上記の画像は1990年代当時使用していた地図帳です。
南部戦跡を巡るときは自力で探した場所が多かったのですが、
「山城本部壕」は比較的知名度が低いのにもかかわらず、
ご覧の通り地図帳に掲載されていましたので、
簡単に見つけることが出来ました。
とはいっても、
「陸軍病院戦没職員之碑」と明記されていて、
一見すると「ひめゆり」とは関係ないのかな~、
という感じにはなると思いますが、
紛れもなく「山城本部壕」ですね。
また「本部壕」というのは、
「ひめゆり」の本部があったというわけではなく、
「陸軍病院」の本部が移動してきたということになります。
その中に「ひめゆり」の女学生もいたというわけです。
この「山城本部壕跡」へ初めて訪問したのは、
マウンテンバイクで沖縄を縦断していた時でした。
これ見よがしにマウンテンバイクを写しましたが、
やっぱり、記念として残しておきたかったからです。
でもちょっとピンボケしてる…
ちなみにマウンテンバイクでの沖縄縦断については、
「1990年代の沖縄旅行 マウンテンバイクでほぼ縦断」編にて、
それなりに書いております。
ヒマでしょうがない方は読んでくださいな。
さて、名前は違うけれども、
その当時から地図帳に載っていましたから、
全く迷いもせず国道331号線から入っていきました。
とはいっても、
国道沿いには案内板みたいのは、
見落としたのかどうかわかりませんが、
無かったような気がします。
車が一台しか通れないような道路を、
地図に沿って進んでいくと砂利道になり、
とりあえず地図帳に載っている養鶏場を目指しては、
ガタガタと進んでいきました。
その養鶏場を過ぎてからすぐの右手、
砂利道沿いに「山城本部壕」はありました。
広い敷地の中に「沖縄陸軍病院之塔」がありました。
しかも頑丈なベンチが何列も並んでいて、
「結構お金かけてるなぁ~」というのが印象に残っています。
駐車スぺースもなく、
慰霊碑だけが建立されてる場所が多いなかで、
「山城本部壕」はこの当時から整備されていたのですね。
慰霊塔の右手側に比較的大きなガマがあります。
入口付近はちょっとした急斜面ですが、
中に入ると結構広かったですね。
湧水があったのかどうかは知りませんが、
結構ぬかるんでいました。
また、現在も規制や制限はありませんので、
ガマの中に入ることは可能なようです。
その際は汚れることを覚悟したほうがいいかもしれませんね。
ガマの中でも写真を撮ったのですが、
「アブチラガマ」と同様に暗闇ですから、
ことごとく失敗してしまいました。
だから入口の画像しか残っておりません。
レンタカーの車種を見れば、
20年以上前だとわかってくれるかなぁ~と思います。
アホ面とアホピースは見逃してやってくださいね。
この場所は現在もほとんど変わっていないのではないでしょうか。
静かに佇んでいるというような雰囲気がありますよ。
個人的意見ながら、
できれば今後も変わってほしくないところではありますね。