あまもりのなんやかんや

しがらみから離れてたまには身近な自然と親しみたい

大阪城桃園

2009年03月31日 | 大阪の町
3月の最終日曜日の29日に風は強かったですが、晴れ渡ったポカポカ陽気に誘われて大阪城公園に行ってきました。(日中は暖かかったのですが、夕方の冷え込みと強い風には震え上がりました)
目的は桃園の桃です(ハナモモ)。24日にソメイヨシノの開花宣言があって以来、寒の戻りか、はたまた花冷えか、気温の低い日が続くので桜は最初からあきらめていた通り、1分~3分咲きで、満開は4月に入ってからの模様。

【画像は全て3枚組です。マウスオンで2枚目が、ワンクリックで3枚目が出ます】
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↑桃園風景

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(1)花桃-「照手白(てるてしろ)」
(2)花桃-染め分けの「源平枝垂れ」
(3)花桃-「寒緋(かんひ)」


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(1)満開だった枝垂れ桜(大手門入ってすぐ)
(2)四分咲きほどのソメイヨシノ(桃園の北側、第2寝屋川沿い)
(3)おまけのハナニラ(西の丸庭園近くで)

枝垂れ桜はソメイヨシノの後と思っていたのですが・・・
ン十年前、GWの始め頃に京都の円山公園で見た枝垂れ桜は夢か幻か。
それとも種類が違うのか・・・。
※枝垂れにも早咲きや遅咲きといったいろんな種類があるようですね。
私は桜の中の一つの種類として枝垂れ桜があるんだと、そう思っていました。
お恥ずかしい・・・穴があったら入りたい。


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(1)大阪城天守閣(天守閣前広場から)
秀吉が築城した大阪城は大阪夏の陣で焼失。その後徳川幕府によって再建されたが1665年に落雷で天守閣を焼失。以降天守閣の無い大阪城となった。
現代の天守閣は昭和6年(1931)に市民の寄付によって再建されたもので鉄筋コンクリート製。戦火をくぐって今に至る。
戦時中、米軍は陸軍の大阪の拠点となっていた大阪城内を爆撃し破壊しつくしたが天守閣だけは避けた。京都市内の神社仏閣を爆撃しなかった理由と同じかもしれない。
(2)旧陸軍第四師団司令部跡
大阪城天守閣のすぐ斜め横(南東)に隣接していたために爆撃できなかったものと思える。
明治以降、大阪城内は旧陸軍に占領され市民は立ち入ることさえできない遠い存在となっていた。ここに当時日本最大の軍需工場といわれた大阪砲兵工廠(おおさか ほうへいこうしょう)があった。今の大阪城ホールのある辺りらしい。天守閣の北東辺りに位置する。
昭和20年8月14日、終戦の前日に米軍の大空襲によってこの砲兵工廠の施設のほとんどが破壊された。この時、大阪城そばの京橋駅から片町周辺も爆撃され多くの犠牲者が出た。戦後、砲兵工廠があった辺りは不発弾が多く埋もれている危険地域として20数年もの間更地のままだった。(以上の内容はWikipediaを参照して自分なりに書いたもの)
ちなみに現在の京橋から片町周辺は高層ビル群が建ち並ぶ大阪ビジネスパーク(OBP)に変貌した。桃園のバックに映っている高層ビル群がそのビジネスパーク。
大阪城すぐ横に建つこの「第四師団司令部」跡の建物を見あげる時いつも思う。天守閣のお陰で安全を保証された建物の中で陸軍関係者は悲惨な空襲の光景をどのような思いで見ていたのだろうと。
戦後、この建物は大阪府警(大阪市警視庁を経て)から大阪市博物館となり、その博物館は「大阪歴史博物館」となり大阪NHKの隣に移る。現在は何にも利用されていない。一般人は中に立ち入ることさえできない。外から覗ける地下1階の窓の一部にはガラスが割れガムテープらしきもので補修した窓もいくつかあった。
(3)大阪城の表玄関口ともいうべき「大手門」
この大手門の前は公園になっていて、公園から道路(上町筋)を挟んで、大阪府警、大阪府庁が並び、斜め前には、大阪歴史博物館があります。

大阪城公園の花桃鑑賞から随分と重い内容で終わってしまいご容赦ください。
大阪城天守閣脇にある旧陸軍第四師団司令部跡の古い建物は、悲惨な戦争があったことを忘れさせない貴重な建物だと行くたびに私はそう思うのです。
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24 コメント

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桃源郷 (ポージィ)
2009-03-31 18:30:12
…最初の方のお写真を拝見しながら、桃源郷の言葉が頭に
浮かんでいたのですが、読み進むにつれ、今現在は平和に
花を楽しめるこの地にも、戦争の痕跡がしっかり残されている
のだと知りました。モモの背景のビル群にも…
米軍は歴史的な建造物は爆撃するのを避けたのですねぇ。
そのおかげで日本陸軍の施設がそのまま残り、今は空っぽの
建物なのですね。この中で無謀とも思える命令が下されたことも
数多くあったことでしょう。戦後他の目的で利用されながらも、
色濃く残るのは戦時中の陸軍関係の人々の様々な思いの
ような気がしてしまいました。今後もあまもりさんが仰るように
戦争を忘れさせないためのものとして保存されていくのでしょうか。

