それは、一本の電話から全てがはじまった。
ホテルにもなれ朝食にもなれ、サワヤカな朝を向かえた3日目の朝。
今日は夕方5時のリッツカールトンでのスパまでは、唯一の自由行動の日ということで朝から二人で張り切っていた。
そして準備をしていると、m先生のお母さんから電話がなったのだ。
「そっちで地震があったみたいだけど大丈夫?」とのこと。
そんな情報全くないし、ホテルの様子も周りの様子もそんなことがあったとはとても思えない普通。
急に恐ろしくなる私と、m先生。
「地震」といえばまだ記憶に新しいスマトラ沖地震の津波。
やばい!情報収集しなくちゃ。
いちお、ここは3階。このバリ島は「やしの木より高い建物は建ててはいけない」という驚き桃の木山椒の木の法律がある。なので3階は郊外の高級ホテルを抜かすとマックスにちかい。
そんで、m先生の彼氏でもあり、私の14年来のとても大切な友人Jさんから様々な情報が・・・
「津波が起こった場合、電子機器がまずダメになるだろうから携帯の情報で最重要のものをメモれ」だの「しばらくの食料を確保」だの
よっぽどのことが起こってるんだとガタガタブルブル・・・・
そして最後に「命を守るために最善をつくしてください」との言葉
やべえよおい。
地震の当時のニュース↓
ニューギニア島でM7・6
死者4人、24人負傷
4日、インドネシア東部の西パプア州マノクワリで、地震により倒壊したホテル(AP=共同)【ジャカルタ4日共同】米地質調査所(USGS)によると、インドネシア東部のニューギニア島で現地時間の4日午前4時43分(日本時間同)ごろ、マグニチュード(M)7・6の地震があり、その後も強い余震が続いた。政府や病院関係者によると、ホテルなどが倒壊して4人が死亡、24人が負傷した。
日本の気象庁によると、静岡県など太平洋岸に津波が到達した。
震源地は西パプア州(ニューギニア島西部)の州都マノクワリから西北西約150キロの海岸部。震源の深さは約35キロ。震源地付近では午前7時33分にもM7・5の地震があるなど、M5以上の余震が約30回続いた。
Jさんからメールで震源地などを聞いたけど「パプアニューギニアってどこだよ?」「そもそもここは地球のどこらへん?」とまずそこからの私たち。
やべえやべえ。。時間がない。
位置関係を確認し、電話をメモリ、いま出来ることがなんなのか考えるけど完全にパニくっててんてこまい・・・
インドネシアの日本大使館は「係がやすみ」とか・・日本のインドネシア大使館も
「私はガードマンで皆さん休みでわからない」・・なんですと!!官僚め!!税金でくってるくせに!と八つ当たり。海外安全センターなるところに電話しても「込んでてつながりません」との話
HISバリ支店は「ダイジョウブ」とバリ人が言う。ほんとにダイジョウブなの??
HISの日本に電話しても「バリ支店から連絡が着て伝えるだけだからバリ支店の情報が全て」とのこと。
どうすりゃいいの??
こうなったらミクシーでバリのコミュニティーを見るしかない。だれか何か書いてるはず・・とミクシを確認、1ページ見るのに50円もかかるのに私の入ってるコミュニティーが500近くあるからバリのコミュニティーが見つけられない!「コスプレ」とか「パターン青!使徒です!」とかしかでてこなくて・・どうでもいい!!もう!!ばか!自分のバカ!!
