ボランティアサークル「ビーンズ会」

ビーンズ会の活動内容などを紹介。
ボランティア情報や事務局長(私)の日常など・・・。

美味しいケーキ

2009-04-23 11:06:53 | 耳より
私の友人に遠藤善衛という菓子職人がいる。秋田市の旧鉄砲町(白根病院近く)明治から続く老舗の和洋菓子店「ぜんげつ堂」で、彼が5代目当主にいずれなる。毎日の味見のせいか、メタボである。が、人懐っこいニコニコ顔は、周りのものを安心させる。
彼とであったのは、95年に秋田で開催された全国ボランティア研究集会の時である。彼は「ててぽぽ」という乳児院のボランティアをしているグループの事務局長をしていた(現在は会長)。
打ち上げの時に、一緒に酒を酌み交わしたのだが、当時私は創作活動や、患者の自治会活動に多忙の日々を送っていたのだが、それを手伝ってくれると言うことだった。
そんな出会いから14年経つのだが、その間に、いろいろな機会に私から引っ張り出され、随分私に振り回されたのではと思う。そんなあなたにありがとう。
今彼は、店と菓子組合の青年会長と多忙の日々を送っているようだ。
その彼が作るケーキは、生地がふわ~としていて、口の中に入れると解ける様な感じ。味もさっぱりした甘味があり、私の妻は大ファンである。事ある毎に、ケーキを買ってくる。誕生ケーキも決まってぜんげつ堂。
何かの都合で他の店のケーキを食べた時に決まって言うのが「やっぱりぜんげつ堂のケーキが1番」
近くに言った時は是非お試しあれ。
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曇りです。

2009-04-22 15:07:51 | 
今日は朝から曇りです。私もぱっとしません。
さて、今日の夕方は上のこのスポ少デビューです。
なんと剣道。どうやらクレヨンしんちゃんを見て、剣道に興味をもったようですが、どうなることやら。まあ、礼儀の正しさを身に付けてくれたら申し分ないのですが・・・。
毎週、亀田に通うことになるわけだが、最初の2ヶ月くらいは、親がついてないといけないんでしょうね。
息子には頑張って欲しいものです。
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有償ボランティアって何?

2009-04-21 13:23:02 | ボランティア
テレビなどで時々「優勝ボランティア」という言葉を耳にします。
ウェブでは膨大な数が流れています。
「有償ボランティア」って何?本来ありえない言葉をくっつけた造語。
ボランティアはボランティアであって、有償・無償の言葉をつけること自体間違いなのに、日本人は平気で使っている。
以前、AKTでTBS系の番組を放送していて、地域起こしとか、そんな番組だったと思うが、青森で独居老人への宅配弁当を行っているグループを紹介していた。その中で、時給700円の有償ボランティアが宅配を担当している。と言うものだったが、変じゃあありませんか。これが5年位前
3年前、NHKでは確か、ある団体が仲介して、託児を近所の子育てを終えた主婦が時給800円の有償ボランティアで行っている。これも変。
去年は、フジテレビ系朝の番組はぴふるで同様に託児を時給ウン百円で、有償ボランティアが行っている。NHKもフジも要は保育所などに入れない待機児童が多く、民間のNPOなどが、働く母親の育児を肩代わりしている時代であると言いたいようだ。それはそれでいいのだが、有償ボランティアって何?
3社に、それぞれ、有償ボランティアという言葉を使うのはおかしいと、メールを送ったのだが、返事が返ってきたのはNHKだけ。他は無しのつぶて。
番組担当の人が、電話をくれた。
彼によると、そうした活動を行っている人たちが公然と使っているし、他に適当な言葉が見つからず、有償ボランティアという言葉で表現した。とのことだった。
私は、特にボランティアと言う言葉を使わなくても、「スタッフ」で十分ではないか。また、有償ボランティアと言う言葉を使うことで、本来もっているボランティアの使命を脅かしかねないなど、1時間にわたり話した。結局、今後有償ボランティアは使わないよう心がける、と言うことで一件落着はしたが、放送倫理委員会?でもこうしたことの規範をしっかり作ってもらいたいものだ。
厄介なのは、ウェブなどで有償ボランティアは素晴らしいみたいにうたっているところ。これは主に地域通貨などを展開しているNPO等に多いのだが、例えば1回肩たたきボランティアしたら、200円分の地域通貨がもらえて、地域内でいろいろなものと等価分変えられる。と言うものだが、やっぱりおかしい。ボランティアを知らない人が、「ボランティアしたらお金を貰える」と勘違いしてしまう。
今、有償ボランティアという言葉をつかって、何でも片付けてしまおう、見たいな意識が民間も、行政も持っているような気がして危険を感じている。
やっぱりボランティアはボランティアです。
自分達が行っている活動は、ボランティアなのか有償サービスなのか、自分はボランティアなのか有償サービスのスタッフなのか、もう一度考えてみよう。
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鳥海山に行ってきました

