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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

「菜の花の沖」と高田屋嘉兵衛

2018年12月01日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)

私はたまに、我が家にある大量のVHSテープの中から、残しておきたいと思えるものをDVDにコピーしている。

先日は、「菜の花の沖」というドラマをDVDにコピーした。

このドラマは2000年にNHKで連続ドラマ化された作品だ。

江戸時代の海運王・高田屋嘉兵衛が主人公の作品で、原作は司馬遼太郎の小説。

主役を演じたのは、竹中直人。

 

この作品がドラマ化される何年も前に、私は仕事上の都合もあり、この小説を全巻一気に読破した。

その時あまりに面白く、感動もし、仕事を忘れて熱中した。

この小説を読んで以来、高田屋嘉兵衛は私の尊敬する人物になった。

まさに惚れ込んだと言ってもいい。

 

原作者の司馬遼太郎さんは、日本の歴史上もっとも偉い人物として、高田屋嘉兵衛の名をあげている。

しかも、2位が思いつかないくらい、ぶっちぎりの1位人物としている。

「竜馬がゆく」「坂の上の雲」をはじめ、歴史上の多数の人物の小説を書いた司馬さんにそこまで言わしめた人物。それがこの高田屋嘉兵衛なのだ。

「オーバーだなあ」と思う方は、この作品を読んでほしい。司馬さんのその気持ち、きっと理解できるのではないだろうか。

なにしろ、たった一人の民間「船乗り」が、幕末時代に日本とロシアの戦争を回避させたのだ。嘉兵衛がやったことは、奇跡的でもあるし、本当にそんな人物がいたの?と思いたくもなる。だが、実在したし、実際にそういうことをやってのけたのだ。

なにせ、ロシアの当事者の著書にも記されているのだから。嘉兵衛に対する大いなる賛辞の言葉と共に。

 

嘉兵衛がいなかったら・・・どうなっていただろう。日本は・・へたしたら別の道を進んでいたのかもしれない。日本とロシアは戦争になっていた可能性もある。江戸時代後半にロシアと戦争になっていたら、はたして徳川幕府はどれだけ戦えただろうか・・。

 

嘉兵衛が奇跡的なことをやってのけることができたのは、嘉兵衛が出会ったロシア人が、ピョートル・リコルドという高潔な人物であったことも大きかった。

嘉兵衛はリコルドに出会えたことが。また、リコルドは嘉兵衛に出会えたことが。

もしかしたら天の最高の演出であったのかもしれない。運命の神様のまさに「神業」であったのかもしれない。

この本を読み終えた方は、嘉兵衛のことはもちろん、リコルドのことも好きになるだろう。

嘉兵衛はロシアの船ディアナ号の艦長リコルドにより、北方の海で拿捕された。

そして、ロシアに連れて行かれた。

もちろん、それにはロシアなりの理由があった。

日本に捕まっていたロシア人艦長ゴローニンを救い出すためであった。

だが、幕府がゴローニンを捕まえたのは、、その事件以前のロシア人の悪行があったからだった。

だがその悪行は、ロシアの国家ぐるみのことではなく、あくまでも悪質なロシア人の個人単位での暴走であった。

 

バックボーンとしては・・江戸時代、日本に通商を求めてやってきたロシア人外交官レザノフは、当時の日本は鎖国であったため、日本には傲慢な態度で拒絶された。

レザノフの部下であるフヴォボストフは幕府の対応に怒り、暴走して、当時の日本の領土であった樺太、さらには択捉島を襲撃。

これに腹を立てた幕府は、たまたま測量のために日本近海に航海してきていたロシア帆船ディアナ号の艦長ゴローニンと、その部下を拿捕。

ゴローニンには何も罪はなく、またゴローニンはフヴォストフの蛮行も知らなかった。まさに、とばっちり。

すると今度はロシアが腹をたて、ゴローニン同様に何も罪がなかった嘉兵衛を拿捕した・・・という流れだ。たまたま北方の海を航海していた嘉兵衛もまた、とばっちりであったと言える。

