僕ちゃんがいなくなって明日で2週間になります。
僕ちゃんがいなくなってから私の中の一部が失われた感覚で、
失ったのが一部だから生きてはいけるけど、喪失感はきっとずっと消えないんだろうと思います。
私の中で僕ちゃん前、僕ちゃん後って感じで確実に世界が変わってしまいました。
紀元前、紀元後みたいな、キリスト並みです。僕ちゃん。
家の中の、僕ちゃんがいつもいた場所に目をやってはそこにいない事がさみしくて泣いてばかりいます。
日差しのあたたかい日は窓際、
ソファの端に置いたカゴ、
夜は床暖房のついたラグの上、
洗面所には必ずついてきて水をねだり、
おかえりなさいのお出迎え。
夜寝る時はいつも枕元にいてくれたので、それが1番こたえる。
何も考えずにすぐ眠れるように、せっかく控えてたお酒に頼る事になって胃が痛くなっちまったりした。
キッチンの引き出しには、なんとか食べてくれないかと買い集めたおやつがわんさと詰め込まれていて、
見ると辛いので開ける事ができない。
仕事中も色々思い出してしまうと泣きそうになりますが、
奥歯をくいしばって耐えればちょっとあくびしたんかな?くらいの涙目にとどめる技を身につけました。
今はまだ、ああしていれば、こうしていれば、
僕ちゃんは今も生きていたんじゃないかって考えを捨てきれずに後悔ばかりしています。
夫と話し合って、僕ちゃんは返骨なしの火葬で意見が一致したので僕ちゃんの遺骨はありません。
魂があるのだとしたら、もう僕ちゃんの肉体にはなにも宿っていなかったけど、
火葬場で預けてその場を去る時、物理的に僕ちゃんとの距離が離れていく事に心が引き裂かれそうでした。
ちょうどいい箱がなくて、Amazonの段ボールで旅立った僕ちゃんでした。
写真になっちゃった僕ちゃん。
もう一度会いたいよー。
20代、30代と人生色々あったけど、どんな時も僕ちゃんがいてくれた。
これからは僕ちゃん無しで乗り越えなくてはいけないのね。
去年観たテレビの中で1番衝撃を受けたのは、クレイジージャーニーで紹介してた
インドネシアのとある島の儀式、マララ。
そこに住むトラジャ族のみなさんは先祖をミイラにして保管し、
マララは数年に一度お墓から出してきて衣装を変えてあげたり一緒に記念撮影をしたりする儀式の事。
抜けるような青空の下、カラフルなワンピースを着たミイラになったご先祖様と笑顔でたわむれて、
あまりにも死が明るいものである事に驚いたし感銘を受けた。
国が違えば死生観も色々なのは壇蜜さんの「死とエロスの旅」を読んで考える機会になったけど、
死んでからもあんなに大事にされてるってわかっていたら、死ぬのも怖くないかもと思ったり。
壇蜜さんは去年ペットとお祖母様との別れが続いた事が元となって体調を崩されてましたが、
元エンバーマーだったり書籍に書いてる事から、死について達観した考えを持っているのかと勝手に思っていた。
やっぱり別れは誰にとっても辛いものに変わりはないのね。
私はあの世の存在を信じていないけど、真実は誰にもわからない。
自分が死んだら僕ちゃんにまた会えるのだとしたらあの世の存在を信じてみたいなーと思いました。
マイク氏は私のセラピーキャット。
家の中のどこかしらから常に私を見ている重めの彼です。
この家に来て約10年毎日一緒だった僕ちゃんのいなくなった生活をどう思っているのか、
聞く事ができないので全然わかりません。
何もわかってないか、
あるいは全てわかっていたりして。
この3連休は夫不在で、家にこもっていると泣いてばかりなので映画を観に行く事にして出かけてみた。
ボーはおそれている
PERFECT DAYSと哀れなるものたちも非常に気になって悩んだけど、
ミッドサマーの次作であるこちらにしてみました。
ボーは不安が多い生活を送っていて、
ボーの不安が見せている世界なのか現実に起こってる事なのかひたすら曖昧で、
私の好きな感じのやつでした。
が、上映時間が3時間あってとても長いです…
そして内容的にも大変疲れるので、メンタル弱ってる今観るべきではなかったかも。
アリ・アスター監督のテーマは「家族という呪い」だそうですが、今はあんまり考えたくなかったな。
PERFECT DAYSにしておけばもっと前向きになれたかもと少し後悔しました。
ドヨーン
ボー、ひたすら可哀想でした。