おっと、ハナモモのことに触れていませんでした。
寒緋桜へのコメントに書いてくださったハナモモの寒緋、拝見
しましたよ~ まさしく緋色ですね。ハチさん(アブさん?)が
寛いでいますね~(^^) ハナモモはやっぱり花観賞が目的
だけあってどれも華やかですね。清楚な白ですら華やかです。
返信する
Unknown (fairy ring)
2009-03-31 18:39:46
そおか~大阪には立派な大阪城がありましたね~
歴史をずっと見てきたのですものね。

ハナモモ 満開ですね。
サクラやウメと違ってモモはとっても華やかな感じがしますね。
枝に沿って花がビッシリと咲く姿もすごいと思います。
ゲンペイシダレ 最近はやっていますね。
街路樹にこれを植栽している通りがあります。

寒緋と言う真っ赤なハナモモ 虫さんがご訪問中ですね。
モモといえば あのモモはどうしましたか?
ゴミ捨て場のようなところに生えていたモモ!
あれ? 違ったかな? 他のブログだったかしら??
最近 忘れっぽいので・・・
間違っていたらすみません。
返信する
ポージィさんこんばんは (あまもり)
2009-03-31 20:33:17
明るい桃の記事のはずが結果として重苦しくなってごめんなさい。
一番最後の大阪城の3枚組は記事として別にしたほうが良かったのですが、大阪城内を市民が自由に闊歩できない時代もあったことを知りあえて一緒にしました。
ポージィさんが表現された桃源郷、この桃源郷の下には悲惨な戦争の傷跡があったことを自分自身が再確認したかったのです。
大阪城天守閣前のそう広くもない広場の端っこに佇む旧陸軍の司令部跡の建物。天守閣と並んでいるこの建物にはかなりの違和感を感じます。見事な建造物で荘厳なだけに尚更。固く閉ざされた扉にも不気味さを感じます。壊さずに保存し平和を記念する建物に変わって欲しいと願っています。

寒緋の桃でお食事中の虫はハチかアブかは分かりませんが長い食事でしたよ。美味しかったんでしょうね。
この寒緋、実は最初の桃園の風景の中にもあるんですよ。ワンクリックで出てくる3枚目の風景の写真で一番手前の真っ赤な木がそうです。花のアップより少し離れて全体を見るほうがまさに「緋」だと思いませんか。
ハナモモには八重が多いので華やかになるのかなぁなんて思っています。
返信する
fairy ringさんこんばんは (あまもり)
2009-03-31 20:33:51
最後の大阪城天守閣他の写真と記事は別にしたほうが良かったのですね。
ほんと私の記事はいつもごった煮になってしまいます。

もうソロソロ花桃も終わりだと言われたのですが、行ってみてまだまだ持ちそうだ、とそう思いました。次の日曜日は花桃とソメイヨシノの饗宴が見られそうです。
「寒緋」という花桃は、枝を横に広げずに枝に沿ってびっしり咲いていました。トップの写真の3枚目の一番手前にある赤い花の木がそうです。
源平枝垂れを街路樹にするとはまた豪華ですね。

ゴミ溜めになっているような所にある桃ですね。
間違いなくMyBlogです。
あの桃の木、今年はもう花も咲かせられないほどに短く切り詰められています。このままだと枯れてしまうかもしれません。
去年紹介したあと、しばらくしてからちょっとした工事が始まり、桃の木がある場所に丸太で枠組みがされました。
この桃の木が生えている場所が廃工場となった土地のものか、市または国交省の管轄になるのかはっきりと分からなかったのですが、どうも廃工場を管理する会社のもののようです。
短く切り詰められた桃の木に今まで撮った写真の一枚をぶら下げて切らないで欲しいと訴えようかとも思いましたがそれも思いとどまりました。この場所を何かに利用しようとしているのかもしれないからです。
その哀れな桃の木の姿を毎日見て通っていますが余りにも可哀想で写真にも撮れないでいます。
返信する
大阪城の桃園の誓い (ikomanokaze)
2009-03-31 20:34:54
こんばんは!
こうやって華やかな花と青空の画像を拝見していると とても震えるほどの寒さとは感じられませんね。

桃園の誓いではありませんが、三つの花桃の色が素敵ですね。 最初の照手白の白と 蜂のいる寒緋の赤が混じって染め分けの源平しだれになったのか?・・・なんて勝手な想像しながら楽しみました。

