将来起こりうる食糧危機に備えて昆虫食、
特にコオロギを食材として活用しようみたいなことが、
まるですい星のごとく現れては沸き起こり、
同時にコオロギ食に対する凄まじいバッシングも、
これまた烈火のごとく立ち上がっています。
何がそうさせるのか皆目見当がつきませんが、
コオロギを食材にする試みに対しては、
特に反対する気はございません。
前提として健康被害がないということは当然ですが、
美味かったら美味かったでそれでよし、
食べたくないならどうぞご自由に…程度ですね、
自分としては。
日本の昆虫食として一番思い出されるのは、
どう考えてもイナゴでしょうね。
自分も小学生時代(昭和50年代の栃木県です)は、
イナゴをとった経験があります。
稲刈りあとぐらいの田んぼの畦道や土手で、
まずはビニール袋で集めておいてから、
1リットルのビンに詰め込みます。
でも奴らはホントすばしこいから、
たった一匹捕まえるのも一苦労でしたね。
あ、ちなみにその頃はペットボトルなんて普及しておらず、
コーラやファンタやスプライトといったドリンクは、
1リットルのビンで販売されていました。
その空ビンをお店に持っていくと30円で引き取ってくれるんです。
昭和時代の懐かしい「風習」ですね。
イナゴをそのビンにいっぱい詰め込んだらフタを閉め、
その後一週間ぐらい放置します。
それはなぜかというと、
空腹にさせたイナゴの糞を全部出させるためです…
確か…そういう風に聞きましたが、
記憶違いならごめんなさい。
それから佃煮にまで加工するのですが、
その際の工程はサッパリわかりません。
というか、その仕事は小学生の自分ではなく、
どう考えても大人の仕事ですからね。
そういうことで一切記憶がございませんが、
食べたら食べたでマズくはなかったですね。
見た目のグロテスクさも感じず、
「ゲテモノ」に対する耐性がこの頃からついていたのか、
普通にご飯のおかずとして食べていました。
そしてイナゴと同時に思い出すのが、
田んぼや用水路や池や川にいるタニシです。
ま、昆虫ではないのですけどね。
これも昭和時代の自分が中学生の頃のお話で、
数学の先生が雑談中に「タニシを食べた」ことを、
当たり前のように話してくれました。
なんでも、シジミやアサリのように味噌汁にしたそうです。
「ツーといえばカー!ガラッといえばタニシ汁!」と、
自慢気に叫ぶ先生の姿が鮮烈に蘇ってきます。
でもこんなこといきなり言われても、
現代の若い人には全く理解できないでしょうね。
自分もその当時即ち中学生時代でも、
正直言って理解できなかったですからね。
「ツーとカー」は即ち「ツーカーの仲」ですね。
「ガラっと」というのはつまり、
タニシ汁をよそった時に出るその音です。
これはシジミやアサリと同様なので、
簡単に理解することができるでしょう。
このことでわかることはシジミやアサリみたいに、
タニシ汁が普通に食べられていたことだと思います。
しかししかししかし…
そもそも、たとえ毎日のように食す味噌汁の具であったとしても、
自分はタニシを食べたことがないのです。
その頃の食卓にも出たことがありません。
いくら昭和の栃木のクソ田舎とはいえ、
タニシを食べる習慣なんてなかったのです。
数学の先生は自分の両親と同じ世代でした。
多分ですが昭和20年の前後に生まれて、
終戦後の食糧難を経験した世代だと思いますね。
とはいっても、自分にとって昆虫食といえばやはり、
沖縄のあのアフリカマイマイですね。
1990年代の沖縄で生まれて初めて見た時は、
自分は20代前半のクソガキで、
「とにかくデケェ~カタツムリだなぁ、おい」
というような第一印象でした。
「やっぱ沖縄はスゲ~よな」なんて、
その大きな大きなカタツムリは、
太古の昔から住んでいるものだと信じ、
沖縄の凄さを感じておりました。
しかし名前が示唆しているように、
その大きなカタツムリは外国産で、
しかも食料として輸入繁殖していたと聞いた時は、
