バックパッカー 1987年 想い出日記

2017-09-17 15:23:50 | 日記

10月31日(土曜日)      第17話

10時頃リマ着。途中で出会ったコロンビア人のオルガとジュリーの3人でまずは宿探し。

宿を決めて二人で280inti($4.8=¥670)、次は銀行(両替ができる所)が開いてないか探す。 

旧市街地セントロ(マヨール広場)は大統領府があるところだがあまり綺麗ではない。

そのすぐ近くにある日本食の「ダルマ」看板を見て入った。

泊まっている場所を話すと親父が途端に不機嫌になった。

決して悪い人ではない。むしろいい人なのだ。酒癖が悪い以外は。

つまり自分の経営しているペンション西海に泊まってないからだ。

わかりやすい親父だ。

(当時は若かったが酒のせいで老けて見えた)奥さんは確か日系人だったと記憶している。

 

11月1日(日曜日)

朝10時にダルマの前で親父と待ち合わせて、Jiron Tarataにあるペンション西海へ

宿泊料金5ドル 高い!!

因みに、だいたい食事が70inti($1.2=¥160) 

牧田、後藤両氏と再会。何故宿を変えたのかと云うとこれからの旅の情報を得るためだ。

しかし、行ってみてびっくり!!

部屋が汚いだけでなく、とんでもない危険地帯なのだ。

夜帰宅するとき、タクシーを拾うのだが、行き先を告げると料金を倍にすると言っても99.99%断られる

始末。

仕方なく、近くの場所を言ってスタートさせ、途中でもう少し先までとお願いするやり方もした。

タクシーを降りるとペンションの中に入るまでタクシーの運転手が見ていてくれることもあった。

とにかくどこに行ってもまずタクシードライバーにセントロまでと云うとすぐOK。

その先のヒロンタラタまで行ってもらうのは至難の業。セントロに着いてから交渉だった。

そうそう、ヒロンタラタには「泥棒市」があった。

家や街で盗られたものがあればそこに行けばあるというのだ。

片方だけのサンダルや靴もあった。(一人では行けない場所)

私の田舎では狐が民家に下りて来て、なんでも銜えて巣に戻るので、無くなるとよく山に探しに行ったりしたことを思い出したがキツネの方が安全だ。

夜はペンションで食事。

しかし、のちこの宿に変えたことを後悔する。

当時ペルー自体が不衛生。まずは水不足でトイレは詰まったまま。使用した紙は流せないのでゴミ箱へ。

その捨てたごみを浮浪者(乞食)が漁るため散らかし放題。

半端ない臭いだ。吐き気、吐き気、吐き気。

ダルマのトイレも詰まった上に用を足すものだからどうしょうもない。

キッチンの洗い物を手伝ったらここも水不足で食器などを洗った水を捨てないでそのまま、次のを洗うのだからたまらない、どうしようもない。これを見たらもうこの辺りでは食事はできない。

ある日の夜、ペンション西海で食事を皆で作った際、油が腐っておりそれで天婦羅を揚げたため一人を除いて食べた全員が下痢を起こした。

因みにその一人とは牧田さんです。「俺は腐ってると思ったからね」だってさ!?。「言わんかよ!!」

腐った油は胃腸には強烈だ!!!

せっかく調子を取り戻したのにここに来て再び下痢生活に戻った。

11月2日(月曜日)

午前中、教えてもらったサウナへ行く。腰痛気味なのでマッサージを受ける。

午後はオルガと街をブラブラ。

夜は「だるま」で食事。すき焼き、刺身、豚汁。 よくあんな所で食べたと思う。

大原氏と再会。

11月3日(火曜日)

「風呂屋」がやってなく、仕方なしにペンションでシャワー。

午後、日本人会館(日秘文化会館)へ観光に出かけた。

場所はヘスス・マリア区で確か日本大使館に近かったと記憶している。

この辺りは芝生にスプリンクラーが回り、青々している。水不足は何処へ!!