ミクシに「ヘルプ!誰か情報ください」という日記書こうとしたけど・・それを書いてる時間がない。
海外生活が長かったtかおみに「どうすればいいですか?」とメールしてみたが
「ダイジョウブっていうなら大丈夫じゃねえ?」と・・・・
・・・・ありがたいお言葉。
ホテルにフロントに行って地震についてきいたけど誰も知らない。というか私の英語がダメだから伝わらない。「ジシン!ツナミ!」と言って体をゆすってジェスチャーで危機を伝えるがなんのこっちゃらのバリ人。
プールには欧米人がワキャキャワキャキャと遊んでる・・・
・・もし何かあるならアノ人たちも各国の大使館とかからなんとか情報得るだろうしあんなにわきゃきゃしてるなだ大丈夫なんじゃん?と思ったけど、スマトラのツナミの時はたいしたことないと思って行動してしまった人が犠牲になったときいたので「だめだ・・みんなが安心してるからって大丈夫なわけはではない」
いろんなことを調べ、電話し、やっと、この地震はバリには津波がこないというのを確信できたのはお昼を回っていた。
実際には何もなくて無事だったけど、万が一何かあったとき、海外ではほんとに無力なんだと実感した。
そして、普段あたりまえに思ってる「自分の命」はいつなんどき、その期限がきれるのかわからないというのも実感した。
海外に行くということは、それだけ危険が伴うんだ。
しかし、m先生の彼のJさんも、お父さんお母さんも電話やメールで何度も心配してくるのに、うちの家族は「大丈夫だった」という旨の連絡すると「あ。そう?それでね。あのさ話変わるけど・・」とぜんぜん気にしちゃいない母・・・父も「そんなことあったの?」くらい。マイダーにいたってはうんともすんともない・・
みなさんに愛されてる私・・・・くそ。
気を取り直して、HISのスペシャルプランの「民族衣装」を着るサービスで民族衣装を着せていただいた。おもしろかった。そんで、飲茶食べ放題へと「プラザ・バリ」へ向かう。
となりに座ってた関西の夫婦が話しかけてきて「なんかのツアーなん?タダなん?」と質問攻め。最後に「うちら老人で食べられへんからやるわ~」と言って相当の量の飲茶をくれた・・・いちお・・・うちらも食べ放題だとは言えなかった・・・
そして、ここでお土産品を見ててびっくり!どこの露店より、どこの店より安い!!しかもいろいろ豊富!
ええ~~~~こんなに安いなら買わなきゃよかった~~と思ったけど。。ま~しょうがない。
その後は、5時からリッツカールトンでスパをうけた。
このたびで一番の贅沢な項目。
まず、リッツカールトンに入っただけで、「あ~バリがいいって言う人はこういうところに泊まる人なのかな?」と思ったりした。
なにせ、高級感漂い、中にいる人がみんな億万長者に見えた。
リッツカールトンは郊外にあったけどやはり、一歩そとに出れば普通の民家があってその中と外のギャップがこのバリなんだと思った。
スパはとてもよかったけど、なにせこの場所に入れたことが貴重に思えた。
この旅ではじめての違和感のないトイレに感謝した。
リッツから帰るとき、ものすごく綺麗な夕焼けだった。
見たことないような色でほんとに綺麗だった。写真では撮りきれてない・・・
リッツからHISに戻る。HISバリ支店のみなさんはほんといい人ばかりで・・確かに私たちは金づるかもしれないけど、それにしても、商売とは別に人柄が出てる場面がたくさんあって、あ~やっぱりバリ人はみんないい人なんだな~と思った。
そのHISの人におススメしてもらった店に夕飯を食べに行く。
さすがに夜は出歩くなと言われてたので、安全なルートで安全に移動した。
数年前からテロが続いてて今回も、その犯人が死刑執行されたばかりだから欧米人の行くところや大型ショッピングモールには行くなと外務省から通達がきていた。
そんなこともあり、どこへ行ってもなんとなく心配。
しかし、ここで食べたナシゴレンがめちゃうまで!!もうほんとおいしかった!
