最近、書店で『タモリ学』という文庫本を見つけて思わず購入してしまった。そして、一度タモリのことが気になりだすと止まらない。もう1冊、『タモリ伝』という新書を見つけ、こちらも購入。最近何だか自分の中で“タモリ祭り”が開催されているようだ(笑)。
僕は元々タモリが好きであることは過去にも取り上げたが、これらの本を目にして興味を持ってしまい、躊躇なく手を伸ばしてしまった。今までは何となく感覚だけでタモリが好きだと思っていたが、この2冊の本を読んで、なんで自分がタモリに惹かれるのかがようやくわかったような気がした。何だかとても腹落ちしたのだ。
タモリの歴史は、まさに昭和のラジオ史、テレビ史そのものでもある。僕が中学生であった1982年に放送が始まった『森田一義アワー 笑っていいとも!』。記録に残る長寿番組となったが、まさにタモリは僕の学生時代の記憶と重なっている。その意味では無意識にタモリの影響を色濃く受けて育ったと言っても過言ではない。若い頃は“イグアナ”などかなりキワドイ芸で有名で、とても昼の顔という爽やかなイメージではなく、アングラ、サブカル色満載だったが、タモリは単なるキワドイ芸人ではないことが、この本を読んで改めて良く理解出来た。
この2冊の本では、30歳と遅咲きで芸能界入りしたタモリのこれまでの生い立ちや、破天荒で伝説的なエピソードなどが数多く登場するので、それらを振り返るだけでも読んでいて楽しい。しかし、それ以上にタモリという人間に焦点を当てている点でとても良く纏まった本であった。特に『タモリ学』は気付きが多く、単なるタレント本という枠を超えて、自分にとっては自己啓発本にも近い気付きとインパクトを受けてしまった。
タモリは決して頑張らない。自分を中心に置こうとせず、目立とうとしない。いい意味で“いい加減”なのだ。さんまのように、如何に笑いを取るかに貪欲過ぎることもない。たけしのように努力の人や、高い志があるわけでもない。大きな野望があるわけでもない。そして特に群れを作らず、一匹狼的で孤高の男でもあるが、それでいて孤立しているわけでもなく、誰からも“タモさん、タモさん~”と言われながら慕われるし、敵を作らない平和主義者。他人に無関心のようで、常に他人を観察している”洞察力”が秀でているし、些細なことに気がつくので、他人への気遣いと配慮も欠かさない。その意味では、僕がロールモデルとして尊敬する『ウルトラセブン』にも通ずるところがある。そして前にもブログで取り上げたが、博識・勉強熱心、それでいてユーモアのセンスもある点でどこか父にも似た雰囲気があるが、やはり僕が惹かれ、尊敬する人物は、こういった共通項があるからなのだと、改めて認識した。
本の中で、タモリは“ジャズな生き方“を実践していると解説されているが、この点も凄く自分の中で腹落ちした。タモリは過去や未来に全く執着せず、『今』を自由に生きるという生き方に貫かれており、テレビでもハプニングなど、決して再現出来ない、今その瞬間の面白さを大切にしているのも、この精神からきていることを痛感した。その意味ではタモリの生き方や仕事の仕方は、まさにフリースタイルが信条のジャズに通ずるものがあるのだ。全く同じ曲は2度と演奏出来ない。その瞬間がプライスレス。まさにジャズを地で行くタモリのライフスタイル、そして彼なりの頑張らない哲学に貫かれているのだ。この自由度と型にはまらない柔軟性にはやっぱり途轍もない憧れを抱いてしまうし、この点はブルースリーの哲学にも通ずるところがあるかもしれない。
タモリの冠番組はこれまでにも数多くあり、いつも時代を作ってきたが、『笑っていいとも!』が8054回の放送をもって、2014年に惜しまれつつ終了、そしてもう一つの長寿番組であった『タモリ倶楽部』も今年の4月1日で放送が終了してしまった。残るは『ブラタモリ』と『ミュージックステーション』や不定期に開催される『タモリステーション』、『世にも奇妙な物語』などだが、タモリもまもなく御年78歳。頑張り過ぎない男は、自分の引き際も考えているのだろう。何だか近い将来全ての冠番組を辞めて、きっぱり芸能界からいなくなるような気もしてファンとしてはとても寂しい限りだが、少しでも長くテレビなどのメディアを通じて、“タモリイズム”を感じ続けたいものだ。そしてこれからも緩い感じのジャズな生き方で、父の分も長生きして貰いたいと切に思う。