臨済宗妙心寺派の名刹 臨済寺を見学してきた。
徳川家康が幼少期を過ごしたところでも有名です。
5月19日は今川義元の命日である。
普段この臨済寺は一般公開はしていない。
春と秋の年2回のみ公開している。
weekdayではあるがなかなか見学するチャンスがないので思いきって行ってきた。
午前10時の開門ですが、既に人はいっぱいでした。



山号「大龍山」の額は、徳川慶喜の揮毫による


仁王像は神仏分離の際に静岡浅間神社から移設された。


到着したときはまだ本堂にて法要中でした。10時から40分間程行われていました。
修行僧も多くいました。
なので、堂内の色々な古文書とか書物とか宝物などについて詳しいことは一部の僧侶しか知りませんでした。

今川氏輝公、今川義元公の木造




一寸暗い写真ですが徳川家康の御手習いの間です。
幼少期、今川義元に人質として囚われの身になっていた徳川家康はここで過ごしました。

徳川慶喜の書


今川義元の廟です。
普段は参拝できないところでなかなか見応えがありました。
又、行ってみたいところです。午後の方が空いていて良いのかもしれない。
「しまった。御朱印帳を持っていくのを忘れてしまった。」
徳川家康が幼少期を過ごしたところでも有名です。
5月19日は今川義元の命日である。
普段この臨済寺は一般公開はしていない。
春と秋の年2回のみ公開している。
weekdayではあるがなかなか見学するチャンスがないので思いきって行ってきた。
午前10時の開門ですが、既に人はいっぱいでした。



山号「大龍山」の額は、徳川慶喜の揮毫による


仁王像は神仏分離の際に静岡浅間神社から移設された。


到着したときはまだ本堂にて法要中でした。10時から40分間程行われていました。
修行僧も多くいました。
なので、堂内の色々な古文書とか書物とか宝物などについて詳しいことは一部の僧侶しか知りませんでした。

今川氏輝公、今川義元公の木造




一寸暗い写真ですが徳川家康の御手習いの間です。
幼少期、今川義元に人質として囚われの身になっていた徳川家康はここで過ごしました。

徳川慶喜の書


今川義元の廟です。
普段は参拝できないところでなかなか見応えがありました。
又、行ってみたいところです。午後の方が空いていて良いのかもしれない。
「しまった。御朱印帳を持っていくのを忘れてしまった。」