観光客がひっきりなしに訪れるひめゆりの塔から、
国道331号線の糸満市街地方面へ沿って歩き、
十数分の所で私道というか農道というか、
自動車が一台くらい通れるような舗装道路を進めば、
伊原第一外科壕跡に辿りつくことが出来ます。
こちらもガマと呼ばれる自然洞窟ですね。
ひめゆりの塔の近くにありますから、
特に迷うことはありません。
自分も初めて訪れた時から、
ひめゆりの塔の無料駐車場にレンタカーを止めて、
徒歩で向かいました。
第一外科壕跡の前に駐車するスペースはあるのですが、
あまりお勧めしません。
地元の人たちしか使わないような細い道路ですが、
それでも通行の邪魔になるかもしれませんからね。
だから自分は常に歩いていましたよ。
糸洲の第二外科壕跡や、
山城の本部壕跡と同じように、
ひっそりと佇んでおります。
ただ、
第一外科壕跡へ訪れるたびに思ったのですが、
ひっそりしているとはいえ、
ひめゆりの塔が近くにあるという位置の関係上、
喧騒と静寂のギャップが激しいという印象がありますね。
石碑の下へ降りていくと、
画像のような千羽鶴や献花がなされていました。
平和学習や修学旅行や慰霊の方々でしょうね。
このガマは比較的大きいものですから、
上記の画像の奥へ入り込むことが可能でした。
とはいっても、
土砂崩れのせいなのか、
沖縄戦当時の艦砲射撃等で崩れてしまったのか、
上記の画像のように細く狭くなっています。
そのへんに関する情報は当時持ち合わせていなかったので、
分からないということだけしか言えません。
腹這いになれば進むことが出来るような大きさでしたから、
実際にそうやって中へ潜ろうとしました。
しかしフラッシュライトで奥を照らしてみると、
何だか泥のようなぬかるみか、
あるいは水たまりになっているような感じで、
入るかどうか悩みましたね。
それでも何度かトライしたけど、
そのまま奥へ行けるかどうか分かりませんでしたので、
結局は訪れるたびに断念してました。
自分は洞窟マニアではありませんから、
そういった場所で使うような装備なんて、
全く持っていませんでしたので…
それに可能性は低いかもしれませんが、
あんな狭い通路で崩落してしまったら、
完全に生き埋め状態でしたからね。
しかも一人で行動していましたから、
もしそうなれば誰にも気づかれません…
これは1990年代後半のお話ですので、
2020年現在はどうなっているのかについては、
ちょっとわかりません。
興味のある方はご自分でご確認くださいな。
第一外科壕そのものについては、
1990年代と現在とでは、
あまり変わっていないのではないでしょうか。
静寂さに包まれた雰囲気も、
ほとんど変わっていないと思いますよ。