快晴を見越してアルプス最後の200/300名山・霞沢岳に出掛けました。
【9/28、昭島駅-新宿駅BT-さわやか信州号-上高地BT-河童橋-明神-徳本峠分岐-徳本峠小屋泊り】
7:00に新宿駅前の高速バスターミナルに到着。
予約した7:20発のさわやか信州号一号車に乗車。
中央道を走行して上高地に向います。快晴の諏訪湖SAにて。
12:10に上高地バスターミナルに到着。初日は高低差640mの徳本峠越えです。
昼食と登山支度を終えて上高地BT-1504mを12:25に出発。
快晴の日曜日です。賑わう観光客や登山者の中、5分で河童橋に到着。
目前に明神岳が聳えています。予想以上に紅葉が進んでいました。
河童橋から岳沢-穂高連峰を撮影。透明感がイマイチでしょうか。
背後には焼岳が見えています。
河童橋の頭上に、今回登る霞沢岳の稜線が見えます。
梓川に沿って明神に向います。
左手の木々の間から明神岳の岩壁が望めます。
行き交う観光客の合間に軽装の登山者とすれ違います。
外人さんも目立ち、人気の上高地ウォークを楽しんでいます。
明神岳の紅葉が見事です。穂高連峰や涸沢の紅葉は週末がピークでしょうか。
13:10に明神に到着。ここまでが一般観光エリアです。
穂高奥宮と背後の明神岳を撮影。穂高の山並みに雲が掛かってきました。
この先から人混みが消え、5分程で徳本峠分岐に出ました。
右折して徳本峠に向います。ひっそりとした林道になりました。
緩やかな登り坂の砂利道を進みます。
林道終点に軽トラック。徳本峠小屋の営業車ですね。
ここから狭い登山道に入ります。
時折り下山者とすれ違いますが、熊鈴は不要でしょう。
砂利林道から沢沿いの登山道に入り、傾斜が増してきます。
背後の明神岳をチラ見しながらゆっくりとジグザグ道を登ります。
前方の樹林帯に日が当ると七色に輝きます。
陽射しが強く、木陰になると涼しさにほっとします。
最後の水場がありました。沢水のためパスして14:30に通過。
よく踏まれた道で重装備でも安心して歩ける「歴史の峠道」です。
背後の明神岳を見て標高差を確認できます。
14:50に徳本峠分岐を通過。左折して徳本峠に向います。
午後の陽射しがきつく、汗をかかない様にゆっくりと登り詰めます。
14:55に徳本峠-2140mに到着。初日は高低差640m、2.5時間の登りでした。
長野県松本市の常念山脈南部に、標高約2,140 mの徳本峠(とくごうとうげ)がある。梓川の支流の
島々谷川南谷(峠沢)及び黒沢源流部の分水嶺となっている。江戸時代の寛文年間から、島々から徳本峠を
越える道は木材の搬出や炭焼きなどの生活を支えるルートであった。弘化年間に徳本峠から上高地へ下った
白沢出合に「徳吾の小屋」の牛番小屋があったことが、「徳本峠」の名称の由来の一説とされている。
峠のテント場から明神岳が望めます。
徳本峠小屋の受付と支払いを済ませて新館二階に案内されました。
1923年(大正12年)に上高地温泉株式会社が徳本峠小屋を開業。1927年(昭和2年)に上高地が日本新八景
に選定されると、徳本峠越えの上高地へのルートがメインルートとし多くの人に利用された。1933年(昭和8年)
に上高地にバスが乗入れられると、徳本峠を利用する人は少なくなった。その後、徳本峠小屋は「昔ながらの
峠の小さなランプ小屋」として親しまれ、2010年(平成22年)に新館が旧館の隣に新設され、大正時代の旧館
は資料館として改修維持されている。その旧館(休憩所)は2011年に国の登録有形文化財に登録された。
旧館と新館が並ぶ徳本峠小屋。満室に近いようで、一人80cm程の寝床です。
17:30の夕食まで周辺を散歩します。
昨日満杯だったというテント場。今日は二張りで霞沢岳に登っているようです。
霞沢岳-明神岳当りの標高が、紅葉真っ盛りという印象です。
西側近くに「スタジオジャンクション」と呼ばれる穂高岳の見晴らしの良い展望地があります。
樹林帯が開けて西穂-ジャンダルム-奥穂-明神-前穂が一望できます。
奥穂高岳のガスが晴れるのを一時間程待ちました。
ポツリポツリと登山者が霞沢岳から下山してきます。
昨日は小屋泊りの方で、御嶽山の噴煙を見て不思議に思っていたそうです。
峠の南側の景観、小嵩沢山とあります。
17:30から夕食。噴火被災者のニュースを見ながら保険はどうなるか等が話題になりました。
夕食の間に夕暮れとなり、夕焼けは見られませんでした。
新館二階の寝床です。旧館にも宿泊している混み具合でした。
20時に就寝。寝つきは静かでしたが徐々にイビキが響いてきます。
深夜のトイレでついでに夜空を撮影。明日も快晴ですね。
明日は霞沢岳を往復して上高地BTに下り、直行バスで日野BS経由で昭島に帰ります。
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