カタツムリの歩み

社会復帰と教会復帰を模索する、引きこもりな猫族のつぶやき

聖母マリアの誕生日に向けてのノベナ(9日間の祈り)1日め

2012-08-31 13:36:42 | 日記

今日、8月31日。
今日から始めれば、9月8日の聖母マリアの誕生日まで、
ノヴェナ=9日間の祈りができることに、昨晩気がついたので、今日始めます。

カトリック教会では、聖書に語られる主の昇天から聖霊降臨までの9日間を、
教会で一丸となって祈り続けていたエピソードにちなみ、大きな祝日までの9日間を、
一つの意向で祈り続ける習慣があります。これがノベナです。
特別に何か実現したい意向が、個人的にある時にも行われます。

私の願いは・・・身動きの取れない、追い詰められた現状から抜け出して、
一歩踏み出すことです。

うつ病と社交不安障害で、仕事を休職し、会社の規定期間を過ぎても復帰できず
そのまま退職。通院して傷病手当をもらうも、手続きや外出が苦手で、
保険の切り替えのために外出できなかったことから、社会保険を失効し、
国保の申請にいけないことから、病院にも行けなくなり、、、
手続きも全部とまり、税金も申告も全部止まり、、、
減る一方の貯金に怯える生活をしています。

若い頃は、、、修道女になることが夢でした。
実際、修道生活も体験しましたが、そこに留まることはできませんでした。
年を重ね、、、そもそも自分には適していなかったことに気がつき、
もうその夢は追わなくなりました。

でも、半生をそれだけに費やしてしまった後で、今さら普通の生活を
しようと思っても、もう手に入れることはできなくなっていました。

挫折感と、それを埋める道が見つけられないまま、ぷかぷかと
水際に浮くような生活をしたのち、今の病状に突入したのです。

長いこと、信仰からも教会からも遠ざかっていました。
自分が抱いていたものが、すべて幻想の産物だと気がついたからです。

「あなたには(霊的生活を理解する)優れた知性がある。 しかしそれだけです。
この生活をするための基礎がない。」
私に退会を命じた、修道院長の言葉でした。
その言葉の意味を悟ったのは、それから10数年も経ってからでした。

そんな私が、ノベナの祈りをしようと思い立ったのは、何の偶然なのか・・・

私が、思い立ったのは、次のことでした。

確かに、私は多くの思い違いをしていた。私は多くの点で、自分は
持っていない素養を、既に獲得しているものと思い込んでいた。
わずかな努力で、自分の欠点や痛手は直せるものと思っていた。
しかし、祈りと恵みの力をもってしても、根源的な魂の傷や致命的な欠陥は、
簡単に癒すことはできない。そこに私が失望した理由があった。

私が多くの思い違いをしていたのは事実。
私の信仰は、あまりにも悲愴的でお粗末なものだった。それも事実。

けれど、それでも、神ご自身には偽りがない。
私の認識は間違っていただろうが、神がいつくしみの存在であり、与える存在であり、
迎え入れる方であることに、変わりはない。

おそらく、私は残りの人生を賭けても、私の欠陥をただの一つも直すことはできないのかもしれない。
けれども、それでも、神に向かうことだけが私に残された救いの道。

私の惨めさを見つめていても、何一つ改善することはできない。

さあ、神に立ち返ろう。
でも、私の力では、起き上がることも、神に目を上げることも、
信仰を回復することもできないのだ。

罪人のよりどころである聖母の元へ行こう。
マリア様。私を、御一人子の元へ、立ち戻らせてください。
私はすっかりすべてを忘れてしまって、どうやって立ち返っていいのか
わからないのです。道を示してください。



2 コメント

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9月8日に向けて (らざろ)
2012-09-01 06:43:46
わたしもともにお祈りします。
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今夕のミサ (らざろ)
2012-09-01 19:47:20
今夕のミサ前にノベナの祈りを捧げました。聖母が身をかがめ、私たちを抱きしめ、立たせ、御子のもとへと連れて行ってくださいますように!
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