先月リリースされた、作詞家三浦徳子作品だけを集めた松田聖子のベスト盤、『Seiko My Love – Yoshiko Miura Works-』について下記ブログで取り上げたばかりだが、実は2018年に、多くの松田聖子作品の作曲・編曲を手掛けた大村雅朗の作品だけを収めた『Seiko Memories~Masaaki Omura Works~』Worksがリリースされていたので、今回はこちらのベスト盤を紹介したい。
永遠の輝き!松田聖子『Seiko My Love~三浦徳子Works』リリース! - blue deco design lab
大村雅朗は1997年に46歳という若さで亡くなってしまったが、数多くの歌謡曲の作曲・編曲を手掛けたことでも知られている。そして特に、大村雅朗の大きな功績は、数多くの松田聖子作品を手掛け、関わっていたことだ。松田聖子との関わりは、デビュー直後の「青い珊瑚礁」から始まり、松田聖子のプロデューサーであったCBSソニーの若松宗男が大村が編曲を手がけた山口百恵の「謝肉祭」に深く感動し、大村にオファーを出したのがきっかけだったらしい。その後も若松の信頼を得て「聖子プロジェクト」の中心メンバーとして活躍を続けた。大村は同郷の聖子を大変可愛がり、時に深夜のレコーディングで煮詰まった聖子をファストフード店に誘い「聖子ちゃんは普段食べに行けないでしょう」とハンバーガーを食べさせて気分転換を図ったというエピソードを、松田聖子自身が以前NHKスペシャルで語っていたことを思い出した。松田聖子も大村を「まーくん」と呼んで実兄のように慕っており、良き相談相手として信頼していたようだ。まさに松田聖子の絶頂期を精神的にも支えていた大きな存在だったのだ。
このベスト盤はCD3枚組で、下記全46曲を収録している。ご覧頂ける通り、多くのシングル曲で大村が編曲を担当している。しかし、やはり特筆すべきは、大村が作曲を手掛けた作品群だろう。とりわけ有名なのが大ヒットして大村の名前も広めることになった『SWEET MEMORIES』だが、他にも松田聖子ファンの間では人気曲の『セイシェルの夕陽』、『真冬の恋人たち』も大村の作曲だ。
(大村が作曲した曲: 星印(★)、それ以外は編曲を担当)
(Disk 1)
1 SWEET MEMORIES★
2 P・R・E・S・E・N・T
3 水色の朝
4 黄色いカーディガン
5 真冬の恋人たち★
6 セイシェルの夕陽★
7 マイアミ午前5時
8 WITH YOU★
9 Canary★
10 Sleeping Beauty★
11 スピード・ボート
12 マンハッタンでブレックファスト★
13 Kimono Beat
14 雛菊の地平線
15 雪のファンタジー★
(Disc 2)
1 青い珊瑚礁
2 チェリーブラッサム
3 夏の扉
4 白いパラソル
5 野ばらのエチュード
6 パシフィック★
7 ガラスの林檎
8 時間の国のアリス
9 ハートのイアリング
10 天使のウィンク
11 ボーイの季節
12 Caribbean Wind★
13 夏のジュエリー★
14 Strawberry Time
15 Forever Love★
(Disc 3)
1 SQUALL
2 潮騒
3 白い恋人
4 ウィンター・ガーデン
5 Sailing
6 パイナップル・アイランド
7 ブルージュの鐘
8 ジングルベルも聞こえない★
9 メディテーション
10 BITTER SWEET LOLLIPOPS★
11 AQUARIUS★
12 とんがり屋根の花屋さん
13 Musical Life★
14 妖しいニュアンス★
15 シェルブールは霧雨
16 櫻の園(rearrange version)★
大村が作曲した作品は、個人的に好きな曲が多い。特に『WITH YOU』、『マンハッタンでブレックファスト』、『Canary』、『Sleeping Beauty』、『BITTER SWEET LOLIPOPS』、『AQUARIUS』、『妖しいニュアンス』などはまさに松田聖子の絶頂期だった中学生の頃、レコードで良く聴いていた曲ばかりでとても印象に残っている。
大村の曲は、美しいメロディの中にも、どこか切なさを奏でている曲が多く、抜群のメロディセンスを持っていると感じる。例え明るいポップな曲調のものでも、どこかにそっと切なさを忍ばしているのだ。好例なのが『妖しいニュアンス』だろう。
そして僕が大村雅朗の曲で一番感動したのが、『櫻の園』という曲だ。この曲、実は大村が亡くなった2年後の1999年にリリースされた曲で、実は感動的なエピソードを持つ曲だ。大村が生前に残した楽曲だったが、親交の深かった作詞家の松本隆により、大村の死を悼むような詞が付けられた。この曲は、松本から依頼されて作った大村の楽曲が事情によりお蔵入りとなり、綺麗なメロディなのでいつか使いたいと松本が預っていた曲であった。その後、大村は逝去してしまい、「聖子さんが歌ってくれたら彼も喜んでくれるだろう」と、この曲を世に出すことを条件に松田聖子のアルバムの仕事を受けたと、松本隆が語っていた。
曲は大村らしい、何とも切なく、美しいメロディ。これに松本隆が大村を追悼するようなこれまた切ない詞を付けたことで、松田聖子史上最も感動的な曲に仕上がった。しかし、実はこの曲は当初大村の作品であることを松田聖子にあえて知らせていなかった。にも関わらず、レコーディング中に松田聖子が何度もこの曲を練習するうちに、その歌詞から大村さんの曲だと悟り、思わず号泣してしまい、暫くレコーディングできなかったというエピソードも残されている。この曲を良く聴くと、歌う松田聖子の声が少し震えているのがわかる。僕もこの曲を初めて聴いた時には本当に感動してしまったし、今でも聴くたびにメロディと歌詞が心に染みる美しい曲である。
松田聖子の初期を作詞で支えたのが三浦徳子だとすれば、松田聖子初期から絶頂期を作曲・編曲で支えていたのが大村雅朗だったのである。そして、改めて彼の作品だけをこうして集めて一気に聴くと、如何に彼が見事なメロディーメーカーであったかがとても良くわかるし、そのメロディの美しさにも感動してしまう。大村雅朗は、松田聖子を支えていたのみならず、1980年代の日本の歌謡界を支え、引っ張っていた一人であることは間違いない。このCDに収録されている46曲は全て知っている、或いは他のアルバムで持っている曲ではあるのだが、大村の功績を振り返りながら松田聖子を聴くには最適にして最強のベスト盤CDとしておススメの1枚である。