ここでもしだれ桜は満開ですね。
今年は大阪城でお花見する予定です。
あまもりさんの報告から 来週初めあたりがいいかな?
・・・と思っているのですが、
返信する
ikomanokazeさんこんばんは (あまもり)
2009-03-31 20:58:11
桃園の誓いですか。三国志ですね。若い頃ワクワクして読んだ本です。

桃園に着いたのは午後の1時頃で、その頃はまだ暖かく寒さは感じませんでした。青空をバックに桃の花の写真を撮っている時です。
その後、あちこちと歩いていて大手門前の公園にさしかかったのは5時過ぎ。もうその頃になると冷え込んできて寒くて。強い風のだめ押しもありました。

白と緋色の真ん中で源平が染め分けですか。
これは考えていませんでした。
ikomanokazeさんの発想は面白~い。おおきにです。

西の丸庭園の横にあった満開の枝垂れはきれいでしたが、枝垂れかたが今ひとつなのでまだ若い木なのでしょうか。
ソメイヨシノは、来週初めあたりなら間違いなく満開だと思います。
来週一週間は充分に楽しめるのではないでしょうか。
返信する
あまもりさん、こんばんは (polo181)
2009-03-31 22:36:00
まず気が付いたのは、数枚を除いて、ほとんどが抜けるような青空を利用していらっしゃる。とても効果的です。花や木々、それに建物たちもそのお陰でとても引き立っております。見事な撮影ぶりだと思いました。
大阪は1945年3月以降終戦に至るまで10回近く空襲に遭っております。街は焦土と化し一万人以上の死者が出ております。東京は10万ですから、まだましですが。敵さん、難いね、日本家屋はほとんど木と紙で出来ておりますから、日本向け専用の焼夷弾を開発して、いつまでも燃え続けるし消え難いグリセリンを詰めた爆弾をばら撒いたのでした。ですから、死者のほとんどは焼死です。むごたらしいことをしたものだ。
大阪城を焼かなかったのは当然文化的価値が高いからですね。京都を焼かなかったのと同じ考えからでしょう。大阪城にへばりつくように建てられていた旧陸軍の司令部が焼け残ったのですね。耐震補強をして大阪大空襲の悲劇を後世に伝える施設として活用するべきですね。
戦争体験者が段々と日を追って少なくなります。「戦争だけは止めよう」と後世に伝える資料館を各地に建てるべきだと思います。貴女のブログは決して重くありません。みなが知るべき事実を書いたのでした。
返信する
春ですね (酔歩)
2009-04-01 10:03:47
今年の桜の開花は少し足踏み状態ですね。
寒の戻りがあったせいでしょうか!?
いや気温と桜の開花の関係はあまもりさんが詳しく調べてくれた事でしたね。
でも近畿の開花宣言で大阪よりも京都の方が早かったのは不思議な気がします。
どうも気分的に納得ができないのですが、数日の違いは自然界ではどおって事ないのでしょうね。
花見は今週末だと考えておりますが、どうも天気がいまいちのようで・・・。
宴会できるかな!?

今の大阪城周辺(ビジネスパーク)は戦時中は東洋一の軍需工場がありました。
そう、あまもりさんが紹介されている大阪砲兵工廠です。
戦争末期に大空襲にあいボロボロにされてしまいました。
終戦後はしばらく手つかずの状態で放置されていて、その跡地に生活の為にクズ鉄を掘り起こす人々が出入りしていました。
これは以前にも紹介したことのある小説、ヤン・ソギルの「夜を掛けて」に当時の様子が描かれています。
今は綺麗に整備された大阪城公園も過去にはそんな悲しい出来事があった土地だという事を忘れないでいてほしいものです。
私もブログで重い話をするのは好きではありませんが、平和な時代に生まれて感謝の気持は忘れないでおきたいものです。

桜の花を愛でながらパ~っと楽しく宴会をしたいですねぇ。
返信する
桃の花 (おみや)
2009-04-01 10:31:32
桃の花は梅やサクラに比べて華やかさがあります
桃の咲き揃った花が青空に映えてとても綺麗ですね
純白の照手白、染め分けの源平枝垂れ、寒緋皆良いですね中でも源平しだれがいちばんきにいりました。

戦火から免れた大坂城、そのまわりで悲惨なことが繰り返されていたことを思うと戦争のむごたらしさを感じます。そんな時代を超えて今の幸せがあるのですよね。

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美しい花と戦争! (ヤマト)
2009-04-01 13:30:41
桃園に集う人々の平和さと、その隣の大阪城の歴史の対比良かったと思いますよ!
大阪城の歴史は本当に戦火の歴史ですね。
これを知らなかったら、桃園で楽しく過ごせることがどの位大切なんだと言う事は分からないと思います。
こちらは桃の日本一の生産地です。
早生桃の花は満開になりつつあります。
桃畑の近くのソメイヨシノは、すっかり桃の花に負けて仕舞い余り映えません。
明日は孫達と桜の公園でお花見をします。

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