このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。
あかしをするものが、三つある。
御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。
わたしたちは人間のあかしを受けいれるが、しかし、神のあかしはさらにまさっている。神のあかしというのは、すなわち、御子について立てられたあかしである。
水は洗礼者ヨハネを表わす。 水で原罪以外の罪を洗い流し抹消する。
血はキリストを表わす。原罪通り罰として死んでから、肉体に罪纏わずに転生復活を遂げたキリストを表わす。
御霊は神を表わす。
そしてこの三者は一致する。
つまり、キリストは水の洗礼を受け、身体に宿る原罪以外の罪を清め、抹消し、原罪のみの身体となり、
十字架に立てられ、肉体に纏った原罪通り罰としての死を経験し、罪がない状態で転生復活を遂げたという訳となる。
水の洗礼についてだが、どうやら過去生に置いて原罪を纏った身体について、原罪以外の罪を洗い流し抹消する効果があったようです。
2000年前に水の洗礼を行っていたのは、洗礼者ヨハネとイエスキリストである。
この両者が人々の罪を洗い流して抹消する行為を毎日やっていた。
罪を洗い流された人々は原罪通り罰として死んで、次の生では罪がない状態で現代へ転生復活を遂げる。
この罪が一切無い人々は現代に置いて、獣社会やワクチンに誘導されないのです。
イエスキリストは言った。
あなたたちは洗礼者ヨハネから洗礼を受けたが、次は聖霊から洗礼を授からなければならないと。
申命記19:15
「どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。」
イエスキリストを証明するには聖霊によらなければならないとキリストは言った。
人からの証明は受けないとも言った。
3位一体の存在からしか受けないと言った。
つまり聖霊ヨハネ → イエスキリスト → 神の 順でしか受け付けないと言ったわけだ。