国が国民を守ると多くの人が錯覚している。しかし、そうではない。
例を挙げればきりがない。
例えば、北朝鮮による拉致事件が象徴的な事件である。
例えば、TPP協定のISDS条項である。TPPが成立されることになれば、国民を外国企業から守ることができなくなる。
なお、TPPが如何に胡散臭い協定かは、その内容を30年間秘密にする秘密保持協定があることで分かる。
例えば、原発の再稼働である。
国が国民を守ると多くの人が錯覚している。しかし、そうではない。
例を挙げればきりがない。
例えば、北朝鮮による拉致事件が象徴的な事件である。
例えば、TPP協定のISDS条項である。TPPが成立されることになれば、国民を外国企業から守ることができなくなる。
なお、TPPが如何に胡散臭い協定かは、その内容を30年間秘密にする秘密保持協定があることで分かる。
例えば、原発の再稼働である。
特に、原子力村に色濃く立ちこめる無責任はなぜ、蔓延しているのか。
昔は、恥の文化があったのに、いつ頃その文化が霧消したのか。
ここで、日光東照宮の「見ざる、聞かざる、言わざる」(一説に、孔子の論語に由来するとされる)は、その無責任を表現しているのではと曲解されがちであるが、真意は全く逆で、道徳・倫理を説くものである。
下記の文言は、詩人、宮澤章二の詩集「行為の意味」の中の日常風景の一部であるが、無責任を表現しているのではないか。無責任とは、「どっきと」しないことである。
見えるものさえ見ない 怠慢
うっかりしていて気づかない 不注意
知り得ることさえ知らない 無気力
ーーーーその恐さにどっきとする瞬間がある
何時もの如く、自分が言いたいことだけを言い、時間を制限して他者の疑問に答えない卑怯な会見である。
記者会見は、国民へ政策等を説明する絶好の機会であり、十分な時間を割くのが欧米の習慣であるのと大違いである。
民主主義の未発達の一面を曝け出す。情けない。
舛添要一東京都知事私的費用の流用問題でやり玉に挙げられ足をすくわれる
姿勢が甘いと言うことでは済まないと思う。選良たるもの、厳しく自己の姿勢を正すことを常に心掛けるべき。「やることをやれば、多少の緩みは目をつぶれ」とする態度は傲慢という他ない。
この人達(組織等)は、他の地域あるいは日本国民全員の命を賭けて、自分たちの生活を優先していることを十分に認識すべきである。万一、事故が起きたときには、福島の事故を経験した後では、被害者顔はできないことを肝に銘ずべき。被害者ではなく、日本国民に対する、日本国民の将来世代に対する加害者である。国民全員の所得税増税などはトンデモナイ。