この流れ、ゴローニンも、嘉兵衛も、お気の毒さま・・・というしかない。

国は、国家としての誇りは大事だが、それをエスカレートさせて傲慢な外交をすると、双方にとって、本当にろくなことはない。

それは昔も今も同じであろう。

 

ともあれ、ロシアはゴローニンを救出したいという思惑があったから、嘉兵衛はロシア船ディアナ号に拿捕されたのだ。

で、そのディアナ号に乗っていたのが、ゴローニンの友人でもあったリコルドであった・・ということだ。

 

嘉兵衛はロシア船に拿捕された時、「かくなるうえは自分が日本とロシアの関係を平らにする」という固い決意と覚悟を持った。その決意は手紙か何かに残されていた。

それが後の友好的解決に繋がった。

 

本来なら嘉兵衛とリコルドは「敵同士」である。

だが、最終的には2人の間に友情が生まれた。

ディアナ号に拿捕された嘉兵衛は、カムチャッカに連行された。現地で嘉兵衛はリコルドやその部下、地元住人との交流に努め、信頼を得ていったのだ。

嘉兵衛とリコルドの人間性は、大きかったことだろう。

やがて、ディアナ号は、海の氷が解けるのを待ち、ゴローニン救出のために、再び日本に向かった。もちろん、船には嘉兵衛も乗っていた。

嘉兵衛は自身を乗せたディアナ号が日本に着いた時、「わしを日本に戻してくれ。かならず幕府にかけあって、ゴローニン救出のために交渉する。そしてその過程を伝えるために、まだディアナ号に戻ってくる」と言った。

ロシア人にとってみれば、嘉兵衛を日本に返したらそのまま戻ってこない可能性もある。

もともとは人質交換のために拿捕したのだ。その人質を日本に返してしまったら、交渉カードを失うことにもなる。

ある意味、博打である。

だが、リコルドは嘉兵衛を信じた。嘉兵衛を信じたからこそ、嘉兵衛を日本に戻した。

そして、嘉兵衛はゴローニン救出のために必死で幕府に交渉し、リコルドの信頼に応えたというわけだ。もちろん、そのために苦労もあった。だが、やりとげた。

 

嘉兵衛とリコルドは互いを信頼し合えたからこそ、事件の円満解決に繋がり、戦争という最悪の事態は回避されたのだ。ただし、その友情は、命がけだったからこそたどりつけたものだった。

2人が信頼し合う関係になっていくくだりや、最後の別れのくだりは、本当に感動的である。

 

なんでも「菜の花の沖」は、NHK大河の候補になったこともあったらしい。

なぜ実現しなかったのだろう。ぜひとも大河になってほしかった・・・というのは私の個人的な思いだ。

 

「菜の花の沖」は、高田屋嘉兵衛の生涯を描いた小説だが、この作品は前半と後半で面白さの傾向が違う。

前半は、故郷・淡路島でいじめられっ子だった嘉兵衛が兵庫に渡り、その後船乗りとして頭角をあらわし、やがては日本一の「船乗り」になっていく成功物語・立身出世物語として楽しむこともできる。

北前船の航路を開拓して、函館の開拓などもして社会貢献しつつ、商いをする嘉兵衛は、「高田屋」をたちあげて莫大な利益を得るようになっていく。

そしてやがては幕臣にも認められるようになっていく。まさに、前半はサクセスストーリーだ。

 

一方後半は、ロシア船に拿捕されロシアに連行されてから、ロシア人からの信頼を勝ち得て、やがては日本とロシアを戦争回避に持って行く「偉人」の物語として楽しめる。そこには感動もある。リコルドという人物の魅力も大きい。

 

この作品を映像化したものは一体どれぐらいあるのだろう。私はNHKのドラマ「菜の花の沖」以外では、まだ見たことが無い。

主人公が侍などではなく、商人あるいは船乗りなので、あまり作品数は無いのではないだろうか。

ちなみに、わらび座という劇団による「菜の花の沖」の芝居は見に行ったことはある。

でも・・私が知っているのはそれぐらいだ。

もっとドラマ化・映画化されていてもおかしくない気はするのだが、やはりあまりないのかもしれない。

だとしたら、NHKのドラマ「菜の花の沖」は貴重なのかもしれない。

そのドラマ版は私はかなり楽しめた。だが、尺の問題で、カットされてた部分も多かった。

例えば辰悦丸造船のくだりや、アイヌ人との誠実な交流、函館という港町の整備など。

今日の函館は、嘉兵衛の尽力によるものは大きく、その証拠に函館には嘉兵衛の銅像もあるほどだ。私自身、函館に行った時、嘉兵衛の銅像をこの目で見ている。

 

