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松田聖子のアルバムは、ダイヤのように輝く”音楽遺産”!

小学生、中学生の頃に買っていた松田聖子のLPレコードを先日引っ張りだして眺めていたが、初期のアルバムで幾つか持っていないものがあることに気が付き、新たに中古で購入した。

そしてこれら持っている全ての松田聖子アルバムを一同に集めて並べてみたが、なかなか壮観な“松田聖子パラダイス”である(笑)。

LPとは別に松田聖子のシングルEPレコードはそんなに持っていないのだが、やっぱり一番思い出深いのが、小学生頃に買った『チェリーブラッサム』のシングルレコード。当時買ったEPを今でも大切に持っている。その次に好きだったのが、『瞳はダイヤモンド』のEPだった。この2枚は当時擦り切れるほどよく聴いていたのが何ともいい青春の思い出だ。

最近になって、聖子ちゃんカットが美しいシングルジャケ写が欲しいと思ってこちらの2枚も購入したが、曲もさることながら、ジャケ写が何とも美しい~。

LPアルバムで小学生、中学生当時に買っていたのが、『ユートピア』、『Canary』の2枚、それにベスト盤として当時大ヒットした『Seiko Plaza』というLPボックス。この3枚は特に思い出深い。長年実家の押し入れで大切に保管されていたが、ようやくまたすぐ聴ける状態になったので、40年ぶりくらいに日の目を見た感じである。

しかし、80年代初期の6枚のアルバム(『Squall』、『North Wind』、『Silhouette』、『風たちぬ』、『Pineapple』、『Candy』は、改めて聴くとどれも素晴らしい出来栄えだ。豪華な作詞・作曲陣がしっかり支えていたし、まだ初々しい松田聖子がしっかり封入されている。特に4枚目のアルバム『風たちぬ』は、大瀧詠一/ハッピーエンドのカラーが色濃く出ており、今聴くとアイドルのアルバムというよりは、完全にニューミュージック、そして大瀧詠一印の名盤としても傑作と言えるかもしれない。

僕は中学2年の終わりからアメリカのニューヨークに転居となったが、転居前に一番良く聴いていたのが、8枚目のアルバム『Canary』であった。このアルバムは今聴いても素晴らしい完成度で、松田聖子の全アルバムの中でも特に傑作ではないかと思うが、傑作であると同時に、収録されている大好きな『瞳はダイヤモンド』や『蒼いフォトグラフ』とも相まって、松田聖子の全アルバムの中でも一番思い出深いアルバムとなっている。

その後アメリカでは日本にいる時のように毎週音楽番組など観れるわけもなく、まさに松田聖子に飢えていた時期でもあった。そこで時々マンハッタンのロックフェラーセンターにある紀伊國屋書店を訪れては、本屋の一角にあるレコード・カセットテープコーナーで、少し値段も高めの松田聖子アルバムをゲットしては、遠く離れたニューヨークの地でしみじみと聴いていたのが貴重な機会となっていたのがとても懐かしい。アメリカで購入したアルバムとして特に思い出深いのが、『Tinker Bell』、『Windy Shadow』、『The 9th Wave』の3枚である。『Tinker Bell』は当時紀伊國屋書店で買ったLPを今でも大切に持っているのだが、『Windy Shadow』の方は、当時買ったのがカセットテープであった。そのカセットはもうどこかに行ってしまったので、今年新たにまた『Windy Shadow』のLPを買い直したのだ。

そしてこの頃から、松田聖子は次第に米国・世界を意識した活動となり、1985年に全曲英語曲のアルバム『Sound of My Heart』をリリース。脱アイドルを目指した最初の意欲作ではあったものの、絶頂期の松田聖子のアルバムと比較するとやや物足りなさが残った。

僕は1987年に日本に帰国したが、この少し前にアメリカで最後に買ったアルバムが松田聖子の出産後の復帰作となった『Supreme』であった。シングル曲を全く含まないアルバムではあったものの、久々に全曲の作詞を松本隆が手掛け、このアルバムは絶頂期に回帰したような素晴らしい作品となり、かなり評価が高いアルバムとなった。

