最後に1990年代と現在(2024)の違いを、
グーグルマップを参考にしながら、
もう一度確かめたいと思います。
今でこそ駐車場やトイレといったものが整備されていますが、
1990年代当時はそんなもの一切ございませんでした。
上記の画像のようにポツンと畑の中に石碑があり、
厳重に施錠された鉄柵もなく目印もなく、
かといって目立つような案内板もありません。
そうでありますゆえに、
もし道路沿いになかったならば、
見過ごしてしまいそうな場所にありました。
現にその当時はとにかく新城の集落を起点にして、
その県道沿いをレンタカーで何度か往復して、
やっと見つけたという記憶が蘇ります。
ホント、畑やビニールハウス以外は何も無いんですよ。
しかし、そのように畑ぐらいしかなかったからこそ、
今のように大型駐車場やトイレといった設備を、
平和学習のために充実することができたのですね。
ただ、2000年代の頃は、
近くの具志頭運動公園の駐車場にて、
観光バスが何台も駐車しているのをよく見ましたよ。
現在の駐車場がなかった頃です。
あれは多分、児童や生徒たちの平和学習でしょうね。
集団行動しているさまを時々眺めたものです。
それと、繰り返しになりますし、
上記の画像の見れば一目瞭然なのですが、
あの当時は鉄柵や鉄扉は全くありません。
そういうことでありますから、
比較的簡単かつ自由に入ることが可能でした。
しかし現在は事前予約やガイドの手配といった手続きが必要で、
なおかつガイド料等で料金が徴収されます。
だから勝手に中へ入ることができないことになっています。
自分ペースで何度も中へ入っていった1990年代に比べ、
その自由度が無くなってしまいました。
そういった意味では非常に残念ですが、
平和学習における安全上や永久的保全のことを考慮すれば、
ま、それはそれで必要な措置ではないかとも思いますね。
なお、八重瀬町戦争遺跡公園については、
1990年代には全く整備されていなかったので、
今回は案内板のみです。
というわけで興味がある方は是非、
このヌヌマチガマへ足を運んではいかがでしょうか。
勿論、八重瀬町戦争遺跡公園全体もです。
それが慰霊であっても平和学習であっても、
単なる観光旅行でも何でもかまいません。
「知ること・忘れないこと」を少しだけ具現化すれば、
それがいつしか慰霊となり学習となり、
そして記憶の継承となると信じておりますゆえ、
その人それぞれのペースで行ってみていただければと思います。
今回でヌヌマチガマは終わりです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次はガラビ壕です。