エクアドル入国 30年前の旅日記

2017-08-20 15:41:53 | 日記

Republica del Ecuador 入国 漢字では厄瓜多 (エクアドルは赤道の意味)   第16話

ガラパゴス諸島が有名

ここからまた、コレクティーボに乗り国境の町ツルカン(Tulcan)からバスターミナルまで150スクレ(ECS)

キトまで400スクレ=$1.6=¥208

インピアレスで5ドル、キトで20ドル両替した。

 現在はパナマ、エルサルバドルに次いでの米ドルを使用している。

私の時代は「スクレ」で1ドル=245スクレ 円が130円くらいだった。

(もう一度言いますが当時私はアメリカに住んでおり、当然ながらドル生活でしたのであくまでドル対円の換算です)

ここバスターミナルで首都キト(Quito)行きのバスに乗り換えだ。

超満員のバスは峠あたりで何かのトラブルで動かなくなった。満員にならないと出発しないので当然次のバスも超満員。

次に来バスも超満員、仕方なく次のを待つ。

兵士だという若い男が話しかけてきた。「チノ(中国人)?」「No ハポネス(日本人)だ」

「心配するな、次のバスには絶対俺が乗せてやる」次のバスも満員だったが彼はバックパックごと無理やり後ろから押し込んで乗せてくれた。超満員のバスは横揺れをしながらようやく、その昔インカ帝国第二の都市だった首都キトに到着した。町中に入り、途中バスの混雑もだいぶ解消されたころ物売りから、うまいからこれをしゃぶれとトウモロコシの枝を買ってくれた。この味は私が子供のころ田舎で味わった味だ。なんだか活力が少し湧いてきた。キトのバスターミナルに着くと彼は忙しく帰って行った。到着はかなり遅れて4時半ごろ着いた。

9時に国境だったので約7時間半かかってキトに着いたわけだが、彼のおかげでこの時間に着けたのはラッキーというしかない。

ここから彼のアドバイス通りタクシーでホテルへ。 160スクレ=0.6ドル=78円

さて、ホテルは「グランカジノ」

ここのホテルでビール‐100スクレ、茹で卵-20スクレ、食事-300スクレ、たばこ1本-10スクレ

とにかく疲れたのでこの日はすぐ寝た。

10月28日(水曜日)

観光しようと街に出たがデモでほとんどの店が閉まっている。

大統領府まで歩いて、写真を撮っていると兵隊がやって来て拘束され、隊長らしき男の所へ連れて行かれた。

「お前ここで何してる? パスポート見せろ」「写真撮っただろう」「撮ってませんよ」「カメラ見せろ」「撮ってませんよ」「よし、じゃあここで写真撮るな」「この辺りから出ろ」もう十分に写真は撮ったので即刻退散した。

旧市街地へ戻ると、街は騒然としていた。警察車両から市民に向けて容赦ない放水、赤ちゃんを抱いた女性にも容赦ない。加えて催涙ガス。仕方なくデパート(スーパー)に逃げ込むとすかさず店員がシャッターを下ろした。それでも中は少しガスが残っている。俺も含めてみんな目を真っ赤にして泣いている。

治まった頃合いを見て店員がシャッターを開けたら、まったく人通りがなく、雨は降ってくるしホテルに帰るしかない。

 ハーフチキンとコークで350スクレ=$1.4=¥182 両替20㌦ 1㌦=255スクレ

10月29日(木曜日)

赤道記念碑(La Mitad del Mundo)へ出かける。

バスでだいたい30分、バス代 行25スクレ、帰り35スクレ

バスを待っていると英国人のドクターと意気投合

記念碑辺りをブラブラ。正確な場所はかなりずれているが彼らエクアドル人は気にしない。

最近は正確な場所にはその印と博物館があるようです。

赤道直下では因みに釘の上に卵が立ちますよ。

そして赤道直下では水は直下に流れ、北半球では左周り(左巻きに渦)、南半球では右巻の渦ができます。

日記には「とにかく暑い」と書いてあります。

キトに戻り、郵便局でハガキを買っていたら突然の大雨。ずぶぬれのまま乾かす。

乾いたころに約束をしていた彼(イギリス人)と早い夕食を取った。

ホテルに戻り絵葉書を書く。日本まで50スクレ=$0.1=¥13。

夜6時にバスでペルーの首都リマに向けて出発。途中メキシコ人と一緒。

10月30日(金曜日)

国境に早朝6時半着。朝食後出国手続きを済ませた。のんびりした話だ。

ペルー人2人、メキシコ人、そして俺の4人でペルーの入国手続きに向かうがその途中会ったイギリス人の女性Julieが不安げに歩いている。話を聞くと彼女がエクアドルの出国手続きをしていないことが判明。

二人で戻った。

出国手続きを済ませてすぐイミグレ(移民局の通称)の前からバスに乗りリマへ。