bohemio バックパッカー 日記 中南米編

2016-04-23 11:27:28 | 日記

イスラ・ムヘーレス                              第10話
さてさて、到着したらお決まりの一番仕事、宿探しです。
どこを聞いても15,000ペソ。ようやくに街はずれで見つけた。
HOTEL XUL-HA 1泊シャワー付き、7,000ペソ=5ドル=650円 やはり観光地は高い。
朝食後、疲れから4時ごろまでウトウト。
夕方、歩いて2,3分の所にあるビーチへ。眠気さましと体に「喝」を入れるために少し泳いだ。
この場所は観光客のエリヤから離れているので島の人間と犬以外見当たらない。
しかも彼らはわざわざ泳ぎに来ないので人影もまばらだ。
夕食近くなって、スイス人カップルと彼らのホテルで会う約束をしていたので、にぎやかなエリヤに
出かけた。他の2人のスイス人も加わって夕食。
彼らがフリードリンクの件でもめる。ヨーロッパ人は概してシビアである。
わずかでも、「マ、いいや」で済まさない。
ジュース類、その他のドリンクで5,000ペソは違うからだ。

8月6日
6時に目が覚めた。こんなに早く起きる必要性もなく、また、ウトウトして10時。
12時過ぎに原付を借りて突端まで行った。なんせ7キロしかないのであっと云う間だ。
 1時間2,000ペソ=1.4$=184円
因みに、8時~5時pm-10.000ペソ=7$=920円、 24時間-20,000ペソ。
帰宅してホテル近くのビーチで過ごす。
夕食を8時ごろ取った。昨夜と同じ界隈。大きなホテルは高いし、美味しいとは限らない。
7,000ペソ 昨夜と同じだ。

8月7日 カンクンへ。
チェトマルまでのバスチケットを買った。6,942ペソ=4.9$=639円
7,000ペソ出したがお釣りがないと言い張る。マタマタだ。
乗り合いタクシーで船着き場へ。
帰り(イスラ・ムへレス)の船でメキシコ在住の上条勝弘氏と出会う。
確か、メキシコ観光所属で観光案内人もやっていたように記憶している。
この時はイスラ・ムへレスで困っている日本人の観光客がいるので助けに行くんだと言っていて、
もし時間があるなら、ご一緒しませんかとのこと。時間はたっぷりあります。
すぐに見つかり、特に問題なし。
夕食はその3人の女性と取った。(中村さん、武村さん、若山さん)その後どこに住んでるのかな?
彼女たちが宿泊していた高そうなホテルだったか近くの店か忘れたが、「高い、まずい」のピザ。
 12,500ペソ=8.85$=1,150円 たぶん当時のニューヨークより高い。

