巷には「坂道マニア」なる人たちがいるという。
そう言えば、昔、タモリさんの番組でも「坂」の特集があったような。
カルトなテーマ選びだったので、けっこう印象に残っている。
坂道には、一部の人を魅了する魅力があるようだ。
私の活動範囲の中にも多数の坂がある。
ゆるやかな坂もあれば、かなり急な坂もある。
急な坂道の上に立つと、けっこう見とおしがよい個所もあり、そんな時、大地の地形というものを感じたりする。
坂道の下のほうには川が流れていたりすることもある。
川と言うのはたいがい「低地」であり、坂は川に向かって下っていく地形になっていたりする。
川の周辺は、地形的にはいわば「谷」なのだ。
都心でも、そこがたとえ山に見えなくても、川に向かって下ってゆく急な坂がある場所は、地形的に「山」なのだ。台地と表現したほうがいいかもしれない。
たとえ今はその一帯に建物などが立ち並んでいて、土が見えなくても。
アスファルトの下には、本来の土が横たわっている。
大昔は、そのへんの大地は・・・・まだ人がほとんど住んでなかった時代は、山と谷と川と、そして再び盛り上がってゆく山・・・そんな場所だったんだろうなと思ったりする。
そのあたりの土地の本来の「地形」を感じるのだ。
すると、人間が開拓する前のその一帯の自然ぶりに、思いを馳せたりもする。
私が立ち寄った相当な急こう配の坂は、そのこう配ぶりゆえに、坂道の上に立つと昔はさぞかし見晴らしがよかっただろうと思えた。
あまりに急こう配なので、普段はその坂とは別のルートの「多少ゆるやかな坂」の方を車や人は通っていた。
遠目で見てもその急こう配は相当なものだったので、ついつい避けたのだろう。
だが、その急こう配の坂に立つと、そこから眺める景色は、ちょっとした名所にも思えた。
特に夕暮れの風景は。
はるか遠景の中に、私が通った幼稚園の一部分も見えたし、幼い頃に私が住んでた家のあったあたりも見当がつくぐらい見晴らしが良かった。さすがに家自体は、周りの建物に遮られていたが。
私がその時立って見下ろしていた地面は、一反川に向かって急に落ち込んで行き、やがて川をこえると、その地面は再び盛り上がっていく。向こう岸以降はゆるやかに。横広がりで。
その様は、ゆるやかな上り坂である。で、その上がり坂の大地に、びっしりと建物が並び、町になっていた。
その、「いったん下がって、川を越えて、ゆるやかに登っていく大地」の広がりの様には、イメージの中で、建物をすべてとっぱらい、単なる地形としてとらえると、どこか時の流れの外にいるような気にもなれた。
ある意味、それは・・・ちょっとした「時空の旅」をしてるようなものかもしれない。イメージの中で。
急こう配の坂を見ると、坂マニアの人の気持ちも少しだけ分かる気がする。
当初「坂マニア」なる言葉を聞いた時は、「そんなマニア、いるんかいな」なんて思ったりもしたが、前述の急こう配の坂の上から見はらした風景を思い出したり、傾斜角度を見るとなんとなく理解できる気はする。
実際にその坂を歩いて登ると相当きついが、その急こう配ぶりを遠景で見る分には、かなり絵になる。
絵になる坂を見てると、そのこう配を征服したいとか、体感したいとか思うようになったりすることもあるのだろう。
その坂に、粋な名前や、気になる名前でもつけられていたら、なおさら。
もしかして・・・坂マニアの中には、そんなきっかけからマニア度が始まっていく人もいるのかもしれない。
大地の上に立っている建物や道、そしてその集合体である町も、それがある地形そのものは大昔とさほど変わらない場合が多いはず。
もちろん、ある程度、開発で地形を削ったり掘ったりしてはいても。
大昔の人も、現代人の我々と同じ地形を行き来し、見ていたはずなのだ。
たとえ、その大地の上にたつ建物や道などの景観は異なっても。
そういう意味では、大地の地形は、天然のタイムカプセルなのかもしれない。
再開発などの名目の下で、いくら大地の上の建物や道の形やレイアウトは変えても、また、土地を削り取ったり掘ったりしたとしても、おおまかな大地そのものを変える開発まではやってほしくないような気はする。
まあ、開発のおかげで、便利になる部分はあるけどね。
ただ、あまりいきすぎない程度にはしてほしいかな。
坂を見てると、そう思う。
さて、貴方の澄んでる地域に、急こう配の坂や、絵になる坂はあるだろうか。
もしもそんな坂があったら、粋な名前がつけられていたり、意外な俗称で呼ばれていたりするかもしれない。
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