これまた二度ビックリでしたね。
誰から聞いたのか忘れてしまいましたが、
これもタニシと同様に味噌汁の具として、
沖縄では食べられていたそうです。
ちなみに自分は食べたことがありませんし、
食べるのを見たこともないし、
定食屋のメニュー表にも書いてなかったなぁ…
そもそも1990年代頃には既に、
アフリカマイマイを食べる習慣さえ、
完全に消えていたのではないかと思います。
正直言って自分は沖縄の動植物に関しては、
特に好きというわけではなく、
かといって嫌いでもありません。
国場川あたりで見たティラピアも、
最初は沖縄原産の在来種だと思っていました。
ま、その程度の知識です。
なぜあまり興味がないのに、
食べたという経験もないくせに、
アフリカマイマイが印象深いのかといいますと、
やはりというか、あの大きな「殻」なんですね。
1990年代の前半に沖縄を初めて訪れて以来、
ずっと戦跡巡りガマ巡りをしていたのですが、
ガマの入口付近に大量の「殻」が多数放置してあるのを、
時々見かけていたからです。
それも数百個以上の「殻」が大量に落ちていました。
一番最初に思ったのは、
でかいヤドカリが落ちてしまい、
登れなくなって死んでしまったのかな?
ってな感じです。
この頃はアフリカマイマイの存在さえ知りませんでした。
でもそのガマの周囲を見てみると、
大量の殻と一緒に大量のゴミも捨ててあるんですね。
ひどいものだとブラウン管のテレビといった粗大ゴミまで…
90年代以前のガマはゴミ捨て場としても、
地元の人たちは使われていたんですよね。
ちなみにゴミを捨てたことについては、
それをとやかく言う気は全くございません。
2023年現在はちゃんと整備されているはずですし…
そういうことですから、
アフリカマイマイの殻もそこに捨てていたことを、
とある地元の方に伺って初めて知り、
それがヤドカリではなくカタツムリだったという事実に、
これまたビックリした経緯がございます。
とまぁ、コオロギから始まり、
イナゴから昆虫ではないけどタニシへ、
そしてカタツムリへと、
自分の浅はかな経験値で語らせていただきましたが、
コオロギをはじめとした昆虫食は、
果たして日本に普及するでしょうか。
あくまで個人的考察なのですが、
イナゴ・タニシ・アフリカマイマイには、
最初は食べていたが、
いつの間にか誰も食べなくなったという共通点があり、
それが当時の食糧事情と密接な関係があるのではないか、
と思うのです。
イナゴは江戸時代の不安定な食料供給(稲作)の補助として、
タニシは終戦直後の食糧事情を反映して、
アフリカマイマイは慢性的な食糧難からの脱却です。
これらは正に「今そこにある危機」な状態だと思います。
江戸時代は何度となく大飢饉が起こりました。
終戦直後の食糧難は特に説明するまでもありません。
沖縄の食糧事情は「ソテツ地獄」が代表的であります。
このような食糧事情が良好になると、
これらはほとんど食することがなくなりました。
唯一残ったのがイナゴですが、
現在では一部地域の特産品になってしまいましたね。
そういうことでありますから、
2023年現在が「今そこにある危機」にならない限り、
昆虫食は普及しないのではないかと思います。
ただ、だからといって昆虫食に対する研究等を、
無駄だからするなとは全く思いません。
昆虫食の習慣がない日本だから、
普及することにも時間がかかるということ前提に、
というような理解で事を進めたらいいのではないかと思います。
第一、アホなテレビのアホなバラエティ番組で、
アホなタレントが罰ゲームで昆虫食という「ゲテモノ」を、
アホみたい無理やり食べさせられ、
アホみたいに苦しんだり泣いたり、
あるいは苦しむ演技をしてみたり、
泣く演技をしたりして喜んでいるのがフツーな日本です。
昆虫食の普及はたとえそれが有益であっても、
必要以上に時間がかかるのが現状ではないでしょうか。