6月25日に「幻の都・難波宮」で難波宮跡公園を紹介しましたが、その時、なにわの若旦那、酔歩さんにそばにある「大阪歴史博物館」に行くことを強く勧められました。難波宮の詳細がわかると。
行ってきました。感動しました。
難波宮の前期・後期の宮殿が、発掘資料を元に正確に復元展示され、そのきめ細かな表現に、大阪市、やるべきとこはちゃんとやってるやんか!でした。
「大阪歴史博物館」の展示紹介は次回に譲ることにしまして、今回は古い大阪の地形パネルに出会ったのでそれを紹介したいと思います。
これはikomanokazeさんがご自分のブログで紹介されている「原始蓮・・・生駒西麓」のお話とも繋がります。
【サムネイル画像にマウスポインタを乗せると下に大きめの画像が出ます】
上の画像で左3枚(2枚目はピンボケでご容赦)は、古代大阪の地形。
左から、約5000~4000年前縄文時代・約2000年前弥生時代・約1600~1500年前古墳時代です。
右3枚は、その古代地形に現在の大阪の地図を載せて私が勝手に合成したものです。ついでに江戸時代に付け替えられた現在の大和川も付け加えました。
左から、縄文時代との比較・弥生時代との比較・古墳時代との比較です。
大和川の付け替え工事や河内木綿、鴻池家については去年の記事「野の綿」に書きましたので、今回は割愛します。
上の画像で、なぜ上町台地が大阪市内で一番の高台であるかをわかっていただけるかと思います。
紀元前、縄文時代の上町台地は大阪湾と河内湾に突き出た半島だったようです。生駒山は河内湾に迫っていたのですね。
ikomanokazeさんがブログで東大阪から鯨の骨が発見されたと書かれていましたが、この地形を見ると頷けます。
この河内湾がやがて淀川や大和川が運ぶ土砂で次第に埋もれていき、大阪湾から切り離され潟となり湖となる。聖徳太子が四天王寺の建立を祈願した頃や、前期・後期難波宮が建立された頃は既に湖になっていたようです。
その河内湖も次第に狭まり、蓮如上人が後の本願寺となる石山御坊を建てた頃や、本願寺と同じ場所に大阪城を建てた秀吉の時代になると、河内湖は消えて、沼地が点々と存在する河内平野に変わり、海岸線もかなり西に後退し、現在の地形に近くなっていたようです。
合成地図で、川以外に大阪城、四天王寺を表したのは、上町台地は古代の海岸線であり、四天王寺の下の方(南)には灯台があった住吉大社まで一本の線で結ばれるからです。ここは熊野古道にも続く道です。大阪平野を見下ろせる場所、それが上町台地です。
(今は周りは高層ビルだらけで、それを自覚できるのは上町台地に続く道に坂道が多いということだけですが)
自分が今立っている場所も、大阪の繁華街・ビジネス街であるキタもミナミも、その昔は海の中だった・・・そういえば、浪速区の現戎本町と町名が変わった所に敷津、宮津、貝殻町と言った地名があったのを思い出しました。
こんなことに思いを馳せるのもたまには楽しいですね(私だけ?)。
【追加訂正】06.07.14
合成画像を入れ替えました。古代図に合わせ、現在の地図の範囲を広げました。これでほぼ大阪市内全域が入りましたが、おおよその判断で勝手に合成したものですので正確さは求めないでください。
行ってきました。感動しました。
難波宮の前期・後期の宮殿が、発掘資料を元に正確に復元展示され、そのきめ細かな表現に、大阪市、やるべきとこはちゃんとやってるやんか!でした。
「大阪歴史博物館」の展示紹介は次回に譲ることにしまして、今回は古い大阪の地形パネルに出会ったのでそれを紹介したいと思います。
これはikomanokazeさんがご自分のブログで紹介されている「原始蓮・・・生駒西麓」のお話とも繋がります。
左から、約5000~4000年前縄文時代・約2000年前弥生時代・約1600~1500年前古墳時代です。
右3枚は、その古代地形に現在の大阪の地図を載せて私が勝手に合成したものです。ついでに江戸時代に付け替えられた現在の大和川も付け加えました。
左から、縄文時代との比較・弥生時代との比較・古墳時代との比較です。