2009-04-20 09:59:21 | 
昨日鳥海山に行ってきました。2年ぶりかな。天気もよく、快適な?ドライブ日和でもありました。西目口から入り、途中の貯水池を越えたあたりからあちらこちらに残雪を確認することが出来ました。
急勾配の坂道を登りきると、ところどころにある湿地では水芭蕉が花を咲かせていました。
アンテナ塔を越えると槌田牧場、その向こうにどしんと胡坐をかいている大きな大きな鳥海山。まだ大量の雪を羽織っています。とにかく美しい景色です。
槌田牧場には、日曜日と言うこともあり大勢の車とバイク、ひとひとひと。
一日5,6千人は訪れているのではないかと思われます。
他のお客さんと同様、名物のウインナーとジャージーソフトを食しました。
牧場内にはレストランも新設されたようですが、道路が砂利道なのでパンクが怖く、私は車とミルクハウスのみの移動でした。
上の子が、本当は家でユーチューブを見て居たかったらしく、最初はご機嫌斜めだったのですが、ウインナーを食べたら、お代わりをする始末。子供ってげんきんだな。
久々のアウトドアーでしたが、自然っていいもんですね。
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ボランティア戦隊ボラレンジャー ゴールド

2009-04-19 11:13:48 | ボランティア専隊プロジェクト
相変わらず咳と黄色い痰が止まりませんが、楽になってきています。
今日はこれから家族で土田牧場に行ってきます。
ここのジャージーソフトは天下一品の美味しさで有名です。

さて6人目は、ボランティア戦隊ボラレンジャー ゴールドです。
ボランティアを資金面で支えています。
謎の多い人物です。
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ボランティア戦隊ボラレンジャー ホワイト

2009-04-18 08:36:22 | ボランティア専隊プロジェクト
おはようございます。
相変わらず咳と黄色い痰が大量に出ます。結構苦しい。
さて、今回は5人目、医療の分野で活躍するボラレンジャーホワイトです。
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偉大なる父金一 炭焼き名人だった

2009-04-17 14:13:29 | 昔のこと
夕べ子供が見ていた教育テレビの[にんたま]で炭焼きのことをやっていたので、ふと父のことを思い出した。
私が生まれた頃(私はS33生まれ)父(と言うより我が家)は、炭焼きをやっていたそうだ。
盆と正月それに年に2度の集落のお祭りには、必ずと言っていいほど床の間に高さ10センチほどの小さな優勝カップを飾っていた。押入れの奥に大事にしまってある銘の入った箱から出し、乾いた布で入念にそしてやさしく、まるで自分の疲れた体をなでさするように磨いていた。それを眺めては満足満足げな顔をする父。
小学1年か2年のある時、カップを磨く父を見ていた私に「このカップは3年連続優勝しないともらえないものだ」と自慢げに話してくれた記憶が、頭の隅っこに残っている。
銘に何が書いてあるか分かったのは、私がもう少し大きくなって、刻印されている漢字が読めるようになってからである。確か 雄勝郡炭焼品評会 昭和31年、32年、33年優勝 こんなことが書かれてあったように思う。今は実家と疎遠になっているので確かめることが出来ないのが残念だが・・・。
当時は炭焼きで生計を立てている、農家が多かったようで、数多の出品の中から、父の焼いた炭が優勝したのだからすごい。3年連続で優勝したのだからもっとすごい。
私が中2の秋、初めて父、母と一緒にきのこ採りに出かけた。
わらび採りなどは何度か行ったことがあるのだが、きのこ採りはそれまで連れて行ってもらえなかった。
朝5時出発。天気はと言うと、曇り。若干霧もある。一般道から山道に入る。最初から上りである。ただ黙々と上る。父が時々、ここは「何何」と言うところ、と地図にもならない地名を教えてくれた。細い山道は両側から草や雑木が行く手を阻むように生い茂っており、朝露で上から下までかなりびしょびしょである。それでも父と母に置いて行かれまいと、必死で後についていく。途中、朽ちた立木にきのこが群生していたが、あれは「ツキヨダケ」と言って食べられないきのこだと教えられたり、山のことをいろいろ教えてくれたようだが、歩くのに必死の私にはほとんど記憶が残っていない。
途中5分ほど休憩して歩くこと3時間、父が急に歩きを止め私を待った。私が父の元に着くと、ここで昔炭焼きをやっていて、これが炭焼き窯の後だと指差した。
そこには石の瓦礫に、コケが生しており、ところどころに煤けた石肌を覗かせていた。このコケは炭焼きをやめてからの年月を物語るようだった。
結局きのこの採りのいろはは、母と一緒に行動して教えてもらったのだが、ただただきのこ採りは大変だった記憶しかない。
昔家には大小2種類のソリがあって、大きいソリは堆肥運び用、小さいソリが炭や薪などを運ぶものだと教わったことがある。小さいほうが頑丈作られていた。あの3時間も掛かるところから、炭俵を一杯積んで運んでくるのだから。
それにしても、父は偉大であったと今も思う。
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ボランティア戦隊ボラレンジャー グリーン

2009-04-17 09:12:55 | ボランティア専隊プロジェクト
おはようございます。
夕べは一晩中咳き込みがあり、ほとんど寝てません。頭がポートとしている状況です。今日の夕方から薬が、タミフルから抗生剤に変わるので、期待しています。
4人目のボラレンジャーは、ボランティア戦隊ボラレンジャー グリーンです。
環境が主な活動の場です。
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筋ジス病棟の皆さんは元気だろうか?

