ジュエリークリエイターBloom Fruitsの日記

アートとハンドメイドと音楽とめだかと
日々の出来事

オルセー美術館展

2014-07-30 17:54:13 | 歴史


観てきました(^o^)

ずっと観たかった印象派の作品の数々。

特に気になってたあの作品も!

エドゥアール・マネの「笛を吹く少年」1866年、第二帝政期、ルイナポレオンか君臨してた頃描かれた絵です。

友人であった軍の高官が連れて来た、近衛軍鼓笛隊員ですが、一説によると顔の部分だけ、マネの息子のレオンであると言われ、大きな瞳に、あどけなさを残す表情が印象的。

この作品はジャポニスムの影響が見られるということで有名。

遠近感なく、人物の動きを最小限にとどめ、コントラストの強い色を平面的に用いている様は浮世絵の技法だとも言われてるそう。

そばで見ると、迫力ある一枚です。

しばらく進むと、なんと、少年が吹いてる楽器を再現したものがあるではないですか!!!

三響フルート製作所さんによる、8孔のもので、一つだけグラナディラ製、洋銀のキーでつくられてます^^

この笛はファイフという楽器(横笛)で、軍隊の鼓笛隊で使われたものだそう。
行進の統制や、点呼、戦術で兵士に合図を送る役割を担っていたとか。

音色は、フルートよりはかたい、きれいな音というよりは通る音だったようです。

ピッコロみたいなものを想像してみた^^

絵のモデルになったのは、フランス皇帝の近衛隊直属の少年兵でしょうか。
顔の中身は、マネの息子だともいわれています。


ところで、ファイフという楽器自体は、スイスの傭兵によってもたらされ、1515年に正式に導入されるようになったのだそう。

国王つきの音楽隊、王のファイフ奏者ー「Fifle du Roi 」という役職ができるほど、重要なミッションがあったのですね。

さまざまな式典や祝祭でも演奏されてきた楽器で、19世紀半ばにはパリ高等音楽院にも軍楽隊養成を専門とする教育機関も整備されるようになったらしい。

宮廷と音楽、切り離せない関係にありますね。

美術館、時空を越えた歴史の中に入り込める不思議な空間です。



ノートルダムの鐘

2014-03-04 15:23:32 | 歴史


寒い日曜日、ヴィクトル・ユーゴーの小説のテーマでも有名な、ノートルダム大聖堂のミサに参加することに。
駅を降り立つと、シンボルの塔が…。



セーヌ川の中洲のシテ島(三角州みたいなものか)にあって、世界遺産にもなっている聖堂です。
橋の脇に、喜びの橋と書かれていた。
ドビュッシー作曲の喜びの島とは関係ないようです。(島違い(笑))



セーヌ川、またも私のイメージが悪かったのか、濁流とは言いませんが、黄土色に濁って流れてました。
しかも、流れが速い。

パリでも、ランニングはブームのようで、いわゆる河川敷を走っている人たちが沢山。

インラインスケートも自転車の扱いで普通に滑ってます。
いいなぁ。持っているけど、日本だと路上では禁止なので、なかなか活用しにくいし。
個人的にはセグウェイも使ってみたい。



大聖堂の前に着くと、ノートルダムの鐘が
ミサの開会を知らせていました。



式次第は、全部ラテン語で行われ、グレゴリオ聖歌が歌われてました。

前に、ドイツの教会に行ったことがあるけど、さらに厳か、敬虔で、荘厳な雰囲気。
カトリックですね。



フランスの歴史上の有名人と言えば、ナポレオンがいますが、
1804年5月28日に帝政を宣言した彼の戴冠式は、その年の12月2日にノートルダム大聖堂で行われたのだそう。

そんな経緯もあるんですね。

  

少し歩いて、東京でいうアメ横へ。
本当にケバブの店や、安い靴屋なんかが立ち並んでいて、お土産を探すのも楽しいです。



フランスは何を食べても美味しいと聞いてたけど、特にパンとお菓子は最高☆
スーパーのチョコレートムース4つ入なんかでも、かなり美味しいんです。

沢山観るもの、学べることも美味しいこともあって、
うーん、まだ帰りたくないなぁ。

  



