バックパッカー つれづれなるままに。旅日記

2018-12-30 16:48:13 | 日記

29日(火曜日)Weather-cooudy  Wind-W bft2 Air-10c Temp-41F  State of sea-Rough     第22話

 Drake Passage  Approaching Cape Hone 揺れがまだかなりあり少し船酔いが残る。

700730 early morning coffee   7:30~9:00 Breakfast  900 meeting

9301000 Leacure “The Pinnipedia” ヒレ脚類について(羽毛を含む)

10001030 海洋哺乳類の死にゆく生理学に関する議論

1100 Hot Bouillon served  及びデッキで通り過ぎた島々と海鳥を観る

1230 ランチ BuffetLidoにて。

15001530 “Deep Ecology” 保全における新しい概念についてのレクチャー

16001630 Tea & Cofee time in the Lido Lounge いつもの場所。

16301730 “Tierra del Fuego”についてのレクチャー 

18001900 “ Tierra del Fuego” BBC video documentary

1930 Dinner

21:30 Movie “The gods must be crazy”     23:00 Late night Snacks

午後 下船に備えてTC250㌦を両替(現金化)

ケープホーンを通過。予報は曇りだが晴れている。

 

210日(火曜日)Weather-cloudy Wind-w bft2 Air-12c Temp-52F 海はSmooth

 200 Beagle channelに入る。若き日のCharles Darwin1835年に世界を旅している時に通過したここの、氷河と雪をかぶった山々の余りの綺麗さに感嘆し、“The land of fire and ice” と呼んだ。

Beagleはその時の船の名前)

630700 early morning coffee   7:00 デッキにてその美しい光景を観賞

700900 Breakfast  8:30 Briefing “ROMANCHE” 氷河について

 9:00 ほんの少しだけ“ROMANCHE”フエゴ島に上陸。

  11:00 いつものHot Bouillon is served in the LIDO lounge.

  11:30~12:00  メインサロンで下船の注意事項等の説明

 1230 ランチ in the Marco Polo Restaurant.  Buffet in the LIDO

  15:30 World Discoverer このクルーズの果敢な探検ビデオ上映会

 16001700 いつものTea and Coffee time in the LIDO lounge

  18:45 メインサロンで船長招待のお別れカクテルパーティ

 1930 船長主催のお別れディナー

 2230 いつもの、Late night Snacks

*クルー達へのチップの説明書きがあり、一人に対して178㌦の目安とのことだ。

 封筒とボックスがフロントにあるので入れてくださいとのことだったがバックパッカーの俺にはかなり厳しい金額だね。

 

211日(水曜日)Weather-cloudy Wind-W,bft3 Air-11c Temp-52F(11) State of sea-Smooth

 早朝600 船は予定通りPunta Arenasに到着した。

131日に Puerto Williamsを出港してから1011日の旅だったが、この旅は誰もが行ける所ではないので非常に貴重なものだ。

だから、旅で出会った日本人たちは皆「しげきさん」と呼んでいたがこれからは必ず「南極帰りのしげきさん」と呼んでくれとしつこいほど言っていた。

この南極の旅はいろんな人との出会いもあったが、一番はIRISだろう。彼女の仕事はキャビンスチュワーデスで彼女とはブラジル(リオデジャネイロ)で再会したが、その後私がN.Yに帰ってからも私を訪ねて来てしばらくは一緒に住んでいた。母一人子一人で母親が日本人と付き合うのを嫌っていた。彼女はドイツに帰国してから、幾度となく手紙や電話のやりとりがあり、仕舞には自分の名前の後にYAMASHITAといつも書いてあり、理由を尋ねると「私はあなたと結婚するつもりだから」と云われて驚いたが、或る時、彼女からの手紙に週刊誌に載った壱岐の入り江が血の海の写真を同封してあり、日本人はイルカを殺して食べることやクジラのことも書かれてあり暗に私を批難して来た。返信には検索してもらった英文を間違いがないよう、読みやすいようにタイプ打ちにし、A445枚くらいだったと記憶しているが、まず、人種による批難なら「あなたはドイツ人だから“ナチ”と云っているのと同じだ」「イルカ漁は壱岐の漁師たちの網が破られて困っている、追い出してもまた入ってくるだから漁をしているのだ」「漁師の死活問題にあなたならどう対応するのだ?」「しかも我々はその命を無駄にはしない(どう無駄にしていないかも書いた)」「クジラの種類がどれくらいあるのかをあなたは知っていますか?」「それぞれの今の頭数を知っていますか?」

「鯨の食事どれくらいの量か知っていますか?」「我々が南極で見たクジラの骨の数々(それは島一杯のとてつもない量だった)、アメリカ人の捕鯨は油だけでしたが我々日本人は蛋白源とする食糧だけでなく髭に(伝統芸能に使用)に至るまで余すところなく利用している」「それぞれの国には食文化があり、欧米だけが正しいと考えているのは間違いだ」等々、を書いて送った。

随分と経ってからお詫びの返事が来て、まだ友達でいてくれますか?とのことに「勿論」と返信し、その後も何回かやり取りがあったがそれっきりになった。どうしていることやら。

アメリカ人の夫婦にも出会った。Arthur & Vivian WEBER アーサーはオレゴン大学出身の元空軍大尉でアメリカンフットボール部出身だったのですぐ意気投合した。ヴィヴィアンはスペイン語を話すバイリンガルだった。そして、日本人をオレゴン州に来てもらいホームステイを経験させるという仕事をしていた。ホストファミリー向けに日本人に対する注意事項が書いてあるのを見せて内容が変だと思ったら直してほしいと言ってきたのでとにかく預かることにしてシアトルに戻ってからexガールフレンドのリンダに説明して正しい英語に直してもらい後日届けた。たぶん当時日本で放送されていたドラマ、「オレゴンから愛」だったかの影響を受けていた日本人がたくさんいたのだろう。。因みにそのディレクターかプロデューサーは友人の松田だったような気がする。とにかく後にシアトルの友人宅に遊びに行った際、彼らの家に泊めてもらい、彼のワイナリーやワインを飲ませてもらったし、オレゴン一大きいという彼らの家のすぐ上にあるところも見学させてもらった。(あまりに小さかったのでこれがオレゴン一番大きい?と驚いたがね)。また、オレゴン州立大のフットボール部の練習も見学に行った思う出がある。オレゴンはいいところだ。

船では毎日サウナに入った。ある日鈴木さんが、サウナに行くと云って出たのにすぐ帰って来た。「どうしたの?」と聞くと若い女性(クルー達)が一杯入って来たので逃げてきたと聞いて笑ってしまった。私も遭遇したことがあったが彼女らはまったく気にしない。勿論素っ裸だ。

ともかくもそれなりにいろんな出来事があったが無事寄港した。楽しい日々だった。

111日にプンタアレナスに来たがその時泊まったのがここホテルロカ。そして、今日またホテル―ロカへやって来た。街をブラブラしてると絵を描く子と会った。面白いかわいい子だ。

1㌦=259ペソになった。ハガキを買い投函。

明日からまた、チリでの生活が始まり、次はどこだろう?



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