 

↑ 函館で見かけた、嘉兵衛の銅像。

 

そのへんは原作でも面白かったのだが、ドラマではカットされてた。

全5本のドラマでは仕方ないのかしれない。

それだけに、余計・・大河のような長い尺でドラマ化してほしいものだ。

 

NHKドラマ版「菜の花の沖」全5回の中身は・・、

 

1話 淡路島でのいじめられた若者時代、のちに妻になるおふさとのなれそめ。そして淡路島を出るまで。

2話、兵庫で心機一転、優秀な船乗りとして頭角を現していく。

3話、船乗りとして頂点まで上り詰める過程。そして、ロシア船に拿捕されるまで。

4話、連行されたカムチャッカでの苦労。ロシア人との交流。

5話、リコルドの信頼を得て、無事にゴローニン事件解決。そしてリコルドとの別れ。日本への復帰。

 

全5話のそれぞれのストーリー配分は上記の感じだ。

 

晩年、嘉兵衛が淡路島に帰ってからは、妻のおふさとは別居していたらしい。

理由はさだかではないが、船乗りは港ごとに女がいる・・というのはよく言われることだし、そういう事情があったのかもしれない。ドラマではそのへんはあまり細かくは触れられてはいないが、それが別居の理由になった可能性はある。

 

リコルドとの別れのシーンでは、ディアナ号のすべてのロシア人水夫が甲板に集まり、見送りにきた嘉兵衛に向かって親愛の気持ちを込めて「ウラア、タイショー!」と何度も叫んだ。敬礼しながら。

最高の感動の場面だ。いつしか嘉兵衛はロシア人水夫全員から愛されていたのだった。

 

「ウラア」とはロシア語で「万歳」という意味。「タイショー」とは「大将」のこと。

嘉兵衛の配下の船乗りたちが皆、嘉兵衛のことを「大将」と呼んでいたので、ロシア人水夫たちも嘉兵衛のことを「タイショー」と呼んでいたのだった。

これには伏線もあり、それは嘉兵衛がディアナ号に拿捕されて、船がロシアに向かう時のこと。その時、船は大嵐に遭遇。

へたしたら船が沈没しかねなかった時、優秀な船乗りであった嘉兵衛はとっさに操船を指揮して、船を沈没から救った。嘉兵衛の操船のあまりの見事さに、ディアナ号の船乗りたちは、皆従ったという。そんな一件があったので、ロシア人からも一目おかれたのだろう。

で、そんな嘉兵衛星の部下たちが嘉兵衛を「タイショー」と呼んでいたから、ロシア人たちもそう呼ぶようにうなったようだ。

もう、これだけでも、ロシア人水夫に嘉兵衛がどう思われていたかがわかる。

つまり・・別れの時・・・無事にゴローニンを救出し、船がロシアに帰ろうとする時、リコルドをはじめとするディアナ号の乗組員たちが嘉兵衛に向かって「大将、万歳!」と何度も叫んでいたのだ。

まるで、映画のような実話だ。

 

ドラマではこの感動の場面で、ロシア人水夫たちに感激していた嘉兵衛の横で、妻のおふさの態度が少し・・・私個人的に残念だった。

ここは無理におふさをからませなくてもよかったんじゃないかなあ・・・とさえ思った。

なんか・・万感の思いで別れをする「ウラア、タイショー」の感動のシーンに、少し水を差された気はしたかなあ・・。

このへんは、その後の別居の伏線になっていたのかな・・。

 

嘉兵衛はそのロシア人水夫たちの心意気に心底感激したらしく、その気もちを生涯持ち続け、晩年淡路島で息を引き取る時に、「ウラア、タイショーと言ってくれ」と周りの人に頼んだらしい。

