熊 今日はどこに出没!!

今日はどこへ行こうかな 

エジプト・カイロ観光

2012年11月01日 | 旅行

エジプト・ポートサイド寄港二日目。
私はピラミッド群の観光ツアーを選択してカイロに向かいます。

【6/5、ポートサイド-カイロ-階段ピラミッド-三大ピラミッド+スフィンクス-ポートサイド】

朝焼けの中、5時に下船してツアーバスに移動。

深夜2時まで営業していた露店前を通過。
今夜も出港直前まで粘って商売することでしょう。

港ゲートの外でツアーバスに乗車。
朝食代わりの軽食ボックスが支給されます。

 

観光バス30台の前後に観光警察の車両が付いてコンボイがスタート。

 

交差点やゲート、検問所等は優先的に通過できたようで、
周囲の皆さんには大迷惑ですが、珍しそうに観光バスの車列と日本人を見上げていました。

 

暫くはスエズ運河に沿って走行し、カイロまで3時間強の道程です。

 昨日通過した「エジプト日本友好橋」との交差点を通過。

大型観光バスは見当たりません、観光国復活には時間が掛かりそうですね。

 

二本の高い塔を持つ様々なモスクが沢山ありました。

 

 

混み合う駐車場と交差点、鉄道か定期バスに乗り換えるポイントのようです。

今日は火曜日、仕事に向かう人達でしょうか混雑しています。

 カイロ空港脇を通過、広い砂原で滑走路や航空機が見えませんでした。

 

ナイル川を渡ります。二年前に予定したナイル川観光クルーズが、
アラブの春で中止になりましたので、機会があればいつか訪れたいですね

 カイロ市内に入ると建設中らしきビルが多く見られます。
素人風のレンガ積み構造で新築、改築、取り壊しかは判断できませんね。
エレベータ塔は見当たりませんので階段のみのビルでしょうか。

途中からコンボイと分れて私達のバスは「サッカラの階段ピラミッド」に向かいます。

 

【サッカラ遺跡の階段ピラミッド】
カイロから西南方向に20kmほど行ったナイルの西岸に、ギザ台地に連なる石灰岩の台地がある。
ここには古代エジプトの古都メンフィスのネクロポリス(古代の墓地)として第一王朝のころから
多くのマスタバ(煉瓦で造った墓)が造られていた。
現在そこにはエジプトで最初に造られたといわれるピラミッド、ジョセル王の階段ピラミッドがある。

ジョセル王は古王国時代第3王朝(B.C2686-2613)の2代目のファラオであるが、階段ピラミッドは
臣下の有名な建築家イムホテプが、王を埋葬するために建造したものと言われている。
元の高さ60m、底辺の長さ東西123m、南北107m、ただし、このピラミッドは第3王朝期に造られて以来、
第5王朝期まで数回にわたって拡張され、
今日の姿になっている。

閑散とした駐車場に到着し、ジョセル王複合体への入口から入場します。

入口から真っ直ぐ西に向かって延びる回廊の列柱廊を通って広い中庭に出ます。
一番人気の「ギザの三大ピラミッド」と違い、観光客はチラホラです。

 物売りや駱駝業者、乗馬業者も数える程で静かな遺跡です。
落ち着いてゆっくりと階段ピラミッドを見学できましたが、補修中で周回はできませんでした。

セド祭が行われた広い中庭の東側に神殿や礼拝堂があります。

 

周辺の砂漠を見渡すと崩れかけたピラミッドが多数見えます。
エジプトには大小幾つのピラミッドが存在しているのでしょうか。

全てを修復するまで何年かかることやら大変ですね。

ここで心配した砂塵の影響でズームレンズの動きが渋くなりました。
そっとティッシュでクリーニングし、以後はタオルでカバーしながら撮影。
後で衣類を洗濯してみると水が薄っすらと茶色に濁り、微細な砂塵が入り込んでいました。

バスに乗車してレストランの昼食会場に移動。

 

昼食会場ではエジプト名物の砂絵を実演販売中。
手早く見事な砂絵を描きながら瓶に詰めていきます。

昼食は、ナン、ライス、串焼き、ソーセージ等多種多様で美味しく、食べきれない量でした。

このツアーはバス2台62名で、小人数での昼食は快適でした。

 

 手伝いの男の子は17歳の高校生で、しきりにボールペンをほしがります。
皆さんが何本か集めて渡しましたが、日本製ボールペンが子供達に人気だそうで、
エジプト旅行の際には皆さんもお持ち下さい。

