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軍艦島・・・というと、今では長崎の海の沖合に浮かぶ軍艦島が一番有名であろう。
この島は元・炭鉱の島で、今では「廃墟の島」としてもお馴染みで、たびたびメディアでも取り上げられる。
その知名度は、この島が2015年に世界遺産のひとつに選ばれたことにより、飛躍的にアップした。
それまでは、知る人ぞ知る・・的な存在で、一部のファンの間では知られていたものの、その頃はまだ今ほどには一般的な知名度はなかったと思う。
この島は今では軍艦島として知られているが、実は本当の名前は端島(はしま)という。
私がこの島を知ったのは、もうだいぶ前だ。
確か、ネットサーフィンしてる時に偶然知ったのだと思う。
それは世界遺産に選ばれるよりもかなり前だった。
この島を始めて知った時、その姿に異様なインパクトを感じたものだった。
そしてそれが「いつか行ってみたい」という気持ちに変わるには時間はかからなかった。
そしてその思いはその後何年も持ち続けた。途切れることなく。
私がやっと軍艦島に行けたのは2006年。軍艦島が世界遺産に認定される9年も前。
その頃はまだ上陸は許可されていなかった。
上陸してみたいという気持ちは強くあったが、当時は上陸禁止にされていたので仕方なかった。
でもこの目で見たいという思いは強かったので、軍艦島を船で周回するクルーズに参加するために長崎まで行った。
長崎港からフェリーに乗り、やがて初めて実物の軍艦島が見えてきた時は圧倒された。
やはり写真などで見るよりも、迫力と驚きは大きかった。
一瞬言葉が出なかったほど。無言の言葉が多数その島からクルーズ船に押し寄せてきてるかのように思えた。
目の前で横たわっている軍艦島を船で周回するうち、やはり上陸したくてたまらなくなった。
上陸できなかった残念さは、旅から帰った後に、当時私が持ってたHPに旅行記を書くモチベーションに繋がった。
HPは閉鎖したが、その時に書いた旅行記は別ブログに復刻してあり、今もその別ブログで公開してある。
さて、前述のように世界遺産に認定された後の軍艦島は一気に知名度がアップし、やがて島の一部に上陸することができるようにもなった。
そうなるとますます注目度は上がって行き、さまざまなメディアによって取り上げられることになった。
バラエティ、旅番組、時には映像作品のロケ地になることもあるようになった。
中には軍艦島を検証する番組もあり、そういう番組では元・島民などによる説明もなされるようになっている。
で、まずます軍艦島は広く知られていっている。
近年そういう番組を見るたびに、今あの島に行く人は、上陸できるようになってて、羨ましく思っている。
そんな長崎の端島こと軍艦島だが、日本には軍艦島と呼ばれる島は、他にもある。
例えば能登半島にも軍艦島と呼ばれる島がある、
正式名称は見附島(みつけじま)。だが通称として軍艦島と呼ばれている。
この島を横から見ると、確かに軍艦に見える。
その外観の美しさやユニークさは、長崎の軍艦島に決してひけをとらない。
長崎の軍艦島とは傾向の違う外観の軍艦島だ。
現地に行くまで見附島という軍艦島のことは私は知らなかったので、初めて訪れた時は、長崎の軍艦島とはまたひとあじ違った感動を覚えた。
また、東尋坊にも軍艦島と呼ばれる島はある。
これまた見附島同様、現地に行くまで私は知らなかった。
ただ、東尋坊の軍艦島は島としての規模は小さい。ちょっとした岩礁という感じだ。
私が実際にこの目で見た軍艦島は、長崎と能登と東尋坊の3種類の軍艦島だけ。
でも、単に私が知らないだけで、日本には他にも軍艦島と呼ばれる島はあるのかもしれない。
ともあれ、長崎の軍艦島。今となってはこんなに有名になって一般的にもなって、より多くのことが人に知られるようになった。
ちょっと寂しいような気もする一方で、注目を浴びるようになったからこそ詳細がわかるようにもなってきており、その辺は嬉しくもある。
今の長崎の軍艦島の注目度や人気は、上記の2つの思いが重なり、私にとってちょっとだけ複雑ではある(笑)。
なまじ私が行った時はまだ上陸禁止だったから、なおさら。
この気持ち、分かってもらえるだろうか。
そのうち、能登の軍艦島や、東尋坊の軍艦島も、長崎の軍艦島のように、より一般的になるのだろうか。
そして、年月と共に少しずつ崩落が進んでいってると言われてる長崎の軍艦島は、いつまでその姿をとどめていってくれるのだろうか。
それは・・誰にもわからない。まだ。
人間も。鳥も。魚も。空も。海も。
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