 

また、リコルドはロシアに帰国したのち、この出来事を書籍か日記に書きしるした。

その文章の中には

「日本には、人間という崇高な名前で呼ぶにふさわしい人物がいる。その人物の名前は、高田屋嘉兵衛だ」と書いているらしい。

リコルドは1855年に亡くなったそうだが、リコルドの墓碑には・・なんと!「日本」という文字が刻まれていたというから驚き。

リコルドの嘉兵衛への友情は、別れた後も終生変わらなかったことの証明だ。

 

嘉兵衛は1827年に58歳で他界した。ちなみに1827年は、坂本龍馬が生まれる9年前。

なので嘉兵衛が生きたのは、幕末の一歩手前で、江戸時代後期という捉え方でいいのだろう。

 

ちなみに、嘉兵衛とリコルドは、肖像画が残っている。

嘉兵衛の日本で描かれた肖像画はけっこう「オッサン」だ(笑)。

ロシア側に残された嘉兵衛の肖像画は、けっこうシャープな男性の印象。理知的で、ちょっときびしい顔つきをしている。

↑ 高田屋嘉兵衛の肖像画

 

一方、リコルドの肖像画は・・少なくても日本にはないのか、もっぱらロシア側で描いた肖像画だ。若い頃と、年配になった頃の肖像画。

老年のリコルドの肖像画は威厳のあるお爺さんという感じだが、若いころのリコルドの肖像画は、これが相当な美形で、イケメン。

ほとんど少女漫画に出てきてもおかしくないくらいの(?)甘いマスク。もし若い頃のリコルドが今も健在なら、女性ファンからの人気は絶大なのではないか(笑)。

 

↑ ピョートル・リコルドの肖像画。

 

ちなみに、この事件から200年後の平成の日本で、リコルドの子孫が来日して講演をしたりしている。

内容はもちろん、嘉兵衛とリコルドの友情にまつわることだったようだ。

リコルドの子孫は、嘉兵衛とリコルドの関係を心から誇りに思っているようだった。

つまり、このことは日本人だけでなく、現地のロシア人の間でも語り継がれているということだろう。

 

 

まさに、歴史の流れから見ても、奇跡的なことだったのだ。

 

 

司馬遼太郎さんの原作小説「菜の花の沖」は文庫本で数冊にもおよび、大長編だ。

だが、この物語に惚れ込んだ私は、当時、全巻をたてつづけに3回ほど読みかえした覚えがある。

途中、当時のロシア事情について延々とページを費やしている箇所がある。しかも、そのパートはけっこう長い。物語の本筋から多少離れてしまう部分もあったが、当時のロシア事情をも知っておいたほうが、より深くこの物語を理解できるとは思う。

その部分の読書さえクリアしてしまえば、後は感動のラストが読者を待っている。

 

前述の通り、全5話のNHKドラマでは、はしょられた箇所も多かった。これは尺的に仕方がなかったのだろう。

 

なので・・

 

ここで私はもう1回書いておきたい。

「菜の花の沖」を大河ドラマのような長い尺でじっくり描いて映像化してほしい。

この作品を映像化したものは、まだ少ないと思うので、映像化する場合さほど「手垢」がついていないというのも魅力ではないか。

 

そして高田屋嘉兵衛という人物を知らない人に、もっともっと知ってもらいたい。

リコルドという素敵なロシア人のことも知ってもらいたい。

江戸時代後半の時代に、国境を越えて信頼しあった、嘉兵衛とリコルドの友情を知ってもらいたい。

 

こんな日本人がいたことを、私は誇りに思っている。

リコルドのような人が今もロシアにいるなら、日本とロシアとの関係にも希望が持てる気はしている。

もちろん、そのためには日本にも嘉兵衛のような人物がいないとだめなのだろう。

 

以前何かの資料で、ロシア人の対日感情について書かれた文書やアンケート結果があった。それによると、特に日本に近いエリアの民間ロシア人の対日感情は、かなり良好だった。

むしろ、日本人よりもロシア人の方が親しみを持ってくれている結果がそこにあった。

 

