空と無と仮と

1990年代の沖縄旅行 「ひめゆり」戦跡巡り⑤ 第一外科壕跡

観光客がひっきりなしに訪れるひめゆりの塔から、
国道331号線の糸満市街地方面へ沿って歩き、
十数分の所で私道というか農道というか、
自動車が一台くらい通れるような舗装道路を進めば、
伊原第一外科壕跡に辿りつくことが出来ます。
こちらもガマと呼ばれる自然洞窟ですね。

ひめゆりの塔の近くにありますから、
特に迷うことはありません。
自分も初めて訪れた時から、
ひめゆりの塔の無料駐車場にレンタカーを止めて、
徒歩で向かいました。

第一外科壕跡の前に駐車するスペースはあるのですが、
あまりお勧めしません。
地元の人たちしか使わないような細い道路ですが、
それでも通行の邪魔になるかもしれませんからね。
だから自分は常に歩いていましたよ。





糸洲の第二外科壕跡や、
山城の本部壕跡と同じように、
ひっそりと佇んでおります。

ただ、
第一外科壕跡へ訪れるたびに思ったのですが、
ひっそりしているとはいえ、
ひめゆりの塔が近くにあるという位置の関係上、
喧騒と静寂のギャップが激しいという印象がありますね。




石碑の下へ降りていくと、
画像のような千羽鶴や献花がなされていました。
平和学習や修学旅行や慰霊の方々でしょうね。

このガマは比較的大きいものですから、
上記の画像の奥へ入り込むことが可能でした。




とはいっても、
土砂崩れのせいなのか、
沖縄戦当時の艦砲射撃等で崩れてしまったのか、
上記の画像のように細く狭くなっています。
そのへんに関する情報は当時持ち合わせていなかったので、
分からないということだけしか言えません。

腹這いになれば進むことが出来るような大きさでしたから、
実際にそうやって中へ潜ろうとしました。

しかしフラッシュライトで奥を照らしてみると、
何だか泥のようなぬかるみか、
あるいは水たまりになっているような感じで、
入るかどうか悩みましたね。

それでも何度かトライしたけど、
そのまま奥へ行けるかどうか分かりませんでしたので、
結局は訪れるたびに断念してました。

自分は洞窟マニアではありませんから、
そういった場所で使うような装備なんて、
全く持っていませんでしたので…

それに可能性は低いかもしれませんが、
あんな狭い通路で崩落してしまったら、
完全に生き埋め状態でしたからね。
しかも一人で行動していましたから、
もしそうなれば誰にも気づかれません…

これは1990年代後半のお話ですので、
2020年現在はどうなっているのかについては、
ちょっとわかりません。
興味のある方はご自分でご確認くださいな。

第一外科壕そのものについては、
1990年代と現在とでは、
あまり変わっていないのではないでしょうか。
静寂さに包まれた雰囲気も、
ほとんど変わっていないと思いますよ。





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