そして、帰国後日本で久々に買ったアルバムが『Strawberry Time』であったが、このアルバムは松田聖子の音楽シーンへのフルタイム・完全復帰を果たした作品として、絶頂期の松田聖子と変わらない素晴らしいアルバムに仕上がっていた。作曲として米米クラブ、REBECCAの土橋安騎夫や、当時TM Networkで人気となっていた小室哲哉などを迎えた豪華な布陣となっていたが、編曲は全て大村雅朗が手掛けたことで松田聖子らしい、引き締まったクオリティのアルバムとなった。

その後、デビッド・フォスターをプロデューサーに迎えた意欲作『Citron』、『Precious Moment』という2枚のアルバムリリースを経て、1990年には僕の帰国と逆行するかのように、今度は松田聖子が本格的な米国進出を目指すことになり、『Seiko』というセルフタイトルの全曲英語歌詞アルバムをリリース。このアルバムも決して悪くないのだが、でもこの頃から松田聖子の王道アイドル路線から軌道が大きく外れ始めた頃でもあり、彼女の輝かしいアイドルとしてのキャリアの終焉、そして今後は“アーティスト”への脱皮を図ろうとする形が明確になっていった。僕もその後社会人となり、この頃から後にリリースされた松田聖子のアルバムは次第に購入しなくなってしまった(これ以降を後期松田聖子期と勝手に呼んでいるが、実は後に個々のアルバムや、シングルを聴くと実に素晴らしい曲も多いことを再認識)。

それにしても、松田聖子の全盛期であった80年代のアルバム群(ここでは『Strawberry Time』までと仮に定義する)は、改めて聴くとどのアルバムも実にクオリティが高い。単なるアイドルアルバムの域を超越しており、松本隆、三浦徳子、小田裕一郎、財津和夫、林哲司、来生たかお、大瀧詠一、呉田軽穂(松任谷由実)、大村雅朗、甲斐よしひろ、細野晴臣、尾崎亜美、佐野元春、矢野顕子など、70年代のニューミュージックを牽引した偉大で錚々たるシンガーソングライターたちが作詞・作曲・編曲陣として、今度は完全に裏方に徹して、スーパーアイドルであった松田聖子を媒介としながら日本の音楽シーンを進化させたのが80年代だったと言える。それだけに、松田聖子のアルバムは単なるアイドルアルバムにあらず、まさに最高のクオリティで制作された“日本の音楽遺産“とも言える素晴らしいアルバムの数々を残す結果となった。

80年代当時、スーパーアイドル“松田聖子”のアルバムとして黙々と聴いていた一人の小学生・中学生ファンであった僕は、作詞・作曲陣のことは特に意識せずに聴いていて、純粋に“いい曲だな~”と思って、アイドル松田聖子が大好きで聴いていたわけだが、大人になってから振り返ると、如何に恐ろしいまでの才能が当時裏で松田聖子を支えていたかがわかるようになり、まさに鳥肌が立ってしまうほど実に感動的。もちろん、その素晴らしい制作陣の才能も、伝道師としての歌い手は誰でも良かったわけでは無い。アイドルでありながら、素晴らしい歌唱力と表現力を兼ね備えたあの松田聖子の声との見事なケミストリーがあったからこそ奇跡的な相乗効果が発揮され、音楽史上に残るクオリティアルバムの数々を残すことが出来たのだと思う。

こうして改めて振り返ってみると、松田聖子のアルバムはどれも思い出深いものばかりで、まさに僕の青春の1ページであった。しかしそれだけではない。長い年月が経ってしまったが、今でも80年代の松田聖子アルバムジャケットを眺めながら、じっくりアルバムを聴き直してみると、個々の楽曲の素晴らしさに気付かされるし、当時の思い出に浸れる楽しさに加え、いつまでも輝きを失わないアルバムとして、その高いクオリティを改めて思い知らされる。これこそが、単なるアイドルアルバムの枠には収まらない、松田聖子アルバム観賞の凄さと楽しさであり、醍醐味でもあると思う。

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