すると、うわさに聞いてた「日本人をひっかけるバリ人」とやらが話しかけてきた。それが、どのガイドさんより流暢な日本語でしかも、いろいろ知ってた。
「アカガイ、ミルガイ、ナイスガイ おれたち」とか言って話しかけてきたかと思うと「料理おいしい?めちゃうま?ギザウマ?」とか「あ。モーマンタイだよ。ナンクルナイサー」とか・・
そして、「あしたクタビーチいくの?まじで?オレ、ジモpだけど超むかつく!アキンドがうざいよ!」と・・・・
そのあとも「いっぱいお金もってても自分の心が悪くちゃだめだ」とか言い出したりしてて身の上話もしだした。
なんでも、3年くらい日本にいたらしい。どうりですごい日本語・・
最後のお会計の時は「スタッフ~~~」とかのうえいこうのまねをしてた。
乗ってこない私たちだったので次の獲物を探しに行くことにしたらしく最後は
「夢で会おうね!」と言って去って行った・・・慣れすぎだ。
バリ人すごす。↓
そして、安全なところからタクシーで帰り・・3日目終了。ホテルが快適になってきた・・
そして怒り心頭の最終日へ・・・
つづく
ホテルにもなれ朝食にもなれ、サワヤカな朝を向かえた3日目の朝。
今日は夕方5時のリッツカールトンでのスパまでは、唯一の自由行動の日ということで朝から二人で張り切っていた。
そして準備をしていると、m先生のお母さんから電話がなったのだ。
「そっちで地震があったみたいだけど大丈夫?」とのこと。
そんな情報全くないし、ホテルの様子も周りの様子もそんなことがあったとはとても思えない普通。
急に恐ろしくなる私と、m先生。
「地震」といえばまだ記憶に新しいスマトラ沖地震の津波。
やばい!情報収集しなくちゃ。
いちお、ここは3階。このバリ島は「やしの木より高い建物は建ててはいけない」という驚き桃の木山椒の木の法律がある。なので3階は郊外の高級ホテルを抜かすとマックスにちかい。
そんで、m先生の彼氏でもあり、私の14年来のとても大切な友人Jさんから様々な情報が・・・
「津波が起こった場合、電子機器がまずダメになるだろうから携帯の情報で最重要のものをメモれ」だの「しばらくの食料を確保」だの
よっぽどのことが起こってるんだとガタガタブルブル・・・・
そして最後に「命を守るために最善をつくしてください」との言葉
やべえよおい。
地震の当時のニュース↓
ニューギニア島でM7・6
死者4人、24人負傷
4日、インドネシア東部の西パプア州マノクワリで、地震により倒壊したホテル(AP=共同)【ジャカルタ4日共同】米地質調査所(USGS)によると、インドネシア東部のニューギニア島で現地時間の4日午前4時43分(日本時間同)ごろ、マグニチュード(M)7・6の地震があり、その後も強い余震が続いた。政府や病院関係者によると、ホテルなどが倒壊して4人が死亡、24人が負傷した。
日本の気象庁によると、静岡県など太平洋岸に津波が到達した。
震源地は西パプア州(ニューギニア島西部)の州都マノクワリから西北西約150キロの海岸部。震源の深さは約35キロ。震源地付近では午前7時33分にもM7・5の地震があるなど、M5以上の余震が約30回続いた。
Jさんからメールで震源地などを聞いたけど「パプアニューギニアってどこだよ?」「そもそもここは地球のどこらへん?」とまずそこからの私たち。
やべえやべえ。。時間がない。
位置関係を確認し、電話をメモリ、いま出来ることがなんなのか考えるけど完全にパニくっててんてこまい・・・
インドネシアの日本大使館は「係がやすみ」とか・・日本のインドネシア大使館も
「私はガードマンで皆さん休みでわからない」・・なんですと!!官僚め!!税金でくってるくせに!と八つ当たり。海外安全センターなるところに電話しても「込んでてつながりません」との話
HISバリ支店は「ダイジョウブ」とバリ人が言う。ほんとにダイジョウブなの??
HISの日本に電話しても「バリ支店から連絡が着て伝えるだけだからバリ支店の情報が全て」とのこと。
どうすりゃいいの??
こうなったらミクシーでバリのコミュニティーを見るしかない。だれか何か書いてるはず・・とミクシを確認、1ページ見るのに50円もかかるのに私の入ってるコミュニティーが500近くあるからバリのコミュニティーが見つけられない!「コスプレ」とか「パターン青!使徒です!」とかしかでてこなくて・・どうでもいい!!もう!!ばか!自分のバカ!!
