しんごの部屋

出会いを大切にしたいと思います。私の言葉が、慰めとなり、心にいやしをもたらす、さわやかなHPとなるように願っています。

妻の話しを聞きながら

2010-02-04 00:22:52 | Weblog
今夜も、私は覚悟して妻のとめどとなく繰り返す同じ話を聞くことになります。
私は、なるべく、相槌を打ったりして、会話をするようにします。しかし、途中から、私に話しかけるのでなく、自分の内に湧いてくる気持ちや、過去の想い出を自分自身か、不特定な誰かに話すような状態になります。

そんな時は、私は黙って彼女が語るのを妨げないようにするように、最近は変えられてきました。時には、彼女の話し相手が救い主への祈りの言葉になることもあります。そんな時は、私は、注意深く彼女の祈りの言葉に耳を傾けます。祈りの中にこそ、彼女の本当の気持ちが表れているように思えるからです。

今夜は、私は彼女との係わりで、自分をほめてもいいと思っています。3時間以上、彼女に優しく接することが出来、彼女は「お父さん、私を慰めてくれてありがとう。」と何度も言って、そのまま安らかな眠りについて、今も眠っているからです。

私の慰めや励ましの言葉が彼女に通じて、彼女が喜ぶことがある。そんな時、私にも喜びがあります。しかし、彼女の喜びは、長くは続きません。自分の病気のことが彼女を不安にさせ、何も出来ないと感じてしまうことに、やりきれない思いを持ってしまうからでしょう。

彼女の気持ちはよく理解出来ている積りなのですが、「私なんか生きていても仕方がない。」とか、「私が死んだら、お父さんは喜ぶでしょうね。」とか、「ロープをどこにかけたら良いだろうか。」などと言い始めると、悲しみを通り越して腹立たしさが、私の心を支配してしまいます。そして、何度も失敗するのですが、その腹立たしさを抱えたまま、彼女と会話すると、必ずと言っていいほど、結果はますます悪くなっていきます。

明日は、どんな関係で妻と一日を過ごすことになるのか、私には予測か出来ません。うまくやろうと思っても、うまくやれるかどうか分かりません。神が助けてくださる、そこにしか私のよりどころはありませ。しかし、このよりどころがありますので、たとえ妻との関係が最悪の一日になることがあっても、なお絶望的にならないで、妻を見守り続けて行こう、という気持ちになれるのですから、なんと素晴らしいお方を私は力強い私の味方として持っていることか、と感謝せずにはおれません。

”私はあなたから離れず、あなたを捨てない。”と言ってくださるイエスキリストがいてくださいますから、私も妻に対して、自分の心の中で「私はあなたから離れず、あなたを決して捨てませんからね。」と言い続けることができます。

研究

2010-02-02 03:22:33 | Weblog
今、しんごの部屋のHPの新しいファイルを編集しています。
まだ、未公開ですが、近いうちに公開する予定です。
私の聖書解釈で、他の本などにはあまり書かれていない内容が
多くあります。

HPしんごの部屋のにアップしますので、開いてくだされば
うれしいのですが。

紙相撲

2010-01-25 00:10:51 | Weblog

 日曜日の教会学校で、今日は、紙相撲を作って遊びました。
子供たちが続けて教会学校に来るように先生たちは、
毎回苦労して準備しています。
子供たちが作る紙のお相撲さんを見ていて、
わたしが、小学生の5,6年の頃、熱中していたのを思い出しました。
最初は従兄に教えてもらって一緒に遊んでいたのですが、
そのうち、一人で遊んでいました。
さまざまな個性のある人形を、50体ばかり造り、力士の名前をつけ、
番付表も作って、という具合でした。
今は、こんな遊びに、わたしのように熱中するような子供はいないようです。
テレビゲームに熱中する子はたくさんいますが。
わたしは、自分で考え出した遊びで、けっこう楽しめる子供時代でした。
私たちの時代には、大した遊びの道具も無かったから、
同世代の子供たちは大体同じようなものだったのではないでしょうか。

それにしても、人がつまらないと思うことに夢中になるのは、
私の性質かも知れません。
ボールを3個使って、お手玉を何回続けられるか、とか、
1メートルほどの棒を指先で何分立てていられるかとか、
万年筆のキャップを机の上で回転させて、指で立てるのに、
何回続けて成功するかとか。
こま廻しの綱渡りとか、肩掛けなどのより高度のテクニックに挑戦するとか、
ビー玉を、どのくらいのとおい距離まで命中させられるか、
記録を書き込んで挑戦する、などなど、
つまらないことに時の経つのも忘れて楽しんでいました。
高校になっても、受験勉強の合間にそんなことに、まだ時間をかけていました。
わたしが、いつまでも、子供っぽいのは、今もなお、ややもすれば、
大切なことをなおざりにして、意味の無いようなことに夢中になってしまって、
貴重な時間を生かしていないからかもしれないと考えたりします。