8月8日  今日はチェトマル(Chetumal)へ出発する日だ。
いつもより早く目覚めて、朝食を取り、海へ行って泳いだ。
雨で誰もいない。 ビーチで近くに住む女性に声をかけられた。砂浜に腰を下ろし少し話をしたが、雨が強くなってきたので家に誘われて昼食、そしてお茶をごちそうになった。子供が3人の大きな家だ。
今日これからカンクンへ行きチェトマルに行くバスに乗る話をしたら「今日は少し時化てきたからカンクン行きの船は出ないだろう」とのこと。でも、心配はいらない、もう少ししたら観光船が着くから船長に頼んでカンクンまで乗せてってもらえるようにするからとのこと、彼女は旅行会社の経営者だったのだ。急いでホテルに戻り身支度をして再度彼女の家に行った。
未だ少し時化て折り心配していたが、船は予定通り入るとの連絡を受けたようで、桟橋に行こうと促され急いだ。船長に紹介され乗り込んだ。
大きな観光船なので一人ぐらいまったく問題はなかったが、タダ乗りなので乗客の皆さんには申し訳なかったが、私としてはラッキーこの上ないことだった。
船の中ではカンクンまでのちょっとした時間にゲームが始まった。
ショットグラスで酒を回し飲みしながら動作を間違えた人が何杯も飲む羽目になると云う単純なゲームだ。飲める日本人の女性も参加した。乗船していた女性は3人で確か幼稚園の先生だったように記憶している。1人はメキシコ在住だと言っていた記憶がある。
大竹さん(メキシコ在住)、小倉さん、黒川さん。 皆さん元気にしているのだろうか?
無事到着。船長にお礼を言って約束していた上条さんの家に向かった。
夕食にカレーライスをごちそうになった。「うまい!!」
上条さんの家には2人のメキシコ人の女性が下宿しており二人ともハンモック生活だ。
私はハンモックで寝たことがないので良さが今一つわからなかったが涼しいし結構いいらしい。
その後、アマゾンに行った時、ジャングルの中でハンモックに蚊帳を吊るして寝たことがあるが
確かに涼しいが何だか落ち着かなかった。
カンクン発が夜の12時、それまで上条さんの所でいろんな話をしながら過ごさせてもらった。
その時、イスラ・ムへ―レスで失くした腕時計の話をすると彼が腕時計をくれた。
この時計は付属の物を差し込むと音楽が聴けるようになっていたがそれを失くしたので
もういらないんだと云ってくれたのだ。
後に南米に行ってからエクアドールでも、ペルーでもボリビアでも至る所で現地の人(インディヘナ)から物々交換の交渉や現金を出してきて「いくらだ?」と聞かれた。
上条さんがバス停まで見送りに来てくれた。
上条さん何から何まで本当にありがとうございました。
是非とも再会したいと願っているのですがー。
チェトマル着 5時am → チェトマル発5時30分 → ベリーゼ着8時 → ベリーゼ発8時30分 → 
イグナス12時(日記にはイグナスと書いてあるがたぶん、サン・イグナシオSan Ignacioことだと思われる)→タクシーでグアテマラ国境へ。
 1時30分pm
ここからフローレス(Flores)へ向かったがバスはフローレスに着くまで延々と縦に横にとガタガタ道を走行し車体とともに自分の体も震わせながら6時pmに到着した。
何時間もあまりの振動の中にいたため降りてからも体がしばらく平常に戻らなかった。
サンタ・エレーナ(Santa Elena) 本日はここで宿泊。 
ホテル サンホセ Q(ケツアル)10.00=3.8$=500円 1$=2.6Q
8月10日 早朝起床し、San Joseホテルでコーヒータイム。(インスタント 60センタボス)
因みに、今でもそんなに変わらないと思いますが、そのころは特にいわゆる喫茶店に行ってもコーヒーカップにお湯を入れたのとインスタントコーヒーが出てきて自分で作るのが普通でした。
