てなわけで、高尾駅から陣馬高原下行きのバスに乗って30分。「夕やけ小やけ ふれあいの里」に到着。
やっと来ることができた。
バス停は「ふれあいの里」のすぐ近くにあった、バス停の名前は「夕焼小焼」。
バスを降りるといきなり現れた「夕焼け小焼け橋」を渡ると、「ふれあいの里」の入り口付近には管理事務所や売店があった。
↑バス停を降りて、「ふれあいの里」に向かうといきなり現れた橋。その名も「夕焼小焼橋」。まさに夕焼け小焼けの歌1色?
↑さてこの橋を渡ると、そこは「夕焼け小焼け ふれあいの里」だった。
↑入口付近には、管理事務所と売店が。オフシーズンなのか、ひっそり。
そして入口で入園券を購入して、「ふれあいの里」の中へ。
入り口を入ると、昔実際に使われていたであろう古いバスが展示されていた。
↑1982年から2007年まで陣馬街道を運行していたボンネットバスの現物。ちなみに左端に見えてるベンチは、バネ椅子。座ると前後左右に揺らすことができて、案外楽しい。
↑いやあレトロなバスだこと。2007年まで現役だったとは!お疲れさま。老体にムチうって、よく頑張ったね。
近くには小さな牧場が。
↑エサを買って、餌やりもできるようだ。ヤギもいたぞ。
更に進むと「夕焼け小焼け館」の建物があり、中に入ってみると、童謡「夕焼け小焼け」の作詞者である中村雨紅を紹介する展示物が並んでいた。
↑夕焼け小焼け館が見えてきた。
前回の日記でも同じようなことを書いたが、日本の童謡には郷愁のある良い曲が多く、中でも私がトップクラスに好きな童謡が「夕焼け小焼け」。
童謡「夕焼け小焼け」の歌詞には、作詞者が幼い頃に見ていたであろう風景が反映されているだろうと私はずっと思っていた。
だから、作詞者が子供の頃に見ていたであろう風景を見ておきたいと、かねてから思っていた。
で、作詞者である中村雨紅さんが子供時代を過ごした地域が東京都の恩方村。
ちなみに恩方村は現在は八王子市に編入されている。
恩方村で中村さんが見ていた風景が「夕焼け小焼け」の歌詞に投影されているはず。
ならば恩方の風景を見れば、「夕焼け小焼け」の原風景がわかりそうな気がした。
で、調べてみたら、恩方町には「夕焼け小焼け ふれあいの里」と呼ばれる場所があることがわかっていた。
なのでいつか行ってみたいと思ってたのだが、いざ行くとなるとそれなりに時間がかかる。
高尾駅まで行くのはよいとしても、高尾駅からさらにバスに乗り換えて山間に入っていかねばならない。その手間を考えると、中々腰が重かった。
でもこのままでは、いつまでたっても行けそうもない。
そこで、重い腰を上げ、意を決して、この日行くことにしたというわけだ。
↑館内には、夕焼け小焼けの作詞者である中村雨紅さんを紹介する展示物が並んでいた。
↑中村さんの墓は、この「ふれあいの里」内にあるようだ。中村さんは後年厚木に引っ越したらしいが、ここ恩方の風景は生涯忘れなかったらしい。
「夕焼け小焼け館」の館内をひと通り見た後に外に出ると、そこにはのどかな風景が広がっていた。
自然風景を活かした、自然公園みたいになっていた。
竹林があったり、清流があったり、水車小屋、せせらぎにかかる木道があったり、のどかな自然公園として整備されてる空間。
↑竹林。のどかだ。あたりには水音が。
↑芝生広場。この日は、ひっそり。
↑じゃぶじゃぶ池。水の生物が細々といるのかな。水車小屋もあった。
↑水面にかかる木道。おかげで濡れずに歩ける。
↑冬枯れの園内ぶり。夏場は賑わうのかな。
↑東京都内とは思えない。でもここは八王子市。ちなみに、八王子駅の電車の発車メロディは、もちろん「夕焼け小焼け」。八王子にとっては、誇りの曲なのかな。
↑なんか、堀みたい。ちゃんと整備されてるんだね。
