空と無と仮と

ひろゆき氏に対する「基地反対派」の猛攻撃

少数派を笑う多数派 基地問題の背景に無関心 モバイルプリンスさん

 放送を見ました。ひろゆき氏は、座り込みの背景にある米軍基地を巡る問題には関心を示さず、看板の表記がおかしいという論点に終始しました。
 多数派が突っ込みを入れて「論破」する。声を上げる少数の人たちをあざ笑い、黙らせようとする。ネットの反応もそうでした。番組のコメンテーターもひろゆき氏の言動と抗議活動をする人たちが「どっちもどっち」と口にしていました。
 県民投票で民意が示されても国が辺野古の新基地建設計画を進めている。日本全体でこの問題について考えてこなかったために座り込みをせざるを得ない人たちがいる。そうしたことを直視することなく、沖縄を巡る問題に無関心や無理解があることが、これらの言動につながっていると思います。
 この構図は長く続いてきたものと言えます。対話ができるかは分かりませんが、時間がかかっても、言うべきことは言い続けるしかないと考えます。(聞き手=社会部・棚橋咲月)

沖縄タイムスプラス 2022年10月8日 05:00


引用記事自体はちょっと古いかもしれません。

ただ、様々なひろゆき氏に対する攻撃がある中において、
典型的といってもいいほどの「論理破綻」を形成し、
それが非常にわかりやすく表れているので、
以下に考察してまいりたいと思います。

まず、今回の辺野古騒動について自分なりの考えを申しますと、
「誇大広告だから訂正したらいいんじゃね?」
といった認識であります。

もっとわかりやすくいえば、
「営業中」と看板に書いてあるのに、
店員が誰もいなかっただけの話で、
「店員がいなければ営業してないじゃん!」
と同じ感覚だと思っております。

だから「店員がいればいいだけじゃん」的な、
この程度の類いだと思っております。

それがなぜあのような騒動になるのか、
ちょっと理解できない部分があるのですね。

いや、騒動の発端はひろゆき氏にあるのではなく、
自分はいわゆる「プロ市民」による行為、
すなわち「正義の押し売り」が根底にあると思うのですが、
ま、それはそれとして別の長い話になってしまうので、
ここでは一旦置いといて先に進めます。

「モバイルプリンスさん」
沖縄にはそんな王子様がおられるのですか、そうですか…
沖縄で流行っている芸人さんでしょうか?
申し訳ありませんが、
そういった流行ものに疎いので悪しからず。

「多数派が突っ込みを入れて「論破」する」
「少数派を笑う多数派」からもわかると思いますが、
沖縄という「少数派」と日本という「多数派」の、
いわゆる対立構図ってやつですね。

ただし、
王子様がいうあの放送を自分も見ましたが、
ひろゆき氏を打ち負かそうとする連中のほうが、
断然多かったと思いますよ。
そういった意味では少数派なひろゆき氏でしたね。

この王子様の根本的な言い分はつまり、
「弱者」の少数派に対する「強者」の多数派、
もしくは虐げられる「弱者」「マイノリティ」の沖縄と、
それを蹂躙する「強者」の日本という構図ですかね。
可哀想なウチナンチューと横柄なナイチャーって感じ。

このカテゴライズというか構図自体は、
特に新しい考えというわけでもなく、
この構図を基本とする主張をなさっている方々も、
特に珍しいというわけではないと思います。
ていうか、いいか悪いかは別として、
昭和の頃から普通にありましたよね…

「多数派と少数派」という観点を通して、
今回の辺野古騒動を考えた結果、
ひろゆき氏やその賛同者を「強者」側として、
あるいは少数派の沖縄を「虐げる者ども」と、
声高に糾弾しているようにみえます。

要はひろゆき氏や賛同者を強烈に批判しているのですが、
それが論理的なことよりも感情的になっているということです。
沖縄タイムスも同様ということだと思います。
いや、むしろ沖縄タイムスが主張したかったことを、
この王子様が代弁してくれたのかな…

しかしながら、
「多数派と少数派」の構図を持ち出したというのなら、
大多数の思しき「基地反対派」に対する、
少数と思しき「基地賛成派」「基地容認派」の構図は、
どう捉えればよいのでしょうか。

「強者」の「基地反対派」に対して、
「弱者」の「基地容認派」と捉えることが、
当然の帰結のごとく可能なわけであり、
そうであるならば「強者」側に立つ「基地反対派」は、
この「弱者」や「虐げられる者」と定義される側を、
どのように考え捉えるのでしょうか?

でも、多分、完全な無視でしょうね…
例えば選挙で基地反対派が勝つと「民意だ民意だ!」となりますが、
その逆になると一切「民意だ!」と叫ばなくなる現実。
反対派が負けたのも民意なんですけどね…

つまり、この「多数少数派」という観点を、
何も考えず安易に安直に採用してしまうと、
自らの立場(基地反対派)が少数派になると同時に、
自動的に多数派(虐げる者の側)に立ってしまうという、
今風にいえば「ブーメラン」になってしまうってことです。
基地反対が「オール」「県民の総意」なら尚更ね…

「ブーメラン」とか「論理破綻」というよりも、
「墓穴を掘る」といった表現が適切なのではないでしょうか。

結局は弱者と強者という対立軸を利用して、
ひろゆき氏とその賛同者を悪者に仕立てあげようという、
典型的な印象操作でしかないということです。

こうなるともう、不毛な論争でしかないんですよね。
それがいまだに続いているんですから、
ホント、おかしな話です。

もっとも、自分たち(基地反対派)が「強者」とか、
虐げる者の側なんて絶対に認めないでしょうけどね。

最後に申しあげなければいけなのですが、
大多数の「基地反対派」と少数の「容認派」という構造自体、
自分は間違っているのではないかと思っております。

それはなぜかというと、
基地反対派勢力が沖縄県内の様々な選挙において、
勝てないどころか負け続けているという現状を考慮した場合、
実は反対・容認の比率が常に拮抗しているのではないか、
と思っているからです。

基地反対派勢力が勝てない理由は、
反対派と同等数の容認派がいる、
というということではないでしょうか。

ま、反対派勢力は絶対に絶対に認めませんでしょうし、
マスメディアも一切報道しないでしょうね…


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