前回の続きです。
上記の画像は「カマド」の跡ですね。
アブチラガマ中央部にあります。
ちなみにですが、
日付が明記された画像しかアップロードしていません。
前回も同様です。
2020年現在のアブチラガマ内部では、
撮影禁止となっているからです。
内部での録音も禁止ということですが、
なぜ禁止なのかはわかりません。
もっとも、撮影に関してはフラッシュ必須ですから、
やたらにピカピカ光ったら眩しくて眩しくて、
平和学習どころではないかもしれませんね。
かといって、
そういったルールがあるのであるならば、
原則的にはそれに従うつもりでおりますので、
撮影禁止ではなかったと思われる1990年代の画像のみ、
しかも日付が明記されたものだけを掲載しました。
1996年7月5日に撮影したものです。
「カマドの跡」まで進んでしまえば、
陽光は全く差し込んできません。
真っ暗闇ですね。
「漆黒の闇」という表現が、
正に似つかわしいという感じです。
畑の真ん中にあるような位置ですから、
外の喧騒なんかあるはずもなく、
一切の外界から遮断された空間でした。
特に一人で入った時はそうでしたね。
あの暗闇は都市部ではもちろんのこと、
田舎でも体験することはできないでしょう。
自分はコンビニまで自動車で5分もかかるような、
栃木のクソ田舎に住んでいますが、
たとえ夜であっても星明りや街灯がありますから、
あんな暗闇を経験することができません。
なんというか、
「漆黒の闇」から受ける見えない圧迫感というか、
そのような重苦しさが、
それこそ無言で無音で伝わってくる感じです。
ヒンヤリとした空気も、
それを助長するかのような演出をしてくる気がします。
自分は幽霊や霊能者を全く信じてはいませんが、
その闇に対する不気味さだけはあったこと、
これだけは断言できます。
暗黒あるいは闇に対する恐怖というのは、
人間が持つ潜在的な本能なのでしょうかね…
戦争とはいえ、
このような場所で生活を強いられた「ひめゆり」たち、
兵士たち住民たちの苦難は、
フラッシュライトを消しただけで「追体験」できるような、
そんな場所でもあります。
さらに先へと昇ったり降ったり進んでいくと、
明らかに人工的な石垣が所々にあると同時に、
手すりや案内板が設置されていました。
ちょっと新しいような感じがあった記憶がありますので、
整備された直後なのかもしれません。
一時間以上かけて現在の「入口」側となっている階段までいくと、
やっと陽の光が届いていることがわかります。
その狭い階段を登り、
住宅地のそばまで無事に到着することができました。
この後も沖縄の友人といったりしましたが、
一人ではないという意識があったせいか、
あまり不気味さを感じはせず、
そういった意味では、
内部をよく観察することができましたね。
2020年現在では南城市が管理しているらしく、
糸数アブチラガマ案内センターにて受付等をしてから、
専属ガイドの案内で中へ入るシステムです。
1990年代は「入口」も「出口」も、
糸数アブチラガマ案内センターでさえなかった頃ですから、
単独で中へと入っていましたが、
ルールが設定されている以上、
一人で勝手に入るということは、
控えたほうがよろしいかと思います。
これで「ひめゆり」ゆかりの地巡り②糸数分室(アブチラガマ)を終わりにしたいと思います。最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。