それはもしかしたら・・・遠い昔の嘉兵衛のことが少しは関係しているのかもしれない・・なんて私は思ったりもする。

 

なにせ・・ロシアのカムチャッカ州のナリチェボ自然公園には、「ゴロウニン山」、「リコルド山」の他に、「カヘイ峰」と名付けられた山があるぐらいだ。これはゴロウニンとリコルドの子孫がカムチャッカ州に提案したことを受けて名付けられたらしい。

また、1999年にリコルドの子孫が来日したことがきっかけで、ロシアのクロンシュタット市(ディアナ号の出港地)と、淡路島の洲本市五色町は2001年に姉妹都市にもなったという。

嘉兵衛とリコルドの友情は、時を超えて続いているのかもしれない。今も。

 

司馬遼太郎さんの「菜の花の沖」。

日本人ならぜひ一度読んでもらいたい名作だ。

しかも、それは事実をもとにしている・・というのが、素晴らしい。

私の中の「心の1作」であるのは間違いない。おそらくそれは、生涯に渡って。

 

「菜の花の沖」が大河や映画などになって映像化されて、嘉兵衛がもっともっと今の日本人にも知られて、それが少しでも御子孫の方々に還元されれば・・・と私は願ってやまない。

なぜなら、嘉兵衛は、有名大名にも引けをとらない「歴史上の人物」だと思うから。

 日本人は、こんな先人がいたことを誇りに思ってはいいのではないか。

 

最後になるが・・この作品を読んで、私は嘉兵衛を題材にした自作曲を2曲も作ったことがあった。

その2曲のタイトルとは・・

「北前船」

「海の向こうに(別題「男、嘉兵衛に波が来る!」)

であった(笑)。

 

「男、嘉兵衛に波が来る!」は、過去にたった1回だけ、人前で歌ったことがあるが、その後は自分の中で埋もれて沈没している(笑)。

北島三郎さんのイメージで作った曲調だった。


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2 コメント

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Unknown (鮎川愛)
2018-12-02 18:28:36


今回、私が一番注目したのは、「アイヌ人との誠実な交流」です。


日本史における「アイヌ」項目では、「蝦夷地開拓」の名の元に、アイヌ人を追い払い、アイヌ文化を潰滅させたイメージが余りに強かったからです。


高田屋嘉兵衛のような君子がいたからこそ、ロシアとも心通い合ったのですね!


そして、ロシア側にも君子がいたからこそ、日本と通い合うことが出来ました。


つくづく「歴史とは、人間が動かすもの」と、当たり前のことを考えました(笑)


江戸時代後期から明治にかけて、民族・信条を越えて、温かい心を通わせ合う話は、意外と多いですね。


韓國・日本の関係では、「安重根義士と監守・千葉十七」です。


歴史に巨大な名前を刻む人々とは、みな、時代に恵まれ、時代に見捨てられていったのだと想わざるを得ません。


ついでながら今回、だんぞうさんが取り上げたドラマ主演をされた竹中直人さんは、私にとって極めて稀少な、大好きな俳優の1人です(笑)
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Unknown (だんぞう)
2018-12-02 19:29:20
アイヌには、迫害するような接し方をした人もいれば、誠実な接し方をした人もいたようで、嘉兵衛は後者でした。
その結果、嘉兵衛はアイヌ人にも慕われ、協力もしてもらえました。
嘉兵衛の成功や功績には、アイヌ人の貢献も大きかったはずです。

小説「菜の花の沖」では、ロシア人リコルドもすごく魅力的に描かれてます。
リコルドは帰国後も生涯嘉兵衛のことは忘れなかったようです。
嘉兵衛の子孫がロシアをおとずれた時は、丁重に扱われるそうです。
それは、リコルドが家族や周りの人に、嘉兵衛のことを伝え続けたからでしょう。

地元では今も語り継がれてるのかもしれません。
じゃなかったら、ロシアの山にカヘイ峰という地名が与えられたりしないと思います。


竹中さんは、豊臣秀吉の役のイメージが強いですが、嘉兵衛役もなかなかハマってますよ。

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