大和川の付け替え工事や河内木綿、鴻池家については去年の記事「野の綿」に書きましたので、今回は割愛します。
上の画像で、なぜ上町台地が大阪市内で一番の高台であるかをわかっていただけるかと思います。
紀元前、縄文時代の上町台地は大阪湾と河内湾に突き出た半島だったようです。生駒山は河内湾に迫っていたのですね。
ikomanokazeさんがブログで東大阪から鯨の骨が発見されたと書かれていましたが、この地形を見ると頷けます。
この河内湾がやがて淀川や大和川が運ぶ土砂で次第に埋もれていき、大阪湾から切り離され潟となり湖となる。聖徳太子が四天王寺の建立を祈願した頃や、前期・後期難波宮が建立された頃は既に湖になっていたようです。
その河内湖も次第に狭まり、蓮如上人が後の本願寺となる石山御坊を建てた頃や、本願寺と同じ場所に大阪城を建てた秀吉の時代になると、河内湖は消えて、沼地が点々と存在する河内平野に変わり、海岸線もかなり西に後退し、現在の地形に近くなっていたようです。
合成地図で、川以外に大阪城、四天王寺を表したのは、上町台地は古代の海岸線であり、四天王寺の下の方(南)には灯台があった住吉大社まで一本の線で結ばれるからです。ここは熊野古道にも続く道です。大阪平野を見下ろせる場所、それが上町台地です。
(今は周りは高層ビルだらけで、それを自覚できるのは上町台地に続く道に坂道が多いということだけですが)
自分が今立っている場所も、大阪の繁華街・ビジネス街であるキタもミナミも、その昔は海の中だった・・・そういえば、浪速区の現戎本町と町名が変わった所に敷津、宮津、貝殻町と言った地名があったのを思い出しました。
こんなことに思いを馳せるのもたまには楽しいですね(私だけ?)。
【追加訂正】06.07.14
合成画像を入れ替えました。古代図に合わせ、現在の地図の範囲を広げました。これでほぼ大阪市内全域が入りましたが、おおよその判断で勝手に合成したものですので正確さは求めないでください。
本日歴史的な学識のあるブログに啓発され、一言ご挨拶したいと思いました。
私も大阪の太古の歴史にはとても関心あり、最近は大阪の博士で文化にもお詳しい建築史家で工学博士の橋爪紳也氏の著作を関心持ち読んでいます。
実は京都にも昭和初期までたいへん浅いも広大な池があった事をご存知でしょう。
巨椋池と言うそうですが、それを昨年知ったばかりです。淀川は全然水系が違ってた事になりますね。ツイッターで簡単に紹介しましたが、難波津の湾が四天王寺辺りまで来ていたのと同じで、大阪の人の何割が知っているのかと思いました。
ご自分で悩まれて、そしてご自分で解決された。
これが一番のスキルアップです。良かったですね。
興味のある方もない方もいらっしゃると思いますが、これからも大阪の紹介と自然の紹介をしていくつもりです。
我慢して見てね。
ブログを立ち上げたのがきっかけとなり、大阪のことを少し調べてみようと思っただけです。私自身も驚くことが次から次に出てくるので、もうやめられまへん。
私はそんなに物事を追求するタイプではないのですが。結構あきらめのいいほうで、もう少ししつこく食い下がっていればといつも後悔するほうです。
ただ、自分のブログに関しては、自分の趣味を公開していますので、解らないことは調べます(Web検索のみですが)。それがしつこく追求しているように見えるのかもしれませんね。また、私の文の書き方も少し大仰なのかなぁとちょっと反省するところもあります。
何度もご親切に有難うございました。
単純なことしか出来ない私から見るとあまもりさんの大阪を愛する気持ち・歴史も勉強されていて資料としての価値があります。
大阪を全く知らない私には興味深い記事です。
大阪歴史博物館、難波宮などなど、驚くことばかりです。
それにしても、ここまで物事を追求するあまもりさんという方は一体どのような方なのか?そして、サムネイル画像まで使って、丹念に記載されるその姿勢、ほんと驚きです。
今回は私自身が楽しみました。いつもですが(笑)
これ、前々から試してみたいと思っていたんです。
てるてるさんの所も人工埋め立て地が増えてるんですか?