 

定番の土産店に立寄り、エキゾチックな土産物が沢山揃っていて時間が足りませんでした。

目玉は18金のカルトウーシュ。
象形文字で名前を彫ってくれますが価格を聞いて止めました。(3~5万円+金鎖)

金・銀細工、宝飾品、レザー製品、ファラオを偲ばせる古代ファラオのお守りスカラベ(甲虫石)、
メホルスモの聖なるハヤブサ(魔除け・幸運)等をはめ込んだブレスレッドや指輪、イヤリング、
黄銅製品や銅製品、パピルス製品、香水瓶、ファラオ関連の有名なアンティークの複製品、

エジプト綿製品(様々な色柄のシャツ、民族衣装ガラベーヤやカフタン)等も、高級品から
手頃な値段の物まで豊富に揃っています。トレー、大皿、燭台、シガレットケース、灰皿など

の銀製品、象眼細工の箱(あるいは木)に入った宝飾品なども心ひかれるアイテムです。

 

港の露店で買った格安のTシャツは広げて見ると太陽にさらされた部分が変色していました。
何年間も店に並べられていたようで、要注意です。

カイロ市街に戻るとビルの頭上に三大ピラミッドが見えてきました。

 

カイロ近郊にあるギザ台地の三大ピラミッドとスフィンクスを見学。
現地ガイドは、吉村教授の遺跡発掘やNHK取材班のガイドも務めたそうです。

『日本人は砂漠の奥にピラミッドがあるように思い込んでいますが、NHKさんが
ピラミッド映像にカイロ市街が写らないよう細工したせいですね。』
と笑っていました。

【クフ王の大ピラミッド】 
 クフ王のピラミッドはエジプト最大のピラミッドであり、「大」を付けて呼ばれる。高さが137m
(創建時の高さは146m)、底辺が230mの正四角錐形で、平均2.5トン、約230万個の石が使用されている。

 

 解説後にガイドから離れて歩き出すと、すぐに物売りが近寄ってきます。

             ◎ トモダチ、プレゼントと言いながらTシャツ等を押し付けてきます。
             ◎ うっかり受け取った叔父さんは次から次と品物を押し付けられてセット料金を請求されています。

私は体を回転させて押し付けた品物が地面に落ちた隙に走って逃げました。
その後も4人位に追いかけられましたが、グループ内に戻るとガイドが追い払ってくれます。

【カフラー王のピラミッド】 
 カフラー王のピラミッドは、底辺の長さが約214.5m、高さが約143.5m、で
完成当時の大ピラミッドと比較すれば、ほんの少し小さいことになる。
 このピラミッドには、創建時に表面を覆っていた外装用の石が上部に残っている。
滑らかに磨かれた外装石がピラミッド全体を覆い、太陽の光を浴びて燦然と輝いていたと想像される。
 また、ピラミッド・コンプレックス(ピラミッド複合体)を構成する参道や河岸神殿などがよく残っている。

大ピラミッドの剥き出しの大石を二段登って記念撮影。2.5トンの巨石はでかいです。

 

 バスに乗って奥にあるピラミッド展望台に移動します。

 三つ目のピラミッドですが、従者達のミニピラミッドもありました。

【 メンカウラー王のピラミッド】
 3大ピラミッドのひとつであるが、最も規模が小さい。底辺の長さは105m、高さは65.5m、で
どちらも大ピラミッドの半分程度である。体積は大ピラミッドのおよそ8分の1となる。
 なぜメンカウラー王のピラミッドだけが小さくなったかについて、一説には設計の段階で
メンカウラー王が急逝してしまったために、後をついだシェプセスカフ王によって着工されたのだが、
すでに王国の財政基盤が弱まっていたので、規模を縮小して節約をはかったのだといわれている。

三大ピラミッドが一望できる展望台にて記念撮影。

ガイドが2ドルで斡旋した駱駝に乗るだけの記念撮影。
(30人が乗り降りする度に両脚を折るため、疲れた駱駝が中々動きません、
ムチで叩かれては悲鳴をあげて可哀相でしたが・・・)

 