南米でも同じようなスタイルがあったような気がします。
早朝6時 チカル(Tikal )に遺跡に向かう。 7時30分着。
遺跡傍のレストランで朝食。 目玉焼きx2、豆料理、紅茶で2.8Q=約1$=130円
ビール1本 1.25Q (グアテマラ市内 85センタボス)
何故こんな早朝かと云うと「暑い!!」のです。
少しでも涼しい内から回りたいからなのですが、とにかく、マヤ最大の遺跡なので大変です。
グアテマラ北部にあり、現在わかっているのは16K㎡の空間に大小3,000余の建造物があるようです。
「生きるための水」を確保するために建造物をすべて漆喰にし、雨水すべてを貯水池に行くように
したがそのたため森が亡くなり滅びた。
現在わかっているのは6号神殿までだが4号神殿は約70mの高さだ。
その4号神殿からの眺めは最高で如何にこの遺跡が巨大かがわかります。
映画スターウォーズ第一作にこの場所が出ているようです。
1号神殿に一緒に登った当時学生だった太めのアメリカ人マーティンは頂上から降りる時、下を見た
途端あまりの傾斜と石段がすり減っているためにどうして下りていいかわからず茫然。
後ろ向きに、両手で石段にすがりつきながらやっとの思いで地上に着いたが、汗びっしょりで
2号神殿から、ここは大丈夫だからと何度誘っても絶対嫌だと登らなかった。
因みに現在は登れないようです。
しかも彼の体は美味しそうなのか蚊の大群に襲われ大変。
そこで持参していた蚊除けのスプレーを体全体にかけてやったら大喜びしていた。
私は蚊の情報は手に入れており前もってしっかり対策をしていたのだ。
しかしこの遺跡はジャングルの中なので歩くのも一苦労、現在はかなり解消されているようです。
3時半にホテルに戻った。サクラメント出身のマーティンの好意でシャワーを借りた。
とにかく汗だくなのでとても助かったのです。しかも彼は蚊除けスプレーのお礼と言ってネガフィルムを1つくれたのには驚いた。
/44/04/28dcdf848f7105725a8c01bd65c113ab.jpg" border="0">彼も元気でやってるかなぁ。
空港へ向かった。バスでグアテマラ市までは大変な道のりと聞いていたので避けた。
バスを利用した日本人に話を聞いたが悪路で、途中バスを何度も降ろされたり、歩かされたりと大変
だったようだが、面白いのは途中検問で乗りこんで来た婦人警官がバスの屋根に積んだ荷物を調べて
いたので見に行ったら何やらゴソゴソ、あとでチェックしたら日本製のコンドームが無くなっていた
と大笑い、しかし、せっかく日本からいいのを持ってきたのにとがっかりしていた。
飛行機の料金は Q98.28 =$37.8=4,915円
空港でチケットを失くして大慌て。青くなったが幸いにも現地の人が拾って届けてくれた。
グアテマラ市の空港ではタクシーの運転手たちが矢継ぎ早に声をかけて来る。
「ゴルド、ゴルド」「デブ、デブ」の意味ですが「痩せ」よりいいようですよ。
市内までのバスを探していると、小奇麗な身なりのお父さんが声をかけてきた、
「チノ?(中国人)」「ハポネス(日本人)です」「どこへ行くの?」「グアテマラ市内」
親切に前もって調べていたホテルまで送ってくれた。
Hotel Tranquilidad Q5.50=$2.1=275円 
のどがカラカラなので早速コーラを買ったが冷えていない。 75センタボ=37円
夕食 チャイニーズ、名前は確かKim Cha ビール3本、焼き飯、魚フライ、Q12=$4.6=¥600
普段ビールは1本で充分なのだがきっと余程のどが渇いていたんだろう。
明日は両替とこれからの予定を考えよう。


