空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 前編①

「鉄の暴風」と「ある神話の背景」の一騎打ち


 1950年(昭和25年)発行の「鉄の暴風」によって、渡嘉敷島の集団自決は陸軍の赤松大尉から「自決命令」が出されていたことが、渡嘉敷島や沖縄だけではなく、全国的にも知れ渡るようになりました。それにともない数々の著作や研究にて引用・孫引きされ、現在でも少なからず繰り返されております。
 それに対し、1973年(昭和48年)発行の「ある神話の背景」では、赤松大尉の「自決命令」は虚構であったという主張がなされました。しかも張本人である故赤松氏の証言によって、「自決命令」は出していないということが明るみになりました。
 誰がみても両者は真っ向から対立し、誰が考えてもどちらかが事実であるということになりますので、「ある神話の背景」の出現によって論争が開始されたということにもなります。

 そういった状況の中、1985年(昭和60年)に、両者の直接対決というものがありました。

 1985年4月から5月にかけて沖縄タイムスの紙面上にて、「鉄の暴風」の著者の一人である太田良博氏と「ある神話の背景」の著者である曽野綾子氏が反論・再反論といった形式で論争を展開しました。

 最初は1985年4月8日から18日まで、太田氏の「沖縄戦に神話はない「ある神話の背景」反論」が掲載され、その反論として5月1日から6日まで曽野氏の「「沖縄戦」から未来に向かって」が掲載され、太田氏の再反論として「土俵を間違えた人」が、5月11日から17日まで掲載されました。太田氏の連載は2回で曽野氏の連載は1回となります。

 「ある神話の背景」の初版は1973年ですから、その12年後になって初めて行われたということになりますが、なぜ1985年になってからこのような論争をしたのかはわかりません。
 ただ、太田氏の反論を読む限り、1980年代から「ある神話の背景」のほうに信ぴょう性があるといった風潮が、少なくとも沖縄戦研究者の間で広がっていた、というような状況だったのではないかと思われます。
 信ぴょう性を疑われた太田氏、あるいは沖縄タイムス社としては当然、看過することができないのは自明の理です。元々「鉄の暴風」はノンフィクションなのですから、極言すれば「嘘だ」と言われているようなものです。そういった経緯で太田氏と曽野氏の直接対決が、沖縄タイムスという新聞上で実現したのではないでしょうか。

 両論併記あるいは直接対決という体裁とはいえ、曽野氏が1回の連載に対して太田氏の連載が2回です。明らかに曽野氏のほうが不利ではありますが、「赤松大尉の自決命令」の有無という観点からすれば、それぞれの主張がより具体的に掲示され、それぞれがどのような考察によって自らの主張を展開するのかがわかる貴重な資料であります。

 ただ、個人的な意見ではありますが、2019年現在より34年前の沖縄タイムスについては、自らの主張に反対する立場を連載する器量の大きさ、度量の深さに感心してしまいました。しかしながら現在もそのような態度で、同じようなことをしているのかについては、残念ながら全く疑わしいということを言わざるをえません。

 そういったわけですので、今回からはできるだけ連載順通りに太田氏と曽野氏、あるいは「自決命令」があったとする側の主張と、「自決命令」はなかったと主張する側について、それぞれ考察・分析していきたいと思います。
 
 ただし、ここで「自決命令」があったかどうかの審判を下すつもりは毛頭ありません。
 当ブログの最終目的は「集団自決の実像解明」であって、日本や日本軍の戦争責任を追及ことでは決してなく、また、執筆者や当事者を糾弾したり執筆者や当事者の行動によって、その「善悪」を決めたりするものでもありません。

 それぞれの主張に「説得力があるか」、あるいは「納得できるものなのか」を念頭において、不審な点や不可解な点を考察・分析していくという姿勢であるということを、当ブログを読んでくださる皆様に対して、是非ともご理解していただきたいです。
 
 また、もうひとつ注意していただきたいのが、この直接対決は1985年におこなわれたもので、2019年現在からすれば34年前のことになります。
 従ってその34年間には証言等の様々な資料が新たに出現しており、1985年当時の状況とは少し様相が異なっているということも事実です。

 その中でも典型的な例が「自決命令」の有無から「軍命令の有無」あるいは「軍関与の有無」へといった、論点のズレが生じているという状況があります。現在では特に「日本の戦争責任を追及する」立場の方々によって、残念ながらそのズレが広がっている、という状況であるともいえるのです。いわゆる「論理のすり替え」ですね。
 この点につきましては当ブログ「言い出しっぺがほったらかし~で読む「挑まれる沖縄戦」」にて考察いたしておりますので、興味がある方は御一読をお願いします。

 論点のズレが生じるその結末には混乱しかありません。
 曽野氏と太田氏の論争は主に「赤松大尉の自決命令」に関するものですから、できるだけ論点のズレが生じないように、当ブログでの考察も「赤松大尉の自決命令」に絞りたいと思います。

 そして最後に申しあげたいのは、できるだけ太田氏・曽野氏の主張する全文を、実際に読んでいただきたいことです。
 しかし、連載の全文を当ブログに掲示することは技術的に可能ではありますが、著作権法等を鑑みてやめることにしました。

 自腹購入をお薦めすることはしませんが、新聞には「縮刷版」というのがあります。当然沖縄タイムスにもありますし、国会図書館は勿論のこと、都道府県立の図書館に所蔵されている可能性が非常に高いです。

 参考文献として付記しますので、興味がある方は是非とも連載の全文を読んでいただきたいです。


次回以降に続きます。


参考文献

太田良博「沖縄戦に神話はない「ある神話の背景」反論」『沖縄タイムス』1985年4月8日~18日

曽野綾子「「沖縄戦」から未来に向かって」『沖縄タイムス』1985年5月1日~6日(5日は休載)

太田良博「土俵をまちがえた人」『沖縄タイムス』1985年5月11日~17日(12日は休載)

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