ただ、言い訳かも知れませんが、
私はそういった無意味に思える様なことをしながら、
多くのことを考えることが出来たと思います。
遊びの中で、思索し、大切なことを発見してゆくという利点があります。
人と遊ぶことで、社会性は成長するように思いますが、
一人で遊ぶことで、考える頭脳が成長し、維持されるように思います。

遊びに人生のすべてをかけていたら、それこそ無為に人生の時を浪費してしまう
ことになりかねませんが、自分が趣味でする遊びは、つまらないものでも
大いに意味あることだと思います。飲む、打つ、買う、といった遊びは、
わが身と人を不幸にしかねませんから、避けるか、ほどほどに・・

 


しばらく休んでいましたが。

2010-01-14 03:33:32 | Weblog
もう、「あけましておめでとうございます!」の挨拶
でもありませんが、しばらく休んでいたこのブログを
再開することにしましたので、よろしくお願いします。
簡単なホームページも作成しました。一度覗いてみてください。

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≪入院します≫

2007-08-18 12:29:54 | Weblog
今年の3月に末梢神経からくる顔面麻痺になって、念のためにMRI撮影をしてもらったところ、頭に血種が見つかり、手術するか自然治癒に期待するかで、医師も判断しかねている様子でした。経過をみても、良くも悪くもならない状態なので、手術に踏み切ることにしました。

4、5年前に大腸ポリープ削除で入院して以来の入院です。今回は、アルツハイマーの妻を一人家に置いての入院なので、気がかりなのです。神の守りと助けを仰ぎつつ、入院します。

昔の出来事を①

2007-08-02 11:03:50 | Weblog
私は説教の準備をしているときに、過去の私の経験を例話として使うこともよくあります。しかし、自分の失敗などは、あまり深く考えないで使いますが、他人が関わっているような思い出は、その人が生きておられたり、かかわりのある人が聞いておられるかもしれないことを想定して、相当注意深く扱うようにしています。

そのような判断する力が失われたら困った問題が生じるでしょう。思い出しても、すぐに心の中だけにしまってことが、なんと多いことでしょう。再び、忘却の彼方に去って、二度と思い出さないこともたくさんあるに違いありません。記憶の神秘を考えさせられます。

引越しします。

2007-08-01 20:58:15 | Weblog
2001年4月にGAIAXという、無料のホームページサービスを利用して「しんごの部屋」を開設しました。そのごGooの簡単ホームページを利用しましたが、サービス停止とのことです。今後は、このブログで、日記などを書き続けてゆきたいと思います。

これまでのわたしのHPへのアクセス数は10万件を越えていますが、最近は管理し
更新していないので、訪問してくださる方には、失望させることになるかもしれませんが、こんごとも、長くお付き合いください。

よろしくおねがいします。

≪わたしが高慢な人は好きではないのは・・・≫

2006-06-05 00:26:04 | 
いつの頃からかはおぼえていません。

でも、謙虚な人には心をひかれるわたしです。

豊かな知性や、感性の感じられる人であっても

高慢な人だと感じたとたんに

わたしはその人が心貧しい人と見えてしまうのです。

控えめな人はそれだけで

豊かな人間性を宿している人と思えるのです。


最高に豊かな人間性を持ちながら

自らを誇ることなく

人々を黙々と愛し続けられた

神の御子のへりくだった心のすがた

それがわたしの憧れです。


わたしはわたしを好きになりたい

高慢な心が顔を出す時、

自分につばきを吐き掛けたいと思うほどに

わたし自身に幻滅するのです。

≪多く人に想われて生きてきたから≫

2006-04-17 01:44:34 | Weblog

ぼくは多く人に想われて生きてきたから

あなたのことを想っていますと 多くの人に言いたい

 あなたのために、なにかできることありますか?

 そんな心をもちながら

あなたのことを想っていますと 心をつくして言いたい

 

思いをつくして言いたい

あなたを愛していますと

 そして力をつくしてあなたを愛したい


桜花に想う

2006-04-09 23:15:11 | エッセイ

今日は大阪狭山市にの教会に出かけました。

桜が満開で車を走らせながら、改めて「日本は桜の国」と実感したことです。

雪洞の吊ってあるような場所は、あまりお花見をする気持ちにならないのは、

私が多少へそ曲がりのせいかもしれません。

 「美しいから見てください」と押し付けられると却って

「美しい!」と言いにくいものですね。

 

美しい女性の場合も同じことが言えるのではないでしょうか。

あまり控えめすぎるのも、卑屈な感じで嫌なのですが、

美しさをこれ見よがしに誇示されると、

かえって美しさが、奪われてしまうような気がします。

 

 桜花を美しいと想う日本人は多いのですから、

それぞれ見る人の美的感覚にゆだねておい良いのではないでしょうか。

 もちろん、名木を見守る人々や、とか桜並木を守る人々、

桜を愛する多くの人々によって、美しい桜の国であり続けています。

 

 これからも、多くの子ども達が、桜咲く校庭を見ながら、

希望にあふれて入学式を迎えることでしょう。

もし、校庭の桜に雪洞がつるされていたとしたら、

おそらく、子ども達の喜びは半減するのではないでしょうか。