ニューマシンを得てVRMoNLINEを導入したとは言え、僕は何もVRM3の事を忘れた訳ではありません。だって、ついこの間新しいパーツを増やしたばかりですから。VRM3もようやくすべてのパーツが揃ったんです。捨て去るには勿体無い勿体無い。そして、同じくVRM3の事を忘れていなかった大御所が突然Trainzに行ってしまったので…鬼の居ぬ間に何とやらです(笑。
ビネット~(株)斜陽鉱業@閉山炭鉱第二竪坑

クリックすると拡大します(ブラウザの戻るボタンで戻って下さい。
上に掲げた写真は使い慣れたVRM3で制作中のビネット第二弾、題して「(株)斜陽鉱業@閉山炭坑第2竪坑」です。なんとも気分の滅入るネーミングですが…没落間違いなしって感じでしょうか?(笑。VRMoNLINEとVRM3で平行して制作中の国鉄追赤地線が通る度井中郡比奈日多町の隣町、閉山町(しめやまちょう)には沢山の炭坑があって石炭を採掘していました(何故か過去形w)。大手鉱業系企業である五菱鉱業や住元鉱油、四井化学、古科和鉱業など等、錚々たる企業が参入して石炭を掘りまくっておりました。その中で唯一、閉山町大字場末にあった度井中郡の地元系企業である斜陽鉱業(しゃようこうぎょう←なんちゅうデタラメなネーミングw)の第2竪坑をコンパクト?にデフォルメしたビネットが今回のエントリーのお題です。まだまだ完成には至っていませんが近いうちに公開できると思います。でね、僕は以前からも何度か書いて来たとおり、実家は九州の福岡、筑豊地方の中にある川崎という所なんです。ここは親父の故郷であり、僕もこれまで事あるごとに向こうで生活しておりました。僕、生まれは大阪なんですよ。なので実家って厳密には違うだろ!!という突っ込みが入りそうですが、はやぶさ家(内村家)の跡取は僕しか居ないので実家なんです(なんのこっちゃw)。いや今は大阪に住んでますが何れは川崎に帰る事になるだろうという。で、話が脱線しましたけど、小さかった頃から筑豊に慣れ親しんできて、僕が物心付く頃には実家の周りにはボタ山や巨大なホッパーに広大なヤードが沢山あって僕の遊び場でもありました(今考えると非常に危険ですw)。北海道と並んで9600とかD51最後の聖地でもあったのですが、そこらじゅうで普通に走っていました。しかも重連で長い長いセラ(石炭積みのホッパ貨車。名前の通り2軸でした。ナベトロを大きくしたような奴です)を引っ張って頑張ってました。もう煙たいのなんのって(笑。そんな訳で僕は本当の意味での炭坑風景が脳裏に焼き付いていたりして、軍艦島とかの写真とか見ると瞼が熱くなるんですよ。懐かしいなぁって。だからと言う訳ではないですが炭坑風景に関してはちょっとうるさいんです(ウザイとも言う)。上の写真でも判るでしょう?。ただ単なるビネットですが、ここまで来ると見た事ある人間にしか作れない情景ですよ。特に奥のホッパはちょっとした自慢というか、このビネットの見せ場でもあります。貨車が北海道のセキなのが少し残念なんですが。ちなみに川崎で採炭していたのは古河鉱業っていう大手財閥(古河財閥)系で、閉山は昭和49年頃です。閉山後も竪坑の櫓とかホッパとかボタ山もそのままで放置されていて、僕がボタ山で遊んでいた頃はすでに閉山になった頃だったと記憶しています。最後まで残っていたのは三井系の炭坑でこちらは田川と飯塚に昭和52年頃までありました。今は殆どの施設が解体されて残ってませんが、実家の近く、ちょうど川崎と添田の境目辺りに辛うじて古河のホッパの残骸が残っています。ホッパ本体自体は僕が高校に上がる頃になくなりました。炭坑の遺構とかお好きな方、一度筑豊においで下さい。いろいろと発見があって楽しいかもです。