砂漠巡りは10~20ドル以上要求するようです。

再度バスに乗車してギザ台地の下にある「スフィンクス」に移動します。

【ギザの大スフィンクス】
 スフィンクスはカフラー王のピラミッドの守護神として造られ、その顔もカフラー王を模したものといわれてきたが、
最近ではギザ台地で最も時代の古い建造物がこのスフィンクスであるという説が一般的になっている。
スフィンクスの役割については謎が多く、ギザ台地のピラミッドの謎を解く鍵が隠されている。
 このスフィンクスが、カフラー王のピラミッド(第2ピラミッド)を守護する目的として造られたのであれば、
必ず一対になっていなくてはならない。古代エジプトでは、オベリスクが必ず2本で1対であるように、
対称性が重要視された。ところがギザのスフィンクスは1体しかない。まだ謎だらけなのだ。

 有料ゲートを通過すると内部にも物売りがいます。警官もいるのですが。
男性と子供が多く、女性は少なかったです。

  

 スフィンクス神殿から眺めたスフィンクスとクフ王の大ピラミッド。

 子供達が「ベストボジション」と叫んで手やカメラを引っぱります。
⇒ 定番の撮影位置と決めポーズを教えて「ワンダラー」、シャッターを押してあげて「ワンダラー」

私は無視して撮影、気になったスフィンクスの尻尾を確認できました。

  

くわえ煙草の男が左手に売り物を引っ掛けて「ワンダラー」と右側からしつこく擦り寄ってきます。
「ノーマネー」と無視していると、いつのまにか左横に煙草の臭いがしました。

臭いので「ノースモーク」と言って左を見るとビックリ、男の顔が真横にあります。
左手に売り物、右手は私のポシェットの中に差し込まれてサイフに指が掛かっていました。
右手をバシッと叩いて「この野郎何をするんだ」と怒鳴ると、男はクルリと背中を見せて
逃げましたので腰を思いっきり蹴ってやりました。

傍にいた女性が「見事な撃退ですね」と言うので、私はサイフに手を掛けたから蹴飛ばしたと説明。
チャックを開けられて気付きませんでしたが、幸い煙草の臭いでサイフは盗られませんでした。

これが女性だったら、煙草を吸っていなかったら、子供だったら盗られていましたね。

 世界遺産は堪能しましたが、「ワンダラー攻撃」と「スリ兼業」に閉口しました。

 バスに戻ると今度は売り子が「10枚千円」とTシャツを掲げていました。
手持ちのTシャツはサイズも色もバラバラで10枚も買える状況にはありません。
帰る時が一番の値下げになるようですが、仕入れ値は一体幾らなのでしょうか。

帰路も観光警察とコンボイを組んでポートサイドに向かいます。

 スエズ運河から見えた列車で、ディーゼル機関車ですね。

モスクと戦争記念の戦車でしょうか。

 

途中で他コースのバスを待って合流しましたが30分のロス。

こちらはジェット戦闘機の展示。

 

帰船リミットの19:00には間に合いませんが、集団行動では問題なし。

エジプトの大地に沈む夕日を撮影。

薄暗くなった港に戻ってきました。

20:00前には船に戻れました。

船で夕食を食べてから出港準備を見学。

傍の道路を集団が旗を振り、大声を上げながら行進しています。
デモ行進かと思いましたが、どうやら選挙に向けた応援行進のようです。

21:20に出港。ここから地中海に乗り出します。

中近東・アフリカ大陸から離れてヨーロッパ圏に入りました。

 航路図は地中海に貼り替わり、次はギリシャのミコノス島を目指します。
やはり、地中海航路とヨーロッパの各寄港地は一番期待します。

 

同室の方はピラミッド見学中にディパックのサイドポケットからデジカメを盗られました。
スフィンクスで子供にカメラを引っ張られて落下し壊された方。
写真を一緒に撮ったら一ドル、押してもらったら一枚一ドル払った方。
いきなり持ち上げられて駱駝に乗せられ、金を要求された女性。

色んな被害が発生したピラミッド観光でしたが、政情が安定すれば改善されるでしょうか。
エジプトの魅力は、偉大な古代文明と今に残る素晴らしい遺跡群です。
今のエジプトは、深まる貧困と貧富の格差に悩み、一部にはイスラム原理主義グループの巣窟となり、
アラブの春で観光収入が激減した最下層の人達を直接見たことで、ピラミッド見学には
二度と来ないぞと皆さんが思わされた旅となったようです。

私は親切な方達にも会えましたので、次はナイル川クルーズでそっと古代遺跡を訪れたいですね。


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