大阪も海を埋め立てて人工島をいっぱい造っています。その代表が南港です。
川が運ぶ堆積で海が次第に埋められていくというのは今も続いているので、浅くなった海をいっそのこと埋めてしまえ、というわけでしょうか。
川の埋め立ても大阪と同じような状況なんですね。
流通手段が船から車に移ったこともありますが、川が道路に変わるのは大きな自然破壊だと思っています。地球はヒト科だけのものじゃないのにと。
今回は、傑作ですね。
色々と勉強になりました。
こちらは近年人工的に埋め立て(ゴミ処理等)た河口が増え、とても気になってます。川も同じで道路に変わりたいぶ減りました。大昔の人が見たら腰抜かすでしょうね。
勉強になるかどうかは・・・時々間違ったことも平気で書いていますのでご注意ご注意(笑)
エアコンが壊れた?このアヂ~時に?
そんな話も好きやで。
ブログの良さは、いろんな情報で笑ったり泣いたり関心したりが一杯詰まってるところにあると思うよ。
私はかなり我田引水的なところがあるし、読む側のことを考慮してないことも多いしね。だから長い
こういうブログがあってもいいよね。(いいと言ってね(笑))
画像の合成は仕事の範疇なので得意と言えば得意。
これはフォトショップという画像レタッチソフトで作っています。
ソフトさえあれば誰にでもできます。
エアコンが壊れたなんて私のブログとは大違い(笑)
大阪も昔はほとんどが海だったんですね~
私が行った繁華街もか~
合成画像、凄い技ですね!こんなことも出来るんだ。驚き。
大阪も今日は夏日で外に出るのを躊躇するほどでした。
こんなに暑くなると外でメダカは飼えそうにないですね。お湯になるんでしたら。
放出、鴻池新田、京橋等の地名をご存知なのは、upplainさんならではですね。
スイポテさんも書いてはりましたが、この片町沿線、四条畷までは長い間湖の中だったのですね。
歴史博物館、もう少しお待ちくださいませ。
実は写真が少ないのでどうまとめようかと思案中。
私が外にあるデジタル温度計が34度を表示しています。
メダカ用の貯め水が温水になってしまいました。外の甕にメダカを飼おうと思って用意したもの。
いや良く作りましたね。
古い時代へワープできて愉しいですよ。
弥生時代の比較画像を見ると、放出のあたりは河内湖の真ん中、鴻池新田、京橋は湖の中だったんですね。
淀川や大和川の流れは、今とはすっかり違っている、あまもりさんの説明でよーくわかります。
「大阪歴史博物館」の記事を期待しています。
直ぐに試してみましたが、やはり駄目でした。
数字にしたり、半角文字にしてみたのですが
プレビューでもまったく反応しません。
最初の二つのサムネール画像の時も、動かなくなってしまい、あまもりさんに教えて頂いて直ぐに出来たのですが・・・
「カラマツの花」未だ使ってなかったサンプル4でやってみました。これはうまく行きました。
お忙しい所本当に有難うございました。もしかしたらもっと時間が経てば直るかもしれませんので、すこし間を置いてやってみます。
本当に有難うございました。
正しくは「’」です。
これは文字化けしないように全角で打ち込みましたが、半角ですのでご注意。
1 梅雨空に咲いた花は、psr
2 梅雨空に咲いた花Ⅱは、psr1
3 今日の高尾山は、psr2
4 高尾山のスミレは、psr005
5 景信山の花は、psr3
となっていましたが、これ以外の数字を打ち込んでもダメだというわけですね。
パセリ倶楽部の説明では、psrは必ずしもpsrでなくても良いみたいなので、他のご自分がわかりやすい半角文字でもいいと思います。私は自分で管理しやすいように数字にしているだけですから。
一度他の文字(半角に限る)に変えて確かめてみてはいかがでしょうか。
また、タグソースの中で、
大きい方の画像のURLは必ず「\'」でくくられています。
これは画像の大小に関係なく、マウスオーバーする画像であることを示している大事なタグです。
URLをペーストした時、どちらかの「\'」をうっかり消してしまうとマウスオーバーは反応しません。これは大丈夫でしょうか。
反応しないと言われるアルバムのソースが分かりませんので、これぐらいのことしか言えませんが。これも確かめていらっしゃるのならお手上げです。
siawasekunの写真のうまさには太刀打ちできませんので、私は常にごまかしています。
旅立ち前の慌ただしい中、寄っていただいてありがとうございます。
