熊 今日はどこに出没!!

今日はどこへ行こうかな 

白馬連山フラワーロード初日

2014年08月11日 | 登山

白馬岳-雪倉岳-朝日岳の縦走に出掛けました。
過去二回は集中豪雨で撤退し、三度目の正直に期待です。

【8/2、昭島駅-立川駅-白馬駅-猿倉-白馬尻-大雪渓-白馬岳頂上宿舎泊り】

0:07に昭島駅出発。立川駅でムーンライト信州81号に乗換えます。

急病人による遅れで0:40に乗車。車内でE社山岳ツアーのガイド、参加メンバーと合流。

アイマスクを着けて5:40の白馬駅到着まで仮眠。車内灯が消えないため熟睡できません。

 

快晴の白馬駅でタクシー二台に分乗し、登山口に向います。

6:05に登山口の猿倉-1240mに到着。大勢の登山者で大混雑です。

参加者は女性七名、男性一名、ガイド+サブガイドで総員10名です。

 

6:30に猿倉-1240mを出発。今日は高低差1500mの登りになります。

林道から元気に歩く登山者にどんどん追い越されます。

 

快晴の白馬岳-小蓮華岳の稜線。

 

三度目の白馬岳は初めて快晴になりました。今日は暑くなります。

 

狭い登山道に入ると追い越しは無くなりました。

 

白馬尻の小屋が見えてきました。

 

7:45に白馬尻-1560mに到着。ここも大混雑です。

  

女性のトイレ待ちに時間を取られ、8:10に白馬尻を出発。

 

8:35に大雪渓の末端-1630mに到着。

 

簡易アイゼンを装着し、安全のためストックを使って登ります。

 

8:40に大雪渓の大行列に並んで歩行開始。

この日は2000人位の登山者が登ったようで、富士山並みの長い行列になりました。 

快晴の暑さから、雪渓の冷気で一気に涼しくなりました。

ザケた雪面をゆっくりと進みますが、次々と行列を追い越す元気な登山者が目立ちます。

大雪渓終点の葱平尾根取付が見えてきました。

 

山岳パトロール員が立ち止まらず前に進むようアナウンスしています。
しかし、へばった登山者達が道を塞ぎ、50m程登ってやっとスペースを見つけました。

 

アイゼンを外して休憩。ここから高低差500mの本格的な登りになります。

前半の大雪渓まで頑張りすぎた方達には厳しい後半になります。

 

いよいよフラワーウォッチングが始まりました。総てガイドの解説付きで花々をチェックします。

 

葱平尾根の大渋滞は動けないようで、ポツリポツリと登り始めるような状況です。

 

道の両脇に雪解け水が流れ、水音に癒されます。

 

小雪渓のトラバースにも大勢が控えています。

 

杓子岳がやっと姿を現してくれました。三度目の大雪渓通過で初めてです。

 

アイゼン不要と判断し、すれ違いのタイミングを見ながらトラバースします。

 

12:35に避難小屋-2370mを通過。ここで女性が足の痙攣で停止。

 

小屋の先の水場で30分の大休止を取り、漢方薬を飲んだ女性の回復を待ちます。

 

13:20にお花畑の表示を通過。フラワーウォッチングが続きます。
宿泊する白馬岳頂上宿舎が見えてきましたので、ゆっくりと進みます。 

 

参加女性が次々と質問してメモを取る熱心さです。

山岳パトロール員が写真ボードを掲げて高山植物をアピールしています。

 

国有林の看板前で30分の大休止。フラワーウォッチの会話が続いています。

 

14:00に出発し、宿舎まで最後の登りを頑張ります。

 

左右のお花畑に目を向けながら進みます。

 

杓子岳の奥に鑓ケ岳も姿を見せてくれました。

フラワーウォッチは小さな花や葉・茎の形状まで及び、私にはチンプンカンプンです。

 

 

14:40に白馬岳頂上宿舎-2730mに到着。高低差1500m、9時間、7,000歩の登り道でした。
雪渓を2~3歩毎に1歩休むというスロースピードで、歩数計が正しく補足できなかったようです。