バックパッカー 中南米編 

2016-04-10 16:44:10 | 日記

8月1日 ビジャエルモサには早朝6時に着いた。           第9話
バスは暑い。町も暑い。とにかく暑い!!
このままパレンケ遺跡に行こうとしたがバスは無く、バスは午後の1時30分発。
バックパックを預かってくれるところを一通り捜したが見つからず、半端ない暑さに負けてバス停近くのジュース屋でお願いし、
取りあえずコーヒーショップで朝食。
オアハカに行く時プエルトエスコンディードで乗り合わせたスイス人のカップルとこんなところで再会した。
エアオンが効いているのでいろんな話をしながらどこにも行かずバスの時間まで居座った。
しかしバスは結局1時間遅れで、1時間暑さの中待機。ヤッパしか!? 2時30分に出発した。
こんなことは日常茶飯事で普通のこと。驚きに値しない。
パレンケ(PALENQUE)。ホテルミソルハ 2000ペソ=1.4ドル=約190円
非常にコンパクトな町、イヤ、村だが一応観光地なので店はある。
ある店では若いとてもきれいな女の娘が店番していたが、自分の綺麗さをかなり自覚しており、服装も小奇麗で日焼けしないように長袖を着、
顔を隠すようにベールをかぶっていた。「ヒナ(田舎)には稀な美女」とでもいうのかな。
日本人女性2人に会う。麻由子さんと千春さん
8月2日 パレンケ遺跡(AC300~900)見学(世界遺産)
この遺跡は世界的にも有名で中央アメリカのピラミッドはエジプトと違って墓がないという定説を覆した。
碑文神殿から発掘されたパカル王(?)の石棺は横2m、縦4mで、横に見るとロケットに乗って操縦桿を握っているように見えたためマヤ文明に宇宙人説が出た。
また、石棺の中にはヒスイのマスクを被った王が発見され話題となった。
しかし、メキシコ市にある国立人類学博物館に展示してあったがクリスマスイブに盗難に遭い「黒いサンタクロース」と呼ばれたらしい。
因みに犯人は捕まりヒスイの仮面は戻ったが今はレプリカの展示。
この神殿は、今は登れないようだ。
私が行った時は神殿の一番下の石棺の場所まで人がすれ違うには体がくっ付きあうほどの狭い石段を下りられたが、中はジメジメしており階段もヌルヌルだった。
きょうもかなり暑いが遺跡の中を歩けるだけ歩いた。
夜まで時間をつぶして汽車の駅へ。10時50分発
日本人の女性二人も駅にいた。
 電車来ず!? 待つ!! 待つ!! 待つ!! 待つ!! 待つ!! ひたすら待つ。
現在4時30分am 聞く人もいない。その後7時30分の張り紙あり。誰が? 何時?
張り紙したのだ。スイカを買ってきて待ち人みんなで分けて食べる。
6時ごろまで駅にいて、一緒に駅にいたアメリカ人と相談し、きっとこのまま駅にいても汽車は来ないだろうし、来ても出発はきっとその日の夜10時50分発だろうからと云うことになり、違う手段(バス)を選択しようと云うことになった。
彼女らに説明。一緒に行くと云うので通りを走っている車を見つけて交渉、メリダ行きが通るところまで乗せてもらった。
車代は忘れたが、スペイン語の上手な彼がたいした金額ではないと出してくれたのかもしれない。
早朝なのに異常に暑い!!
彼に「ここで大丈夫?」と聞くと「ちゃんと聞いたから大丈夫だ」と笑った。
ラティーノは結構いい加減だから心配なのだ。結局9時ごろまで待ってバスが来た。
ラッキーなことに座れた。 バス料金 1000ペソ=72セント=93円
メリダ(MERIDA)6時pm 着。 約9時間かかった。 
つまり前日の列車の駅から換算するとメリダまで20時間かかったことになる。 
女性2人も一緒に泊まると云うので、宿探し。
ホテル PAZ  一人3000ペソ=2.1ドル=約280円 シャワー付きだ。
順番にシャワータイムとなったが最後の俺の番になって途中で水が途切れる。
まっ、暑いからいいが回復するまで素っ裸で待機。やるせない!!
8月4日
彼女たちと別れて、取り合えず、洗濯(洗濯をしてくれるところを探すのだ)。12時30分に仕上がるとのこと。2000ペソ=約190円
その後、英国大使館を探したが、なかなか見つからない。聞く人聞く人違う道を教えるからだ。
熱くて、暑くて、死にそうだ!!
ベリーゼ(BELIZE)たぶん日本語では「ベリーズ」になっていると思うが、英国領となっているので通過ビザを取るためだ。
そのころはグアテマラと領有権争いをしており、グアテマラは自国領を主張していたがイギリスの力に押され実効支配をしていた。
(現在は独立している)
ベリーゼの魅力はマヤ遺跡やオーストラリアのグレイト・バリア・リーフに次ぐきれいなバリアリーフのカリブ海だが
私は通過を決めた。VISAは4時半ごろできるとのこと。
しかし、4時から5時ごろまで雷雨。街は水はけが悪く、道路を雨が川のように流れている。
ここからの遺跡巡りを止め、カンクン(CANCUN)に行くことにした。
しかし、チチェンイッツア(Chichen Itza)やウシュマル(Uxmal)に行かなかったことを後悔した。
100$us両替 1$=1412ペソ 前回より少し率がいい。

