ジュエリークリエイターBloom Fruitsの日記

アートとハンドメイドと音楽とめだかと
日々の出来事

メダカゲット!

2014-08-31 20:47:37 | 日記


通りすがりにふらりと入ったおしゃれな花屋さんに、なにやらメダカを発見!!!

メダカが入ってる容器は、コーヒーショップのプラスチック容器と同じです。


↑↑
コレと一緒!?

実は、メダカには痛い思い出がありまして

それは小学校五年生の夏ー。

同時、クラスではメダカを飼っていて、卵が孵って稚魚が沢山生まれました。

生き物係の子達が、稚魚を紙コップに移して、別にして飼っていました。

いつもコップに水を足して、管理してたのが…

二泊三日の林間学校から戻ったら、なんと、完全にコップの水が干上がっていて

メダカの稚魚たちも水と一緒に干上がってました( ̄▽ ̄;)

その小学校は群馬で、天気予報でも暑くて有名な都市でして

それなりに水をはって出掛けたはずが、暑さ極まりない教室で、水が蒸発してしまったという悲劇。。。

水入れたら元に戻るかなーとか言いながら、干上がった紙コップの底を友達と覗いていたのを覚えてます^^;
↑↑
インスタントじゃないし!

かわいそうなことをしたなという記憶と共にネタになってます。


今日買ったメダカさんたちは、そんなめには遭わせません。

病んでるなー(-_-)

2014-08-29 13:24:01 | 日記
先月、埼玉県で、全盲の方が連れていた盲導犬ラブラドルレトリバーが何者かに刺されけがをした事件について。


「フォークのようなとがったもので刺された痕」と証言したようです。傷は腰付近にあり、傷の深さは最大約1センチに達していたとのこと(T_T)

訓練された盲導犬のため、刺されても鳴き声を我慢したと(T_T)
だから犯行場所も不明。

最近、動物虐待のニュースが多い気がする。

盲導犬として訓練されてたから声もあげなかったというのも、えらいと思う反面、心が痛い。

許せないという声が上がっていると。私も同感です。

深さ一センチも刺されても鳴き声を我慢したということを受けて、犬でもここまで忍耐するのに、人間が忍耐できないことの方が多くないかなとも、自分自身を振り返ってみた。

霊長類なはずなんだが…

なんにせよ、こんな事件はなくなってほしいです。

ふー

2014-08-17 22:28:29 | 音楽


サイトの更新のため、画像の処理とフォトアルバムづくりに明け暮れるここ数日。

PCの前に張り付いて、脳の活性化のために、長時間作業用のクラシック音楽聴きながら、気づかぬうちに消耗してるものですね。

衝動的にアイスが食べたくなって、ハーゲンダッツのレモンジンジャーフロートを食べてみた。

昔から、丸かじりできるくらい、とてもレモン好き。

今年は何かとレモン味の商品が多くてウレシイ。。。(*ノ▽ノ)


最近モーツァルトが多いような気がするけど、今日も、モーツァルトの名曲集を流してます。

フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299

これは、私にとって経緯のある曲で、今年も一度演奏してるもの。

モーツァルトにとって好きでなかったフルートと、当時まだ不完全な楽器だったハープを使い、

さらに素人演奏家のために易しく作られたものだけれど、比類のない名曲となってます。

もし作曲を依頼したド・ギーヌ公爵が気前の良いパトロンで、さらにフルートの演奏がもっと巧みでだったら、

あるいはギーヌ公の令嬢がもっと真面目にレッスンに取り組んでいたなら、

モーツァルトは後世の我々に複数の名曲を残してくれたに違いないとも言われてます。

現在ではあれほど有名な作曲家のモーツァルトも、当世には認められず、レッスン料も格安で、軽んじられることも多かったのですねー(-_-)


作曲家たちの中には、最も嫌いだった曲が後世で一番有名になったり、モーツァルトのように、嫌いな楽器のために書いた曲が名曲になったり、

自分の意思を越えたところからインスピレーションを受けて、作品が遺されていくのが、真の芸術家だなーと思ってしまいます(^-^ゞ

今日も

2014-08-08 06:38:06 | 音楽

明け方から省エネモードのネコさんをみても、暑くなりそうです。


私も省エネ?しながら、珍しくモーツァルトが聴きたくなり、レクイエムを流すことに。


レクイエム ニ短調(Requiem in d-Moll)K. 626

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年 - 1791年)が作曲したレクイエム(死者のためのミサ曲)であります。
彼の死により作品は未完のまま残され、弟子により完成されたもの。

作曲の経緯を思い出してみました。


フランス革命の動乱下のヨーロッパで、1791年、モーツァルトはウィーンの聴衆の人気を失い、苦しい生活を送っていました。

ジングシュピール『魔笛』K. 620の作曲をほぼ終えたモーツァルトは、7月末に、プラハでのボヘミア王としての皇帝レオポルト2世の戴冠式で上演するオペラ・セリア『皇帝ティートの慈悲』K. 621の注文を受け、これを優先して作曲することにします。
ようやく完成の目処が立ち、8月末にプラハへ出発する直前、見知らぬ男が彼を訪ねてきました。

男は匿名の依頼主からのレクイエムの作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして帰っていったというのです。
↓↓
このシーンはアマデウスを観た時、かなり怖い印象が残っています。顔が黒いマスクに覆われてたか、ほんとに怪しかった。。。

9月中旬、プラハから戻ったモーツァルト。
『魔笛』の残りを急いで書き上げ、9月末の初演に間に合わせました。

その後、レクイエムの作曲に取りかかるも、体調を崩しがちとなり、
11月20日頃には寝たきりに、12月になると病状はさらに悪化して、
モーツァルトは回復することなく、12月5日の未明に亡くなります。

あまりにも急なモーツァルトの死。
彼の死後、モーツァルトは死の世界からの使者の依頼で自らのためにレクイエムを作曲していたのだ、という伝説が流布しました。

当時、依頼者が公になっていなかったことに加え、
ロレンツォ・ダ・ポンテに宛てたとされる有名な書簡において、
彼が死をいかに身近に感じているかを語り、
灰色の服を着た使者に催促されて自分自身のために
レクイエムを作曲していると書いていたからです。

天才にふさわしく、神秘的なエピソードですが、
1964年になって、匿名の依頼者が誰だったのか、その理由も明らかになります。

ロレンツォに宛てた書簡も偽作説もあるようですが、
モーツァルトが自らの死を知ってか知らずか、肉体を持った最後の仕事としてレクイエムを作曲したことは、
なんともいえない感情を掻き立てられます。。。