 

山頂直下に日本最大の山小屋、白馬山荘が見えます。
800名収容ですが、布団一枚に二人で1500人位が泊ったようです。

江戸時代の中期頃までは信州側では「西岳」や「西山」と呼ばれ、越中や越後では白馬岳・小蓮華山・白馬乗鞍岳
を蓮の花に見えることから「大蓮華岳(山)」と呼ばれていた。今でも北に連なり新潟県の最高峰である小蓮華山
蓮華温泉にその名残が見られる。また西側の越中では上駒ヶ嶽と呼んでいた。これに対する下駒ヶ嶽が北に存在
している。 「しろうま岳」の名前の由来は春になると雪解けで岩が露出し黒い「代掻き馬」の雪形が現れることか
「代掻き馬」→「代馬」→「しろうま」となったものである。つまり本来の表記は黒い「代馬岳」であったわけである。

1883年に北安曇野郡長と大町小学校長渡辺敏ら登頂の際に、「白馬登山記」の表記を残している。 1915年
(大正2
年)には陸地測量部による五万分の一の地形図に「代馬岳」ではなく「白馬岳」と記された。地元で
「しろうま岳
」が早くから「白馬岳」と記述されていたことによる表記の変更であることをうかがわせる。
「白馬」は「しろうま」の当て字であるから「はくば」と読むのは本来は誤りだが、地元で「白馬」を「はくば」と読
ことは古くから行われており、白馬山荘をはじめとする白馬連峰一帯の山小屋を経営している株式会社白馬
は、1890年に現在の白馬駅前にあたる場所に登山者向けの旅館「山木旅館」を建設し、1916年には「白馬館」
と改名した。また、1906年には現在の白馬山荘の位置に山小屋「頂上小屋」を設置し、1915年には「白馬山頂
小屋」
と改名している。また、1908年には白馬尻小屋を設置しているが、これらは「白馬」を称した当初から
すでに「は
くば」と読ませている。

その後も1956年(昭和31年)9月30日に合併で発足した白馬村は「はくばむら」と呼ばれ、1932年(昭和7年)
11月
20日に開業した大糸線信濃四ツ谷駅は1968年(昭和43年)10月1日に白馬駅と改名され「はくばえき」と
呼ばれてい
る。現在では山と高山植物の名称以外の多くが「はくば」と読むのが正式名称とされており、「しろうま」
と読むこと
は誤りである。この山を「はくば」と呼ぶことは地元の村民を中心に一般化しており、山の名も含めて
「しろうま
」と読む人はほとんどいない。すべての「白馬」のつくスキー場もすべて「はくば」が正式の読みとなって
おり、
スキーヤーも「はくば」読みが主流であるが、登山ガイドブック・登山雑誌に一時期「はくばの読みは
おかしいと
」いう主張が掲載された影響により、登山者は「しろうま」派が現在でも主流である。
最初にこの山で発見された高山植物の和名には、「シロウマ」を冠するものは多数あるが、「ハクバ」を冠する
のは全くない。学術的な名称には山の正式名称が採用される傾向にあるからである。ただ、動物では
ハクバサンシ
ョウウオが存在する。これは白馬岳ではなく白馬村から名付けられたからである。

 

特別個室の四人部屋に三人で贅沢な宿泊となりました。

皆さんは生ビール、私はアイスコーヒーで快適な大雪渓登山に感謝。

 

ガイドの案内で宿舎周辺のお花畑を回りました。

 

17時頃から夕立になり、豪雨が二時間程降り続きました。登山者はまだまだ登ってきています。

18時からバイキング形式の夕食。残飯を出さない工夫でオカズを選べて満足しました。

雨が止んだ19時に夕景を見に出ます。明かりが灯った白馬山荘と山頂方面。 

大雪渓と白馬村方面。明日も快晴に期待です。

20時に就寝。明日は3:30に起床して朝食待ちに並び、4:30に朝日小屋に向けて出発します。

夜半のトイレ時に小屋の外を確認。雲の合間に星が少し見えました。


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