貧富の差はアリアリというところだろう。

ここには日本食レストランがあり、うどん25インティ($0.4=¥55)、饅頭一個5インティ

ペルー日本人移住資料館もあるが、外国人1㌦と書いてあったので、「えっ、どうしようか?」

「一応の歴史は知ってるしね」と、4人の意見が一致し、入らなかった。

その代わりミラフローレスにある天野芳太郎氏が私財をなげうって収集した「天野プレコロンビアン織物博物館」に行くことにした。ここは入場料無料。その代わりわずかでも寄付をお願いしますとのことで、我々貧乏なバックパッカーだけれど、それなりの気持ちを払うことにした。

(因みに移民資料館の10倍は出しました)

ここは見どころ満載です。すばらしい!!

11月4日(水曜日)

リマを出発してPISCO(ピスコ)へ。バス料金 71 inti($1.2=¥160)。牧田、後藤、オルガ同行。 

予定変更してナスカに向かった。バス料金 計135 inti($5.4=¥730)

ホテルナスカに宿泊。 

明日の地上絵見学の飛行機(セスナ)代は交渉の末、宿泊費込みで1250 inti($21.5=¥2900)。

観光飛行は午前中しか飛ばない。風のせいだという。見応えあるね。「圧巻」の一言だ。

操縦士は右に見える場合はまず右の人が見えるように飛び、旋回して左側の席にいる人が見えるように飛んでくれた。

飛行機に乗らなくても10メートルに満たない見張り台のようなものがありそこに登って一つくらいの絵が見える。地上を歩くとただの石ころの溝があるしかわからない。不思議だね。

因みに、紀元前200年~紀元後800年ごろ描かれたようだ。

地上絵の最大はペリカン(サギもしくはフラミンゴ)と推測された285mの絵

クモ‐46m、猿‐55m、シャチ‐65m、ハチドリ‐96m、コンドル‐135m、イグアナ‐180m

山形大学が2011年(2)、2013年(2)、2015年(24)と新たな地上絵を次々と発見したと発表した。

ナスカ以外の場所、ピスコでも地上絵を見たことがある。

一体いくつあるのだろう。

11月5日 木曜日

ナスカからピスコへ戻った。ここは貧乏人のガラパゴスと勝手に呼ばせてもらった島めぐりがある。

ガラパゴスはあまりに高く、これからの旅を考えるととても行けません。

だから200インティ($3.4=¥460)で行けるここを選んだのです。

ここも風の影響で午前中しか出ない島めぐりも、我々の時は波は結構荒く小さな船は小躍りしながら進む、アシカ(オットセイ)が船の周りをたくさん泳いでいし、

岩の上にはいろんな動物が所狭しと群がっている、ウム、まさにガラパゴスか!?

行った者に云わすと「トンでもない、比較にならない」と云われたがね。

ここで一泊 40インティ。亀料理を食べた。料理人が悪いのか「まずい!!」

11月6日(金曜日)~11月10日(火曜日)

再び、ペンション西海へ。取り立てて何もない西海での生活が始まる。

これからの旅の予定を一応立て、ボリビア大使館、ウルグアイ大使館、パラグアイ大使館

に出かけた。日本大使館はパスポートの余白が無くなったので増刷。160 inti($2.7=¥365)

大使館のある地域は富裕層が住む場所なので綺麗。日秘会館が近いのでそこで食事。

下痢がなかなか収まらないので大抵用が終わるとすぐ宿に帰った。

でもソカロで出会ったペルー人の女性は当時学生で10代。

とても親切で、気が利いており大使館巡りも難なく済ますことができた。

この女性はその後20年近く経ってから日本に出稼ぎに来て名古屋で再会したが「マサカ」の出来事だった。

Mikey Tourでクスコ行きのチケット1068.20 inti($18.4=¥2484)とマナウス(ブラジル)→カラカス(ヴェネズエラ)→N.Y

33942.77 inti($585.2=¥79.000)のチケット購入した。たぶんここが当時一番安かったのだろう。

$450とcheck160㌦両替。

リマからバスでクスコは安くて、ゆっくり登っていくので高山病になりにくいからいいと云う話もあったが、問題はゲリラが出没すると云われていたことだ。実際、バスで行った日本人はゲリラ遭遇したが、無事クスコ(cusco)にたどり着いた。