古代の地図に現代の地図を合成したら、その変遷が分かり易いに違いない、とこれは前々から思っていたので、今回挑戦してみました。ざくっと把握できるようにしただけで正確さには欠けます。
>4,5千年にわたる静かな”仕事”
この表現は、さすがにpoloさんですね。私には思いつかない言葉で感動しました。
自然が織りなす悠久の歴史の上に人の歴史が加わるのですね。
あの立ちっぱなしの仕事は向いてませ~ん。
sakuraさんの万葉集の編集も尊敬に値するものです。
ただ、私は万葉集は苦手で、百人一首も坊主めくりだけしか知りません。
私の歴史の知識はまだまだ浅いものです。これからも勉強は続けたいと思っています。
大阪歴史博物館で古代地形のパネルを見た時、これはいけると小躍りしました。
ただ、現代の地図に生駒の稜線が書かれていないので、正確さには欠けると思います。
大雑把な作りですので、細かいところは見ないでくださいね。
リンク記事を拝見しました。
ikomanokazeさんは、もう長いこと大阪の歴史を書かれているのですね。頭が下がります。私も見習って、これからも大阪の歴史を見つけていこうと思いました。
大和川の付け替え工事は、確か去年か一昨年の新聞記事で読んだ記憶があります。あの時も思ったものです。旧大和川はどのようにして現大川に流れ込んでいたのだろうと。
合成画像は古代地形なので、江戸時代の地形も知りたいですね。
私はただ者ですよ。画像編集は仕事のうちですので、こういった処理は苦にならないだけです。
お忙しいあまもりさんにとても恐縮なのですが
教えていただけますか?
サムネールが少し出来るようになって喜んでいたのに何とも出来ません。きのうは一日中悩んでいました。
二つ目からは psr の数字を変えてみても
どうしても反応しないのです。
プレビュウも数字を変えると反応しません。
作っては削除をし、どうにも解らなくなりました。
恐れ入りますがよろしくお願いします。
私には。。
感動しました。
よくまとめられましたね。
いいものですね。
私、こういうもの、好きです。
ただ、このようにできないのが、ザンネン。。
見て、感動だけしています。
ありがとうございました。
こういう風に歴史の時間も講義が始ると
私も歴史に興味を覚えた事と思います。
あまもりさんの説明はよく分かって面白いですね。
それにしても合成写真からしても凄いですね。
あまもりさんは大阪歴史博物館に勤務されたら如何かな~?
次回 楽しみにしています。
思わずうなってしまいました。
昨年は大和川付け替え300周年記念行事がありました。東大阪の中甚兵衛さんの銅像ものせています。下のURL
http://d.hatena.ne.jp/ikomanokaze/20050514
また、覗いてみてください。
あまもりさんは ただものではありませんね!
http://d.hatena.ne.jp/ikomanokaze/20050514
仕事でしょっちゅうやってることを、適用しただけ(笑)
ただね、マピオンのマップは大阪府全域を表示したら大阪市内の地名が無くなるので、ちょん切れのマップを重ねることになってしもて。
大阪歴史博物館、よう勧めてくれはったと感謝してま。
あれだけきれいに難波宮が再現されているのを見て感激しました。
あそこから、難波宮跡公園の全景も見られるようになっているのも感動。
説明してくれる係員の親切なこと、何を質問してもきちんと答えてくれました。
大阪歴史博物館の紹介はちょっとあとになりそう。
写真も整理していないし、なんせ仕事の合間に作るいうことになるんで。
ま、期待せんと待っといてくらはい。
gooも以前はひどかったけど、最近はあまりトラブルがないので快適快適。
でもココログのようにハンドルをクリックしたら、そのコメントに飛ぶ機能がないので、不満はありますけどね。
河内湖、弥生時代は塩湖だったかもしれない。そうかぁ、浜名湖は塩湖なんだ。
自分の住んでいる所の昔の姿を知るというのは面白いですねぇ。
それがどうしたん?と問われても、どうってことないけど、と答えるだけなんですけどね。
江戸時代の土木技術には舌を巻きますね。氾濫がひどかった大和川を90度向きを変えたのですから。それまで川の無かった土地にいきなり川ができたので、いろいろとトラブルがあったようですが。
そうそう、歴史は年代だけじゃないんです。年代を知ることも大事ですが、数字を暗記するだけでは本当の歴史の面白さは分かりません。
私が歴史の先生?
