースが多いからだ。例えば、デパートなどでよく見かける気がする。

というのは、大事な商品を、親に連れられてデパートにきた子供がいたずらしたり、邪険に扱ってしまう時に、売り子が丁寧に注意するケースがあるからだ。
もしもその子が、商品を汚してしまったり壊してしまったりしたら、それはもう売り物にはできなくなる。売り手側としては、それは困るのは当たり前だ。

そんな時に、販売員がその子を注意すると、「こういう怖いオバチャン(オジさん)に怒られるから、あっちに行きましょう」と、その子の親が子供に言うわけだ。販売員にあてつけるように。


とりあえず、私のまわりには、そういう親はいない・・と思いたい。
また、全ての親がそれに当てはまるといううわけではないとも思ってる。
でも、そういう親がいることもまた事実なのだ。
貴方のそばに、そういう「子を持つ親」はいないだろうか。

このセリフって、その親は、我が子をちっとも注意していない。
注意した人に対する皮肉を言ってるだけである。

このセリフでは、「こうやって、こわいおじさん(おばさん)に怒られるから」という言葉は、不必要であろう。
なぜシンプルに「すいません」と言えないのだろう。
どうして、そういう言い方しかできないのだろうか。
どうして、そういう受け取り方しかできないのであろうか。
この場合、親のほうが子以上に怒られてもしかるべきではないだろうか。

世間で人様の迷惑になるような行動をとったからその子は注意されたのに、その子の親は、注意して来た人を悪者にしてるわけだから。
しかも、注意をしてきた人に対して面とむかって言うのではなく、我が子の存在を利用して間接的に言ってるところがまた・・現代人のモラルの欠落ぶりをさらけ出しているようにも見える。

注意してきた人に文句を言いたいなら、我が子の存在を道具みたいに利用せずに、注意してきた人に直接言ったらどうなんだろう。
子供にとっては、そっちの方がよっぽど頼もしく思えるだろうに。


こういう光景は、見てて痛いし、はたで見てると決して良い光景ではない。
この子にして、この親あり・・・・を自ら立証してることになりはしまいか。
一言で言うと、第3者として見てると、「恥ずかしい姿」にも見えることがある。


こういう親を見ると、この親は子供時代にどんな親にどんなしつけを受けてきたのだろう・・と思う。
で、そういう親が今は子を育てているという現実。

そういう親にしつけられた子は、将来どんな大人になるのだろう。
親が子供の前で、こんなに皮肉たっぷりのひねくれた対応をとってたんじゃ、それを見て学習した子供まで、ひねくれた対応や言い方や価値観を持つようになっていくような気がする。
子供は親の影響は受けるし、マネもするものだしね。

こういう親に育てられた子も、やがて大人になり、結婚して子供ができることもあるだろう。
そうなると、生まれた子供に同じことをやってしまう可能性がある。
で、それは、受け継がれてゆき、浸透して広がってゆき、日本人のイヤな面として、認識されていくのだろうか。

もちろん、注意してきた人の着眼点や意識にも色々ある。
また、その「言い方」に大きな問題がある場合もあるだろう。
子供に注意するというと聞こえはいいが、その実、単に八つ当たりにしかすぎない場合もあるだろう。

中には、単なるいいがかりを言ってくる場合もあろうし、注意してきた人のわがままでしかない場合もある。いわば、とんでもないケースだ。

そんなのは、聞いてれば、相手が間違ったことを言ってるかどうかは、判断できるはず。
相手が明らかに独りよがりなことを言ってるのであれば、無視しても当然。


とりあえず、その人が子供に注意してきたからには、注意される前に子供がなにかの言動をしている場合が多いはず。
いいがかりでない限りは。

子供がどんなことをしたから、見ず知らずの人が注意してきたのか・・それを考えれば、注意してきた人の言い分が正しいのか、子供の言動のほうが常識内であるかは、比較すれば分かるはず。
普通の一般常識が親にあればね。


でも「こうして怖いおじさん(おばさん)に怒られるから」という言い方しかできない親は、子がどんな悪いことをしても、注意してきた人の方を悪者にするだろう。
で、子供には「注意してきた人が悪い」と刷り込まれるだろう。

親としては、「我が子の味方」になりたいという気持ちは分かる。
我が子を守りたい・・と考えるのは、当然。最近は、危ない行動をする「見ず知らずの人」は多いし、危険性もある。
でも、それを、我が子がどう考えても悪い場合にそういう言い方をしてしまうと、子供の人間形成に悪い影響がでるのではないだろうか。
で、その子が大人になった時に、どんな考え方をする大人になるか。それを考える必要があるだろう。
今の常識はずれの内容の犯罪の多さは、そういう育てられ方をしてきたから・・というのもあるような気がしてならない。


最初に戻るが、「悪さをする、見ず知らずの子供のことを叱れる、近所の怖い大人がいなくなった」ということを嘆くなら、その前に、上記のような「注意してきた人を悪者にする親」の教育や意識改革をなんとかするのが先決だろう。
じゃないと、悪さをする見ず知らずの子供に注意ができる大人なんて、まずます出て来なくなるだろうし、そういう大人がいなくなったことを嘆いても無意味なだけだ。

また、こういう親が、学校や教師を相手にする時は、モンスターペアレントになってしまうような気がした。
教師は反撃しづらい立場だから、なおさらモンスターペアレントのモンスターぶりはエスカレートする・・と。

学校とモンスターペアレントの問題では、学校側と親側の「相互理解の欠如」を原因の1つにあげられるが、上記のデパートでの問題では、「相互理解」もへったくれもないだろう。
単にモラルの問題だろう。


一番分かりやすいのは、「こうやって怖いおじさん(おばさん)に怒られるわよ」という言い方してかできない親を叱る、さらに上の年代・・ご老人がいればいいのかもしれないが、親が逆切れして暴力沙汰になった場合は老人は不利だからなあ。

それもこれも、今の社会が「謝らない社会」「モラルの崩壊した社会」になってきてるからなのだろうか。
謝るのって・・・難しいようで、簡単。でも、簡単なようで、難しくもある。
モラルの崩壊という問題も、そうだろう。

未来の世の中は・・ますます「謝らない世界」「モラルのない世界」になっていくのだろうか。
そこには、「全く謝らない未来」「モラルが崩壊した未来」が待ってるのだろうか。

裁判沙汰にでもならない限り謝らない世界、モラル欠如のジコチューの世界・・になっていくのだとしたら、その行き着く先は・・・・アーメン・・・。


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