最近のニュースです…今となってはちょっと古いかな?
外務省の公開した文書がど~たらこ~たらってやつです。
いまだに混迷を続ける「従軍慰安婦問題」ですが、
さまざまな理由で決着がつかないといっても、
決しておかしくはない状態です。
さて、そのさまざまな理由ということについてですが、
個人的に気になるものがございます。
それは「売春は合法だった事実がことごとく無視されている」ということ。
数ある職業の中の一つとして認められいたにもかかわらずにね…
あるいは「合法だった時の売春と違法である現在の売春とを混同している」
と言い換えたほうが分かりやすいかもしれません。
あ、ちなみに外務省が公開した文書の内容については、
特に興味はございません。
そういうことなので、ここでは全く触れませんのであしからず。
興味がある方はそういったブログ等をお探しになってくださいな。
現在は違法ですね。特に説明するまでもありません。
また、売春を「合法化せよ」という気も全くございませんし、
売春そのものの是非についても一切論じません。
しかし、歴史学の一環として慰安婦の実像を検証する場合、
合法と違法とを無視するということは、
非常に問題があると思っております。
その当時の社会システム全体を無視する行為となってしまい、
その当時の実像を把握できなくなってしまうことになるからです。
売春や買春を倫理的・道徳的に嫌悪する人は多いことでしょう。
売春が合法だった時代も「醜業」とされていましたから、
現在のように倫理的・道徳的に嫌悪する人がいたことも事実です。
そうであるならば、2019年現在の感覚あるいは社会的通念が、
当時の売春や慰安婦に対するものと同じであるかもしれません。
しかし、両者には決定的な違いがあります。
それは繰り返しになるかもしれませんが、
「合法と違法」といった、全く相反する事実が存在するからです。
「合法であった時の売春」に対しての社会システム等と、
「違法である売春」に対する社会システム等は、
はたして同列にすることができるのでしょうか?
同じこととして検証・分析できるものなのでしょうか?
この現象をもっとわかりやすく説明するとすれば、
スマホやケータイの存在がいいかもしれません。
この文章を読んでおられる方は、
物心ついたときからケータイやスマホがありましたか?
それともなかったですか?
当たり前のようにケータイやスマホがあった方は、
もしその機器がなかったらどうでしょう?
とにもかくにも不便ではないでしょうか?
そういった機器がなかった時代はどう思われますか?
物凄く不便で面白くない、
つまらない時代だった、と思われるではないでしょうか?
俗にいう「暗黒時代」になることでしょう。
ではでは、
ケータイやスマホがなかった時代を過ごした方、
特に青春時代を過ごした方は、
その「暗黒時代」の中で、
不便でつまらない日々を過ごしていたのでしょうか?
あるいは、そう思いながら毎日を過ごしていたのでしょうか?
自分は今年48歳ですから、
ケータイやスマホがなかった時代も経験しております。
だから、ケータイやスマホが非常に便利なツールであると同時に、
そのツールがなかった時代は、
それはそれで不便さを感じたことはありません。
つまり「暗黒時代」ではなかったということが言えます。
同じような経験をしてきた方も「暗黒時代ではなかった」
と、同意してくれるかもしれません。
2019年現在における通信手段の利便性を、
何も考えずそのまま過去に当てはめてしまうと、
その当時の実像とは乖離した状態を生んでしまうということです。
「暗黒時代」ではなかったのに、
「暗黒時代」にさせられてしまった、
あるいは勘違いされてしまったとか、
そういう感じに言い換えたほうがわかりやすいでしょうか…
つまり、実態や実像が違ってしまうというわけです。。
このような現象が「従軍慰安婦問題」でも、
起こっているような気がしてなりません。
倫理的・道徳的な是非はともかく「合法だった売春」なのに、
「違法な売春」という現在の社会的通念や社会的システムを、
そのまま無意識に当てはめてしまっているから、
「慰安婦」の実像が解明できなくなっているような感じがするのです。
「売春」の是非はともかく…
これが「従軍慰安婦問題」の混迷が続くなかにおいて、
数ある原因のひとつだと考えているのですが、
皆さんはどう思われるのでしょうか…