2009-04-16 17:01:55 | 福祉
熱は下がったのだが、咳を頻繁にしたためか、のどがひりひりしてきている今日の午後。もうじき陽も暮れます。
そういえば先日、筋ジス病棟の自治会長さんに、5月連休の福祉バザーにおさそいのメールを出しておいたのだが、まだ返事が来ない。
ご存知の方もいると思いますが、療養生活の1部に筋力等の低下を遅くするため(かな?)作業療法を行っているのだが、療法というよりは生きがい対策の意味合いが強いとも思える。
個々の残存機能等に応じて、患者さんが自分で出来るもの、したいものを選ぶのだ。例えばビーズアート・刺繍、クロスステッチなど。まあ身が利かないから普通の人の何倍も何十倍も時間が掛かるわけで、それでも根気よく作業を続けている。1年がかりで、1.5M×2Mのビーズアートを作り上げたツワモノもいた。
頑張り屋さんが多い。
そうした作品を、病院祭りなど(地域住民との交流も兼ねる)で販売。
私がいた頃は、七夕バザー・クリスマスバザーなど年2回、その他に周辺地域のイベントに私がやっていた七宝焼きと一緒に持っていって販売していた。とにかく私の場合は病院に居たくなかったのでそういったことも含め、外出の機会を増やしていた。(年間外出泊100日を越えていた)
今でこそ恒例になっている、パチンコグループの2月に一度の出陣。
私が入院したて頃は、とても厳しいところだった。
不調さんも変わり、外出に対する職員の考えもだいぶ丸くなってきた頃、AVAC(現秋田ボランティア協会)に移動と介助をお願いしてパチンコ屋へ。当時AVACでは海外からのボランティア留学の受け入れ口で、日本の文化を学びなさいと言う会長さんの口ぞえで、ちょうど韓国から来たばかりの23.4歳の女の子(名前は忘れた)が一緒についてきたことを思い出す。戦績はプラス1.5万だったと思う。
なぜか話が横道にそれてしまったが、入院患者あるいは障害者にとって外出は、とても手間のかかることなのだ。移動手段の確保、介助者の確保など家族が常に対応してくれる方はいいのですが、家族が高齢化していたり、近くに身寄りが無かったりの場合、友人、知人、ボランティアの助が必要になるわけで、常にそういった人たちと連絡を取っておくことが、円滑に外出する秘訣なのだが、なかなか大変な作業でもある。
そういった実情を考えると1週間や10日で返事が来なくても不思議ではない。
ここ2年近く病棟に顔を出していないし、暖かい日を選んでトコトコと電動で行ってみるかな。片道40分の散歩。皆元気にしているといいけどね。
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縄文への想い 今は無き湯元分校

2009-04-16 13:19:10 | 昔のこと
お天気も青空が広がる良い天気になりました。
熱も7度まで下がりかなり楽にはなってきました。このまま治ってくれるといいのだが。

私が小学校に入学したのは今から四十うん年前。皆瀬村立小安(おやす)小学校湯元分校でした(小4の2月に鉄筋3階建ての新校舎が完成、併合するまで)。全校生徒80名ほどの小さな分校です。後者は木造2階建て一部平屋、教室は2階に3部屋と平屋が音楽してで、2学年ずつの複式学級でした。校舎の前には桜の木が植えられていて、2年の頃、私と悪ガキ同級生3.4人で桜の木めがけておしっこを一斉放水。先生にこっぴどく怒られたのを記憶しています。
分校には小さな運動場(30m×40m位かな)があったのですが、川に面した土手からよく縄文土器の断片を掘り起こしていました。結構見つけた記憶があります。
また、運動場の上は畑になっていたのですが、そこからは石の鏃を幾つか発見したことも。職員室には土器の断片をつなぎ合わせたつぼもあり、ここいら辺に、昔(かなり昔)縄文人が住んでいたんだなと思うと、私の生まれたところは古い歴史があるところだと、ひとり悦になってしまうことも。
小さい頃母に聞いたのだが、皆瀬ダムが出来る前は、皆瀬川にも鮭が遡上してきて、筋子の味噌漬けなど、鮭の料理のバリエーションもかなりあったようだ。
縄文人ももしかしたら鮭を食べていたかも知れない。
それにしても、当時はどのような集落を作っていたのだろう。
教育委員会が動いて縄文遺跡の復元をしないかな。
古代浪漫よよみがえれ。
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