遥かな轍(日々雑感)

大根サラダを食いまくってカリカリな体になってみよう(笑。

国鉄型の存在感

2006年02月15日 20時31分41秒 | 日記
 さて今日は、以前予告していた国鉄型の存在感について自分なりに論じてみます。ちなみに、明日群馬に行きます。で、この記事はその途上でPostしています。
 国鉄型の存在感って独特ですよね。何とも言えないモノがあります。特に特急はある種異様な雰囲気を湛えています。何故なんだろう。まだ僕が小さかった頃、優等列車には近づきがたい、日常からは大きく掛け離れた雰囲気があったもんです。グリーン車なんて、もう神々しいばかりですよ。あのゆったりした豪華なエンジ色のシート。そして真っ白で無闇やたらと高級感を醸していたシートカバー。たまりません(笑 振り子式特急電車のオーソリティ、381系でさえ国鉄特急の最低条件(僕の言う所の近づき難い雰囲気)を十分満たしていて、何故か嫌味な程、上流階級のみしか受け付けないオーラが出ていました。天王寺駅の一番線は都会の中にある議員クラブのようでホストである車掌のあの真っ白な制服と帽子、そして赤いあの腕章。これらがまた一層近づき難い雰囲気を助長していた気がします。憧れたよね、あの真っ白なスーツ姿。なんかね、旅客機(日航とか全日空)のキャプテンより格好よく見えたんだよね。結構身近なトコで目にする、しかし遠い存在だった、ってのが車掌を神々しい存在にしていたのかも知れないね。
 さて、では何故遠い存在だったのか考えてみましょう。まず第一に、特急は飽くまでも特別であり庶民的じゃなかったという事実です。ちょっと話がそれますが、僕は小さかった頃から幸運にも乗る機会に恵まれた新幹線0系の方が身近に感じていたほどです。それと583系も何故か馴染みがあって、極端ではあるけど自分の家みたいな感じがしたのは何故なんだろう。頻繁に乗ったから?いやいや、親父の趣味のせいで数年前迄乗る機会さえなく、いつも指を喰わえて遠目に見ていたブルートレインなど神々しいどころか、なにか、自分の理解を超えた究極の世界に見えたのに。同じ寝台特急でありながらですよ。何か謎はこの辺りにありそうですね。
 翻って急行ですが、こちらは、ま、なんと言いますか、隣の家に住むオッチャンのクルマみたいな感じで、たまにドライブに連れて行ってもらう時に乗せてくれるような存在。意外と身近でした。ただ自動車って、今はもう溢れんばかりになって、一家に最低二台はあるのが当たり前になってますが、僕が小学校に通っていた頃はまだまだ贅沢品の部類に入ってましたよ。持ってる事自体が自慢になる時代。免許持ってない人の方が多かったはずです。ま、そんな時代だから急行は今で言う自家用車みたいな印象があったのでしょうね。僕がよく乗った「みまさか」のキハ58は車番も暗記してたくらいで、かなりの確率で同じクルマに当たったもんです。とくに563、592、595、596はまさに隣のオッチャンのクルマでしたよ(今でもハッキリ覚えてるのは、ある意味凄くない?)今彼らはどこにいるのかなぁ・・・。既にこの世に居ないかもね。
 さてさて、そろそろ出発時間が来ました。8時半には運行再開しようかと考えてますので今日はこの辺りで終わりにします。では。

っつーか、今、滋賀にいるのだけど雨が凄いです。群馬までずっと雨なのかなぁ・・・、いやだなぁ(笑
あ、そうだ、名古屋オフがいよいよ今週末に迫って来ましたよ。まだ参加メンバー募集中なんですが、是非と言う方、メール下さいネ。お待ちしています。個人的には、名指しでどうかと思いますが、キサロハ君、来ないかなぁ・・・なんて勝手に思ってますよ。破天荒で愉快だしね。あ、携帯からのPostではリンク張るにも一苦労なので適時誘導できないのが残念です。あ、いや言葉が過ぎたと言おうか、筆、滑ってますね(汗
失礼しました。じゃ、また明日。

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