8月5日 カンクン着。
何時に出発して、何時に着いたのかシミで日記の判別ができない。
カンクンはアメリカ人のリゾートなのですべての物価が高い。
だからここからすぐにイスラムへ―レス島へ向買うことにした。
(Isla Mujeres)「女の島」と云う意味です。
南北に細長いこの島は全長およそ8㎞と小さい。
とにかく早朝で、すぐに船がないのでバスターミナルで4時間も過ごし、タクシーで船着き場まで。
タクシー料金は1500ペソ=140円くらいだ。
そこで、またまた、スイス人カップルに出合う。「女に島」には7時ごろ島に到着した。
逆算するとフェリーがだいたい45分~1時間くらい。カンクン出発がだいたい6時、バスターミナルの到着が1時amごろ。と云うことで、メリダの出発時間が深夜だったと予測される。


バックパッカー 想い出話 中南米編

2016-04-02 12:03:01 | 日記

オアハカ(Oaxaca)到着 7月28日5:30PM      第8話


「ふぅ~」息を思いっきり吸い込んでもう一度「ふぅ~~」
やっとの思いで到着。マイッタ、マイッタ、本当にマイッタ。
雨はすっかり上がっている。
毎回言いますがバックパッカーはこれからが大変なのです。
重いバックパックを担いでの宿探しが始まります。
基本条件「安い&綺麗」
あれこれ5、6軒回ってSAN JOSE HOTELに決めた。
シャワー別で3800ペソ=2.7ドル=354円
部屋に入るやいなやどっと倒れこみたかったが荷物を置いてすぐにシャワー。
体中がナメクジに這いまわされた感じでとにかく洗い流したかった。
疲れが徐々に緩和され、力が体中に張り巡らされた血管の一本一本に甦って来るのが感じられる。
生き返った。
この町はヨーロッパ人が多い。
気候も割といいし、国境も近くビザに困らないから住みやすいのだろう。
早速食事をと表に出たが、途中洗濯屋を見つけ値段を聞いて宿に引き返し、ジーンズ、靴下、Tシャツ、下着等を預けて再び夜の町に出た。
きょうはもう洗濯する力が残っていない。
少し高いが「まっ、いいっか」1㎏-2000ペソ=1.4ドル=182円
食事はコミダ・コリダと云うものでメキシカンチャーハンのような物。
2200ペソ+ビール1本600ペソ(約260円)=2800ペソ(約2ドル)
帰り道がわからなくなりアタフタ、探し回ってしまった。
かなり疲れていたんだなぁ。
7月29日 9時起床。
サント・ドミンゴ教会→オアハカ博物館→ファレスの家(メキシコ初のインディオ出身の大統領)。この家、昔はすごかったのか知れないが
長屋の中の一つであり全くの田舎家そのものだった。
午後1時洗濯物を取りに行く。ホテルに戻って、しばらく休息し、2時30分のバスでモンテ・アルバン(Monte Alban)遺跡へ。(1987年世界遺産登録)
遺跡全体の大きさは42K㎡
BC800年頃からAC800年続いたらしい。ティオティワカンの影響を受けており、昔は極彩色に彩られたピラミッドだったようだ。
因みに、メキシコのピラミッドはどれも極彩色に彩られたものだということです。
13のピラミッドが山頂にあり360度オアハカ盆地が展望できます。
気になる方はネットで検索してください。見どころ満載の遺跡です。

