訳あって、昔、17歳の頃耽溺していたアルチュールランボーの詩集を改めて、54年後の今、読み返しています。
あのころは若かった。
当時通っていた高校にはまともな食事をするスペースが無く、実家が飲食店であるにもかかわらず、弁当をつくってもらえませんでした。
なので昼は1階のホールで売られるパンだけです。
小学校のころの給食は口に合わない脱脂粉乳とカッチカチのコッペで半ば栄養失調。
今の小学生は恵まれすぎている。
中学高校の昼メシは上記のパン食、午後の体育の授業など、足が笑いました。
夕食も、スーパーもコンビニもなく、加えて自宅が冬だけふぐ料理屋、んなモノ育ち盛りの青年には足りないったらありゃしない。
出回り始めた即席ラーメンやボンカレーボンシチューが我が夕食のローテーション、たまにフグも入るけど、フグの肝の生臭い臭いを年中嗅いでいたから、うまくもなんともなかった。
絶対栄養バランスは悪かった。
夜食は近所のおむすび屋からたらこやシャケのおむすび2個。
よく倒れなかった。
そのおかげ?で身長175センチながら体重は55キロ、ウエストなど今現在の同居人の太ももより細かった。
そういう状況で何を趣味にしていたかといえばもっぱら詩作。
ちっちゃなノートにくだらない詩を書き綴っていました。
栄養失調青年が本屋の虎の巻売り場の横の書棚で出会ったのがランボーという訳です。
今、奥付を見ると定価が500円。
あの頃500円あったらラーメンなんかは5杯以上食べられたはず、本は贅沢品でした。
ランボーといえば今はあの、スタローンを思い浮かべる人が大多数ですが、蟷螂にとってはアルチュールランボー一択です。
ところで蟷螂はこのブログ内に詩を掲載したことはありません。
歌はたまに気まぐれで掲載しますが、詩はしません。
俳句は最近は季語だへったくりだと小難しいことを言うので拒絶反応(山本健吉先生ごめんなさい)。
詩は逆立ちしてもランボーを超えられないし、超えたくもない。
ところで、あの頃買った詩集にボードレールなる詩人がいて、ちょっと今夜読み返してみたら、まず本が綺麗!
読んだ形跡が薄い。
バイロンもヴェルネールもニーチェも読んだ形跡が無い!
ランボーには書き込みやチェクが入っているのに。
ランボーがあまりに素晴らしかったので、他の詩人は間抜けに思えてなりませんでした。
そこで70歳を超えたので一念発起、いろいろ初心に返り、一から学び直すというのは悪いことでは無い!
コロナ禍なのでオンラインで学べるのもチャンス、時間のできた今だからこそ、オンラインで歴史や文学の教養を深めるのは悪いことではありません。
蟷螂は願いが叶うならば、あの頃に帰り、山本先生や平野先生の授業を受け直したい。
無理だけど。
でもあの頃今くらい勉強をしていたら、全く違った人生を歩んでいたはずです。