ミクシに「ヘルプ!誰か情報ください」という日記書こうとしたけど・・それを書いてる時間がない。
海外生活が長かったtかおみに「どうすればいいですか?」とメールしてみたが
「ダイジョウブっていうなら大丈夫じゃねえ?」と・・・・
・・・・ありがたいお言葉。
ホテルにフロントに行って地震についてきいたけど誰も知らない。というか私の英語がダメだから伝わらない。「ジシン!ツナミ!」と言って体をゆすってジェスチャーで危機を伝えるがなんのこっちゃらのバリ人。
プールには欧米人がワキャキャワキャキャと遊んでる・・・
・・もし何かあるならアノ人たちも各国の大使館とかからなんとか情報得るだろうしあんなにわきゃきゃしてるなだ大丈夫なんじゃん?と思ったけど、スマトラのツナミの時はたいしたことないと思って行動してしまった人が犠牲になったときいたので「だめだ・・みんなが安心してるからって大丈夫なわけはではない」
いろんなことを調べ、電話し、やっと、この地震はバリには津波がこないというのを確信できたのはお昼を回っていた。
実際には何もなくて無事だったけど、万が一何かあったとき、海外ではほんとに無力なんだと実感した。
そして、普段あたりまえに思ってる「自分の命」はいつなんどき、その期限がきれるのかわからないというのも実感した。
海外に行くということは、それだけ危険が伴うんだ。
しかし、m先生の彼のJさんも、お父さんお母さんも電話やメールで何度も心配してくるのに、うちの家族は「大丈夫だった」という旨の連絡すると「あ。そう?それでね。あのさ話変わるけど・・」とぜんぜん気にしちゃいない母・・・父も「そんなことあったの?」くらい。マイダーにいたってはうんともすんともない・・
みなさんに愛されてる私・・・・くそ。
気を取り直して、HISのスペシャルプランの「民族衣装」を着るサービスで民族衣装を着せていただいた。おもしろかった。そんで、飲茶食べ放題へと「プラザ・バリ」へ向かう。
となりに座ってた関西の夫婦が話しかけてきて「なんかのツアーなん?タダなん?」と質問攻め。最後に「うちら老人で食べられへんからやるわ~」と言って相当の量の飲茶をくれた・・・いちお・・・うちらも食べ放題だとは言えなかった・・・
そして、ここでお土産品を見ててびっくり!どこの露店より、どこの店より安い!!しかもいろいろ豊富!
ええ~~~~こんなに安いなら買わなきゃよかった~~と思ったけど。。ま~しょうがない。
その後は、5時からリッツカールトンでスパをうけた。
このたびで一番の贅沢な項目。
まず、リッツカールトンに入っただけで、「あ~バリがいいって言う人はこういうところに泊まる人なのかな?」と思ったりした。
なにせ、高級感漂い、中にいる人がみんな億万長者に見えた。
リッツカールトンは郊外にあったけどやはり、一歩そとに出れば普通の民家があってその中と外のギャップがこのバリなんだと思った。
スパはとてもよかったけど、なにせこの場所に入れたことが貴重に思えた。
この旅ではじめての違和感のないトイレに感謝した。
リッツから帰るとき、ものすごく綺麗な夕焼けだった。
見たことないような色でほんとに綺麗だった。写真では撮りきれてない・・・
リッツからHISに戻る。HISバリ支店のみなさんはほんといい人ばかりで・・確かに私たちは金づるかもしれないけど、それにしても、商売とは別に人柄が出てる場面がたくさんあって、あ~やっぱりバリ人はみんないい人なんだな~と思った。
そのHISの人におススメしてもらった店に夕飯を食べに行く。
さすがに夜は出歩くなと言われてたので、安全なルートで安全に移動した。
数年前からテロが続いてて今回も、その犯人が死刑執行されたばかりだから欧米人の行くところや大型ショッピングモールには行くなと外務省から通達がきていた。
そんなこともあり、どこへ行ってもなんとなく心配。
しかし、ここで食べたナシゴレンがめちゃうまで!!もうほんとおいしかった!
すると、うわさに聞いてた「日本人をひっかけるバリ人」とやらが話しかけてきた。それが、どのガイドさんより流暢な日本語でしかも、いろいろ知ってた。
「アカガイ、ミルガイ、ナイスガイ おれたち」とか言って話しかけてきたかと思うと「料理おいしい?めちゃうま?ギザウマ?」とか「あ。モーマンタイだよ。ナンクルナイサー」とか・・
そして、「あしたクタビーチいくの?まじで?オレ、ジモpだけど超むかつく!アキンドがうざいよ!」と・・・・
そのあとも「いっぱいお金もってても自分の心が悪くちゃだめだ」とか言い出したりしてて身の上話もしだした。
なんでも、3年くらい日本にいたらしい。どうりですごい日本語・・
最後のお会計の時は「スタッフ~~~」とかのうえいこうのまねをしてた。
乗ってこない私たちだったので次の獲物を探しに行くことにしたらしく最後は
「夢で会おうね!」と言って去って行った・・・慣れすぎだ。
バリ人すごす。↓
そして、安全なところからタクシーで帰り・・3日目終了。ホテルが快適になってきた・・
そして怒り心頭の最終日へ・・・
つづく