多分、脱線ばかりして、今度はその場所を探検しようなんて子ども達を連れ出すと思う。
お弁当持参の遠足ばかりになりそう(笑)
合成写真まで作るなんて!めっちゃ凄いやん
尊敬します。
行って来られましたか!大阪歴史博物館に!!
ちょっとしつこく行く事を勧めすぎたかな?と反省しておりましたが、あまもりさんには是非行ってもらいたかったのです。
この先どんな風に紹介していただけるのか楽しみにしていまっせ~
一日合成にかかり切り・・・私、そんな暇人やおません。
画像合成は仕事でもやっているので、こんなことは簡単です。
いや、ソフトがあるから言えることですけどね。
ただ、やはり縮尺が違うので、拡大したり縮小したりを繰り返しました。
ナイアガラも海の底だった。そういえば、あの辺り大小様々な湖が多いですね。
温暖化が進めば、また陸地が消えていくのでしょうか。
これは興味深い。大阪湾の東に、その昔河内湾という海が存在したとは…!年代とともに移り変わっていった地形が、ご自分が住んでいらっしゃる町となったら、ますます興味・関心が高まりますよね。
海だったところが長い年月を経て湖になり…ということは、当時その湖は塩湖だったのかしら?いやいや、川が流れ込んでいたのだから海水と淡水が混じりあう、現在の浜名湖(静岡)のような状態だったのでしょうね。
その後沼地になり今では市街地ですか。遠い昔に海だった名残の地名が残っているのが楽しいですねぇ。そういう地名はいつまでも残って欲しいものですが…
川を付け替えた、というのにもびっくりしました。むちゃくちゃ大変な工事だったでしょうに、昔の人たちはすごいことをしたのですね。
歴史の授業は、「何年に何が起こった」といったことばかりじゃなくて、こういうことをどんどん教えてくれるともっともっと面白くなるでしょうにね。私も歴史は好きな方でしたが、暗記力ゼロのせいで成績は×でした。あまもりさんが歴史の先生だったらきっと楽しかっただろうな~と思いました(^^)
と思ったほどですよ。縮尺の違い巧く乗り越えましたねぇ。
それにしても力作です。
(一日ナンにもしないでこれに掛かっていたのとチャウカ?)
ナイアガラフォールスも昔は海の底だったのだから、大阪が海の底だったとしても不思議はないのに考えても見なかったことで、勉強になりました。
また、力作続けて。。ね。
実際より少しずれているかも~と思ったけど、ええい、ままよ、とUPしました。 ほぼあってるとは思うけどね。大阪城と生駒の山を目安にしたので。
河内湾というものがあったことは漠然と知っていたんだけど、こうして古代地形が手に入って私は小躍りでした。
土砂で埋まったいうても河内湖があった辺りは、その昔沼が一杯あったよね。守口のレンコン畑(レンコン沼)はよう覚えてるし、松原の湿地帯も知ってる。今は全部住宅地になってしもてるけど。
上町台地がこんなに昔から陸地だった事にも、こんなに広範囲に海であり後に湖になり・・・そして平野になり市街地になり・・・
歴史を超高速フイルムで見せて貰ったような感激。
それから、つい最近まで大雨が降ると浸水していた片町線の寝屋川水系。この地図を見てその理由も解ったような気がしました。最後まで水が漬いてたんや!
力作、ご苦労様でした。
ちょこちょこと文章を直している最中でした。
縄文時代の地形を見ますと大阪市内の3分の2が海だったのがよくわかりました。
確かに地盤の一番固い所を昔の人は知っていたのですね。川の氾濫にも海の氾濫にも関係のない安全な高台ですから。
歴史関係はついついのめり込んでしまいますので、ひとりよがりな文章になりがちの記事を読んでいただけて感謝しています。
大阪歴史博物館は、大阪人はもちろんのこと他府県の人にもぜひ見ていただきたいところだと思いました。
大阪も昔は大部分海だったのですか。そんな中で四天王寺も大阪城も縄文時代から陸地だったとは、さすが昔の人は要衝をよく分かっていたものと感心します。
分かりやすい説明ありがとうございました。