下痢がまた始まった。
何が原因かわからないが、美味いと思う食べ物にまだお目にかかっていない。
美味いと思うのはフルーツとビールのみ!!
本日は夕方まで果物一つとパイナップル一切れ飲み。モンテ・アルバン遺跡の片隅で食べたのみだ。
さすがにのどが渇いたが当時は遺跡周辺で何も売っていなかった。
何も食べない、飲まないでよく遺跡巡りに出かけたと我ながら感心する。
昨夜は正露丸5粒飲んで就寝。
7月30日 
10時30分頃 2等バスターミナルへ。
なかなかきれいなバスで9000ペソ(6.4ドル)
ミトラ(Mitla)遺跡へ向かう。1時間30分くらいかかった。
入場料700ペソ=約50セント=63円くらいかな
小さな遺跡だが幾何学模様のモザイクはすばらしい。
その後ヤグル(YAGUL)へ。
国道から1㎞ほど離れていたがバスが止まるのを忘れ変なところで降ろされたのでそこから近道をするため谷や畑を横断し道なき道を歩いたが「怪しい奴め!?」と番犬3匹に吠えまくられて追い払うのに膝と足首をひねってしまい、痛い足を引きずりながらようやくに舗装された道に出て、炎天下ひたすらなだらかな登りの道を歩いた。
ここもさほど大きくはない。見学者は10人もいない。入場料500ペソ=36セント=45円くらい
モンテ・アルバン遺跡、ミトラ遺跡、ヤグル遺跡も詳しく書きませんが、それなりに「すごい」ので気になる方は調べてみてください。
この辺りには有史以前の洞窟群(147あるらしい)の見学ができるかどうかわかりません。
暑さと下痢で脱水症状を起こしているが、気合で舗装された道をトボトボと国道まで下った。
バスはなかなか来ない。「暑い!! 暑い!! 暑い!!」しかし待つしかない。
ようやく来たバスはすし詰め。
でも、「俺は乗るぞ!!」昔、通学・通勤電車で鍛えられた俺ならできる。
Tuleの巨木へ
ここからオアハカに戻る道すじにトゥーレの巨木(Arbol del Tule)があるので寄ることにした。
しかし、途中土砂降りの雨になりすし詰め状態のバスは、半分は欧米人だったが誰も降りる者がなく、大声で「バハ(降りる)!!」「I get-off!!」と叫んで押し分け無理やり降りた。
しばらく木の下でシャワーを浴びた状態になりながら止むのを待った。
先ほどまで炎天下をひたすら歩き回ったので心地よく生き返ったようだ。
頭の先から足の先まで服を着たまま川に入った状態でずぶぬれを通り越している。
しばらくして雨が止み、靴の中の水を振り絞り、Tシャツも脱いで絞ったが、さすがにパンツはできないので我慢するしかないが次のバスに乗るころにはおおよそ乾いていた。
この杉科の巨木は樹齢1433年~1600年の間と言われているが定かではない。
幹周はおよそ30m、大人30人が手をつないでようやく取り囲むことができるくらいだが
これもはっきりしていない。いずれにしても日本の巨木、縄文杉(約16m)よりはるかに大きい。
ギネスに認定されているし、世界遺産にも登録されている。
とにかくこれが世界一太い樹木なんだとただ思った。
バスに乗り(100ペソ=9円)オアハカを目指したが途中でエンコし、違うバスを待ってセントロで下車。
また100ペソ払う。ここからビジャエルモサ(Villahermosa)までのチケットを買いに1等バスターミナルまで足を引きずりながら歩いたがかなり遠い。 
13,015ペソ=9.3ドル=1,210円。 窓口のオヤジが釣銭出さない。13,100ペソ出し85ペソのつりを待っていても出さないので「出せ」と強く言ったら50ペソ寄こしたが35ペソ今はないと言って出さない。
大した金額ではないが気分の問題だ。でも早く宿に帰りたいのであきらめた。
夕食、ビール2本付きで5,900ペソ=約4.2ドル=約550円
明日は夕刻、17時00分出発だ。