園内をテクテク歩き、園内を流れる北浅川に架かる「金の星橋」という橋を渡ると、キャンプ場に出たのだが、季節柄キャンプに来ている人はいなかった。
ちなみに「金の星」は、「夕焼け小焼け」の2番の歌詞に出てくる言葉を引用したもの。
キャンプ場にはちょっとしたステージもあり、キャンプ場が賑わってる時期には、そのステージで何かイベントでも行われるのだろうか。
↑園内を流れる北浅川。釣りもできる。
↑金の星橋。♪空にはキラキラ金の星〜
↑金の星橋を渡ると、そこにはこんな看板が。
↑キャンプ場。ここからもハイキングコースには行けるようだが・・。それにしても花粉の飛散が厳しく、鼻水とクシャミが止まらず、辛い。あたりの杉の木は花粉で変色していた。それらが風で飛んでゆく。
園内を流れる清流「北浅川」沿いに少し歩いてゆくと、山の中に続くバイキングコースがあり、せっかくだから歩いてみようと思ったが、少し歩いた段階でルートは閉鎖されていた。
握わう時期には、そのバイキングコースも散策できるのだろう。
ハイキングコースをあきらめ、少し休憩して、まわりの木々を見てると、ともかくクシャミと鼻水がとまらない。
よく見ると、このへんは杉の木が多数。
都心では2月あたりから花粉症の季節になるが、多摩地区の多数の杉の木は、都心に花粉症を飛散させる源になってるのだろう。
杉の木の花粉症に毎年悩まさせる私としては、もっと別の時期に来てもよかったかなあ。
多分、紅葉の季節などは良さそう。
まわりには里山が連なっており、里山とその上の空を見てると、作詞者の中村さんは子供時代にこんな風景を見て育ち、それが童謡「夕焼け小焼け」に繋がったのだろうな・・と思うと、「夕焼け小焼け」の故郷に来たような気分になれた。
私が訪れたのは冬だったので、あたりには冬枯れの風景が広がっていた。
園内には宿泊施設もあれば、食事処もあった。
宿泊施設は立ち寄り湯も受け入れていたが、私が訪れた時は館の扉は閉まっていた。宿泊客がこの日はいなかったのかもしれない。
食事処では1800 円の食べ放題コースがお得。ここで私は八王子ラーメンと、半盛りのそばを頼み、他にバイキングで天ぷらやおでん、カレーをちょびっとずつ頂いた。ここでは、絶対に1800円の食べ放題コースはお勧め。
↑食事処「いろりばた」。食べ放題コースはお勧め。昼の営業時間は11時30分から。
↑蕎麦も美味かったし、八王子ラーメンも美味かった。ソフトクリームも食べたかったが、腹いっぱいになりすぎて、食べる余裕がなかった。別腹はどこにいった?
ただ、さすがに腹いっぱいになりすぎ、しばらく動けなかった(笑)。
どうもバイキングだと、どの惣菜も一口ずつ食べたくなってしまう。だが、そのツケは食後に・・しっかり出てしまった。
食後しばらく動けなかったのだが、暫く休憩して多少動けるようになってみれば、そろそろ帰りのバスの時間が気になる時間帯だった。
バスは1時間に1本だから、1本逃すと次のバスは1時間後になってしまうので、やって来たバスに乗って私は高尾駅に向かった。
バスの車窓から恩方の田園風景を見てなごみながら。
遠くの方には低い里山が連なっていた。
こんな風景の夕景を見て、これらの風景が、作詞者が「夕焼け小焼け」の歌詞にこめた原風景だったんだろうなあと思いながら。
童謡「夕焼け小焼け」に歌われた子供たちは「カラスと一緒に」家に帰ったが、私は花粉症と一緒に家に帰った。
↑こんな風景に夕暮れが訪れ、それが「夕焼け小焼け」に繋がったのだろう。おそらく作詞者の中村さんも、見ていたであろう景色の1部。
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