学ぶ・・・

2013-08-28 11:48:29 | 歴史


先週土曜日、先輩が講師をつとめるセミナーに参加する機会がありました。


その先輩は、某大学の国際関係学科のOGで、在学中から国内、世界を旅行しながら、

NPO法人など、様々な国際・国内ボランティア福祉活動に参加してきた経験がある方で、

現在は、福祉関係のお仕事をされています。


セミナーのテーマは、

Glocalってなんだろう、

わたしたち、日本人だからできることとは…

真のFriend shipを学ぼう

というものでした。


全般的に、関心を持てる内容で、

話し方も上手で、

新たに引き出しを作ってもらった時間でした。


自分に軸を持つことの大事さ、世界平和などなど。

海外に出てみてわかること、視野が広がりますね。


その中に、第二次大戦終盤の特攻隊がおさめられた写真がありました。

1945年。

まだ100年も経っていないんです。

今は、2013年ですから、

100年前は、まだ第一次大戦が始まる一年前の話ですね。


日本で生きていること、

この時代に生きていること、

時代が100年前ならばもちろん

50年前でも、

現在私がしていることや、抱いているビジョン、夢など、

到底持つことができなかった時代もあったんだよなと

しみじみ感じました。


私は、以前、外資系の会社で数年働いてたのですが、

その時、インド人の同僚に、アジアから観た日本の存在について言われたとき、

日本というのは、アジアの中でそんな風に思われているんだなと、

グローバルな視点を教えてもらった時のことを思い出しました。


世界の中での、日本の役割、

日本人の役割…

自分の位置から考えて行こう。




実践する力

2013-06-11 21:52:16 | 歴史

↑ブライダルシリーズ


たいてい、今の自分の立場から考えて、

どうしたら理想的になるかは、誰でもわかっているものではないかと思います。


やった方がいいとわかっていても、

環境や、状況、自分の置かれた立場、あげくの果てには天気など、

色々なことを理由に、できなかったと言いやすいのも人です…。


最近、朝読書を始めて、

歴史書(昔専攻だった)なんかを少しずつ読んでいるのですが、

あらゆる転機に出てくる人物というのは、

やはり実践した人なんだなと感じます。


誰かが何かアクションを起こすこと、

その本来の目的が果たされなかったとしても、

その後の歴史に何かしら、

影響を与えてきた。


たとえば、18世紀、19世紀のヨーロッパでは、

1789年に火蓋を切ったフランス革命の後、

ヨーロッパ全域で、さまざまな革命が起こっていますが…


貴族の支配するもとで立ち上がり、

自由主義と民族の自立を求めた、

それらの革命そのものは、すべて挫折したということ。

でも、新しい時代が来たことを認めるしかなくて、

ヨーロッパの国々は、それ以前の貴族が支配する状態に戻ることはなかったと言います。


これは、現在を生きている私たちにも通じるものなのかもしれないなと思いました。


何かを目指してアクションを起こす。

なんらかの反対に遭ったり、認めてもらえなかったりして、

本来の目的は果たされなかったとしても、

何もしなかったのとは全然違うのですよね。


誰でも理由があってできなくなるけれど、

やる人が能力者であり、勝利者だ

と、聞いたことがあります。


理由があってできなければ、できないで終わるというのは

当たり前の話ですが、

実際、現場に遭遇すると、

本当にあきらめそうになったりするものです。


歴史を作って来た人物たちは、

難しい状況だとしても、実践した人たちなのですね。


自分も、今置かれた状況の中で、

理由があっても実践する人にならないとなぁと

思いました。







コーヒーハウス・・・現代へ

2013-06-04 14:43:24 | 歴史


近所に、クラシック音楽の流れる喫茶店を見つけました。

電子ピアノとオルガンが常備され、
小さなサロンコンサートができるような場所でした。

喫茶店のオーナーが、声楽を専攻されてたとのことで、
声楽のレパートリーが多かったですが…。

ついつい、
時間がゆっくりと流れ、腰に根が生えてしまいます。


先日、平均律というバロック音楽の流れる
こだわりの喫茶店にも行ってみましたが、

平均律という名前さながら、
バッハはじめ、バロック音楽が流れ続けていました。(ここも住めそうだ。)

そこでは、自分のお気に入りのカップで、
お茶や、コーヒーが楽しめるとか。


やはり、アンティークな感じで雰囲気が良かったです。



喫茶店、カフェのルーツをたどってみると、

イスラム世界で普及したコーヒーが、オスマン帝国の西方進出とともに、
ヨーロッパに広がり、

17、18世紀のイタリア、イギリス、フランスなどで開かれた
コーヒーハウスというものがあります。


そこは啓蒙主義の時代、市民たちが、
政治について話し合い、芸術を論じる、欠かせない社交の場になっていたといいます。


このコーヒーハウス、政治家や商人の情報交換の大事な場でもあったとのこと。


異常なまでの株式ブームもここから起こり、
のちに世界の海運情報を独占する、ロイド海上保険会も、
ロイド軒というコーヒーハウスから起ち上がったというからなんとも。

最近、朝活、朝カフェでの勉強会とか、働く女子たちの間ではやっていますが、
朝カフェの一人時間でものを書いていることが転じて、大学院に進学、
その後講師になったとか、起業したとかいう話も聞いたことがあります。

カフェという場をとおして、色々なものが生まれる、
まさにそんな感じだったんでしょうかね。笑


時代が変われど、人間は根本的に同じなのかもしれません。


ちなみにイギリスのコーヒーハウスは女人禁制だったようです。


バッハも、演奏の場を“教会”から“コーヒーハウス”にまで広げ、
コーヒーカンタータなるものを作曲しています。

カッフィ~♪から始まったりするんですね~。(カッフェーじゃないのかと個人的に思った。)


当時、演奏は、主に教会や、王侯貴族の館など身分の高い人たちの間に限られていたので、
コーヒーハウスで開催されたバッハの演奏会は、
一般民衆にとって音楽鑑賞の貴重な場だったようです。


東京にも沢山のカフェがあって、
おしゃれなお店も沢山あるけれど、
コーヒーハウスさながらな喫茶店が、
もっとあるといいなぁ。

ちなみに、私も朝活、ひとり時間、がんばろうと思います。。。。