って事でVRM3も忘れてはいないんだよ~&炭坑って凄く魅力あるね~、ってお話でした。
ちょっとウザいエントリだったかな?。ま、良いか。

クリックすると拡大します(ブラウザの戻るボタンで戻って下さい。
上に掲げた写真は使い慣れたVRM3で制作中のビネット第二弾、題して「(株)斜陽鉱業@閉山炭坑第2竪坑」です。なんとも気分の滅入るネーミングですが…没落間違いなしって感じでしょうか?(笑。VRMoNLINEとVRM3で平行して制作中の国鉄追赤地線が通る度井中郡比奈日多町の隣町、閉山町(しめやまちょう)には沢山の炭坑があって石炭を採掘していました(何故か過去形w)。大手鉱業系企業である五菱鉱業や住元鉱油、四井化学、古科和鉱業など等、錚々たる企業が参入して石炭を掘りまくっておりました。その中で唯一、閉山町大字場末にあった度井中郡の地元系企業である斜陽鉱業(しゃようこうぎょう←なんちゅうデタラメなネーミングw)の第2竪坑をコンパクト?にデフォルメしたビネットが今回のエントリーのお題です。まだまだ完成には至っていませんが近いうちに公開できると思います。でね、僕は以前からも何度か書いて来たとおり、実家は九州の福岡、筑豊地方の中にある川崎という所なんです。ここは親父の故郷であり、僕もこれまで事あるごとに向こうで生活しておりました。僕、生まれは大阪なんですよ。なので実家って厳密には違うだろ!!という突っ込みが入りそうですが、はやぶさ家(内村家)の跡取は僕しか居ないので実家なんです(なんのこっちゃw)。いや今は大阪に住んでますが何れは川崎に帰る事になるだろうという。で、話が脱線しましたけど、小さかった頃から筑豊に慣れ親しんできて、僕が物心付く頃には実家の周りにはボタ山や巨大なホッパーに広大なヤードが沢山あって僕の遊び場でもありました(今考えると非常に危険ですw)。北海道と並んで9600とかD51最後の聖地でもあったのですが、そこらじゅうで普通に走っていました。しかも重連で長い長いセラ(石炭積みのホッパ貨車。名前の通り2軸でした。ナベトロを大きくしたような奴です)を引っ張って頑張ってました。もう煙たいのなんのって(笑。そんな訳で僕は本当の意味での炭坑風景が脳裏に焼き付いていたりして、軍艦島とかの写真とか見ると瞼が熱くなるんですよ。懐かしいなぁって。だからと言う訳ではないですが炭坑風景に関してはちょっとうるさいんです(ウザイとも言う)。上の写真でも判るでしょう?。ただ単なるビネットですが、ここまで来ると見た事ある人間にしか作れない情景ですよ。特に奥のホッパはちょっとした自慢というか、このビネットの見せ場でもあります。貨車が北海道のセキなのが少し残念なんですが。ちなみに川崎で採炭していたのは古河鉱業っていう大手財閥(古河財閥)系で、閉山は昭和49年頃です。閉山後も竪坑の櫓とかホッパとかボタ山もそのままで放置されていて、僕がボタ山で遊んでいた頃はすでに閉山になった頃だったと記憶しています。最後まで残っていたのは三井系の炭坑でこちらは田川と飯塚に昭和52年頃までありました。今は殆どの施設が解体されて残ってませんが、実家の近く、ちょうど川崎と添田の境目辺りに辛うじて古河のホッパの残骸が残っています。ホッパ本体自体は僕が高校に上がる頃になくなりました。炭坑の遺構とかお好きな方、一度筑豊においで下さい。いろいろと発見があって楽しいかもです。
って事でVRM3も忘れてはいないんだよ~&炭坑って凄く魅力あるね~、ってお話でした。
ちょっとウザいエントリだったかな?。ま、良いか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます