バックパッカー 中南米の旅 (まだグアテマラです)

2016-06-12 09:36:10 | 日記

―グアテマラ市からアンティグア・グアテマラに直行―                   第12話
8月15日 日本は盆真っ盛り。
グアテマラ市に戻り、すぐ旧首都アンティグア・グアテマラへ。 バス95C=49円
「アンティグア・グアテマラ」
取りあえず寝床探し。ホテル名前忘れた。 Q8=$3.2=¥416 
翌16日 レストランZENへ ここは日本人旅行者(バックパッカー)の溜まり場で、オープンから
閉店時間までここに行くと必ず誰かがいた。情報共有の場所だ。
「驚きの再会」
ニューヨークで一緒に仕事した吉田吉蔵と再会。
レストランに入って行くと草ボウボウの手入れされていない庭に何かをしている髪の毛がバサバサの仙人状態の男がいた。
店の様子を聞こうと声をかけると振り向いた顔にビックリ!! 
こちらも驚いたが、彼もまさか来るとは思ってもいない男が立っていたのでかなり驚いた様子。
1年前に彼がグアテマラに行くと言って、友人たちで送別会をしたのだが、忘れもしない。
その日はニューヨークがマイナス20℃ととてつもない寒さの日だった。
二次会に行くのにタクシーがつかまらずその場所に着くまで何軒のバーに寄ったことか。
その彼が1年経ったのにまだここにいるとは!?
積もる話もそこそこそこに、荷物を預けてまたまたホテル探しに出かけた。
途中出会った日本人に声をかけると、彼は自分が泊まっているところがいいとそこまで連れってってくれた。
「ホテル・パサフェ」。空き部屋がなく取りあえず彼(文平さん)の好意で相部屋させてもらうことになった。
文平さんは紅茶の会社に居たと云うことで詳しい。安い紅茶を美味く飲む方法を教わったのですが
すっかり忘れてしまいました。でもなるほど、さすがだなぁと感心したことは覚えている。
ここに来て驚嘆したのは「シャワー」だ。ニクロム線むき出しでそこから水が伝わり下りてきてお湯となるシステム。
当初感電するのでは気が気でない状態でシャワーを浴びた。しかも水がお湯になるためにゆっくりと伝わり下りてくるのでチョロチョロ。
かなりの時間を要する。
地元民の多くは水シャワーとのこと。日中ならともかく、朝夕は寒くて気合がいる。
夜は勿論、ZENで食事。
このレストランは門構えの立派な入口で結構人気がありいつもたくさんの客で賑わっていた。
客のほとんどが外国から来た観光客で締めていた。私が到着した時はオーナーのユキさんは日本に
里帰りをしていて不在だったが住み込みの吉田さんともう一人のグアテマラ人で切り盛りしていた。
「閑話休題」
当時、ユキさんは独身で結構寂しがり屋。そして優しかった。
遅くなると、と言っても毎日ここで飲んでいるので早く帰る日はまれで深夜なのだが、泊まっていけと云う。勿論我々は皆ホテルがあるのを知ってて誘うのだ。
両替もアンティグアではレートが悪いので皆グアテマラ市まで行くのだが彼は市内のレートで両替をしてくれたのだった。
私がニューヨークに帰った後、何年か経って結婚したという噂を耳にし、驚いたが、その後訃報を聞いた時はもっと驚いた。
信じられず、ともかくも驚きで一杯だった。
人づてに聞いたので亡くなった経緯は定かではなく、ここでは記さない。
残念でならない。 合掌

―アンティグア・グアテマラの生活―
さて、
我々は現地人と違って、水は水道水からは飲めないのでいつも店内に置いてある大きなビンの水を利用していたが、飲みが深まるにつれてどうでもよくなり水道水からロン(ラム酒)の水割りを作ったがこの水のせいでお腹を壊したという話は聞いていない。
私も今のところすっかり治っている。

アンティグアに来てから朝食はZENの隣と云うか真向いのDoña Luisa。(ドニャ・ルイサ)
ウエイトレス達とはすっかり馴染みになり、チップも効いて皆愛想がいい。
その二階からはグアテマラ富士(勝手に我々が呼んでいる)が望む。窓を一面に開けて、まるで絵画だ。正式にはVolcán de Agua
ヴォルカン=火山 アグア=水 アグア山は火山で火口には火口湖があったのでアグア山と呼ばれたが
1773年の大地震で崩壊し消滅した。標高は3,760m。ほら、富士山に近いでしょう!?
しかも火山、富士山と同じ休火山だしね。
1階はいろんな本が置いてありヨーロッパ人であふれかえっているが二階はあまり人が来ない。
ここで半日ウエイトレスのあきれ顔を見ながらハエ取りをしたことがあった。馬鹿だねぇ。

あとは御決まりのZENへ。 本日 $1=Q2.75 $100両替
18日は斎藤さん、カメラマンの竹さん(武さん?)とビリヤード。
19日はZENが休みなのでグアテマラへ買い物というか、気晴らしに出かけた。
バスターミナルがありそこから様々な場所に行くことができるが、満員にならないと出発しないので時間がわからない。しかも満員なのに途中人が手を上げたらバスを停め、押し込むので身動きできない。しかし、立って乗せてはいけないらしく途中警察が検問している所では無理やり座らせるので、他人の膝にお構いなしに座ってくるのだからたまらない。町はずれの検問を過ぎるとまた、詰めれるだけ詰めて山道を登るのだから危険極まりない。しかもそこから車掌役の男が無理やり後部席の一番奥まで料金を回収に来るのだからもうむちゃくちゃだ。想像できないでしょう?
暇なものだから、バスターミナルでよく客の呼び込みの手伝いもした。
右手を大きく上げ、手首と指をひねるように、野球のピッチャーがドロップを投げるようにしながら「グアテ、グアテ、グアテ」と叫ぶのだが、多方面のバスに負けないよう大きな声が必要なのだ。
さて、市内では結局何も買わず帰宅し、ZENで夕方5時半からのパーティの準備に出かけた。
水炊きに餃子。 確か餃子を作ったのは大原さんだ。上手い、美味い。
例のスイス人カップルとアメリカ人も誘った。総勢15人くらいだ。
20日 
毎日狭いアンティグアのセントロ(中心地)を徘徊しているので、会う日本人も同じ。
夜はZENで飲んで帰るだけ。
21日 
Doña Luisaで朝食。10時半ごろ電話局へ。コレクトコールでニューヨークを頼んだが約1時間経過。
「どうなっているんだ?」と声を荒げたらすぐつないだが、遅すぎてN.Yは誰も出ない。
ホテルに戻り洗濯。その後Caféで友人へのハガキ書き、夕方ZENへ。湯漬けと焼き魚、搾菜で一杯。
最高だね。12時半ごろ帰ホテル。
22日
いつもの所で朝食後、ZENへ行って昨日の夕食代を払う。Q3=$1.10=¥142
再度電話局へ。ニューヨークの残してきたアパートと銀行が気になっているのだ。今度は無事終了。
何故銀行かと云いうと、しばらく動かしてないと凍結されるのだ。そうするとまた窓口へ行って手続きをすると云う面倒なシステムだったからだ。

―グアテマラ富士に登る―
23日(日曜日)。きょうは急きょ、Volcán de Aguaに登ることになった。
昨夜、ZENにて山に登る話が出て、カメラマンの竹ちゃんにスニーカーを貸し、俺は彼のビーチサンダルで深夜帰宅。
しかし同居の文ちゃんに話をしたところ行ってみたらと云うことで「よし!!」と決断。
昨夜、深夜帰宅したのでホテルのオヤジを起こしてドアを開けてもらったのに3時間半後に又起こしてドアを開けてくれと頼んだので当たり前だが「何なんだお前は!?」と非常に不愉快な顔をしていた。
外へ出ると少し肌寒く、いつもの道なのに薄暗い不気味な石畳の道を進むと、ところどころに地元の原住民(インディヘナ)がうずくまって寝ている。
身構えながら聞いていたバス停まで歩いた。
この辺りだろうと見ても誰もいない。近づくと壁から人影が動いた。誰かいるのだ。ゆっくり、一歩一歩近づくとインディヘナたち。
しばらくすると一緒に登る予定の山田夫妻と子供たちも来た。
子供2人を彼らはず~っと抱いたまま登ったのだ。「すごい!!」しかない。
バスは5時出発だが竹ちゃんはやって来なかった。さすがに昨夜遅くまで飲んでたから起きられなかったのだろう。
バスはたくさんの荷物を持った地元の人達で満員状態。途中、途中、人と荷物をこれでもかと押し合い圧し合いしながら乗せ、でこぼこ道を走る。
車内の熱気に臭いが混じり酸欠状態だ。彼らはあまり風呂に入らないし民族衣装も着たまま寝起きするからだろう。
たぶん30分くらいの道のりを1時間かかって6時ごろようやく麓(ふもと)の村についた。
村では早朝から女性たちが水瓶を持って井戸に集まっていた。
そこから山に続く道を少し進むと派手な音楽が聞こえてきた。気になったので中に入ると、トランペットやギターを持った男たちが演奏をしながら歌っている。
見ていいかと尋ねると快く笑顔で手招きをしてくれた。建物の中にも楽器を持った男たちがまた、違う演奏をしている。
建物の中をよく見ると民族衣装を身にまとった「キリスト」だ。何が何だかよくわからないがとても楽しそうだ。
きょうは日曜日なので、これも形を変えた礼拝なのだろう。でも女性は参加していない。違う建物の中で食事を作っているし他の人達は水汲みだ。
しばらくして演奏が終わり朝食が始まった。
バナナの皮に包んだ肉の入ったトウモロコシとパン。そしてコーヒー。
我々にも分けてくれた。こんなところで朝食にありつけるなんてとてもラッキーだったし、登山の活力になる。美味しかったなぁ!!
山を登り始めると噴火後何も手入れをしていないので、岩肌がゴロゴロ。道なき道を進むがビーチサンダルではどうにも足元がおぼつかない。
少し裸足になって歩いたがこれはこれで足が痛い。しかも牛の糞がたくさん落ちているので如何に踏まないよう歩くかが大変だ。
途中何度も山から下りて来る地元の人と出会うのだが、皆長い山刀を片手に大きなカゴ背負っている。荷物は肩で背負ってるのではなく額にかけている。相当首が強そうだ。
しかも結構なスピードで降りて来るから最初は驚いた。彼らに「頂上まであとどれくらい?」と声をかけるとどの場所で会っても「10分」と答える。
次の人も「10分」って言うかなと楽しみだったがやはり期待通りの誰もが「10分」だった。
一緒に登った山田夫妻は相変わらず子供を抱きかかえている。本当に「すごい!!」
相当な時間を費やしたがようやく頂上だ。少し寒い。定かではないが子供の一人が軽い凍傷になった記憶がある。
これから下りるのがまた一苦労だ。膝が悲鳴を上げている。真っ暗な道をふもとの村まで急いだが、牧田さん(通称ボラッチョマッキー)から借りたまさかの時のヘッドライトが役に立った。
結局登って下りてくるまで12時間以上かかった。途中出会ったアメリカ人と一緒だったが彼らが先に行ってバスを待たせてくれたおかげで8時の最終バスに乗ることができた。
「足が痛い!!」「足が痛い!!」「足が痛い!!」
ZENでは帰りが遅いので皆が心配して待っててくれた。特に靴を貸してもらったのに行かなかった竹ちゃんは俺がビーチサンダルで出かけたと聞いて困っていたようだ。
そしてまた、今夜もZENで一杯。