2016年3月1日(火) 午後5時20分
入院中の病院にて急死いたしました
10歳2ヶ月と23日でした
生前、れんを可愛がって下さった方々
れんの目の病気が発覚した際
ご心配してくださった方々
本当に有難う御座いました
れんに代わってお礼を言わせて下さい
れんは若年性白内障という病気でわずか1歳で全盲になりました
病気が発覚してからは
他のワン’sとは少し違う生活をし
寝る時は私と2階へ上がり一緒のお布団で眠る子でした
まさに寝食を共にする子だった
れんの目が見えなくなると分かってから
私がこの子の目になればいいと覚悟を決めてお世話をしてきたつもりでした
でも最後は
私の身勝手で謝った考えから命を落とすことになってしまいました
私が殺してしまったようなものです
主治医の先生も私を気遣って下さってハッキリとは言いませんでしたが
れんの嘔吐が始まりすぐに病院へ行っていれば確実に助かった命だったと
確信し後悔でいっぱいです
最初は深夜の嘔吐でした
翌日は木曜日で主治医の病院が休診だったため
甘い考えから様子を見てしまった
嘔吐の後もお水を与えてしまった
それもダメだった
血便が出てこれはダメだと急いで病院へ行くと
急性膵炎だった
もともと心臓に雑音があった事も災いし
入院2日後に急変し心不全で逝ってしまった
後悔しかない
ごめんなさいって何度謝っても
もうあの可愛いれんは戻って来ない
私のせいだ・・・
私は犬を飼う資格がない
犬だけでなく命を預かる資格はないと確信した
ごめんなさい・・・れんじ
ご無沙汰しております
いつもお優しいお言葉有難う御座います
あっちの世界で元気にやってるかな・・・
そうだといいな・・・
亡くなった数日後
いつも行く公園で
ママ僕目が見えるようになったんだぜ
すごいでしょ?っていうように
走り回ってる
楽しそうなれんの夢を見ました
そうだといいな
れんじ君、まるで見えてるかのような表情です。
何の不安も無い愛情の中で生きていたからだと思います。
ボス母さんと暮らした子は、湿っぽいことなくハツラツと
あっちの世界でもたくましく暮らしていそうな気がします。
温かいお言葉を頂き本当に有難う御座います
ちびすけさんが冷たいのではなくて
仰る通り「共に生きる」「命に寄り添う」という認識が
私には欠けているように思います
命には必ず別れがあること
頭では理解していても覚悟や認識が甘かったと・・・
ボスが亡くなった時からいつかはまた
こんな日が来ることを覚悟していたつもりでした
でもまさか自分のせいで逝かせてしまうなんて・・・
私のような人は命を預かる事はしない方がいいんだな
っと思いました
幸せだったのかなあ・・・
後悔ばかりで
どんな亡くなり方をしてもそうだとも思います
でも私は・・
ボスにさえ今でも「ありがとう」と心から言えなくて
どうして・・・ばかりです
ただボスが教えてくれた
時間が経つしかどうにもならないこと
そしてさみしさや痛みは消えることがないってこと
まだまだ生きれたのに・・・悔しい
どんなに一生懸命お世話してきて
可愛がっても最後のたった一つの過ちで
すべてが台無しになってしまった
そんな気がします・・
私はあなたがボス君の最後を必死で支えておられる様子を読ませていただいていて、その愛情の強さと責任感の強さに感心しきりでした。
私も犬と猫を子どものころから何匹も飼ってきましたが、私は冷たいのか『共に生きる』あるいは『命に寄り添う』ものと思っています。その他にもインコやモルモット等々沢山見送りました。
ボス君もれんじ君も、あなたの家の子として暮らしてとても幸せな生涯だったのではないでしょうか?
最後に関して悔いがあるにしても、悔いのない人なんてどれだけいるでしょうか?
きっとみんな幸せだったとおもいます。そして他の子達も。
どうかどうかあまりご自分を責めないで。わんちゃんと過ごす今を大切に、今の幸せを楽しんでください。
動物の命は短く、彼らと生きると言うことは沢山の別れも受け入れないといけないので…。
春の訪れと共に笑顔になられますように。
ボス君もれんじ君もお母さんが楽しく暮らしてくれることを願ってますよ!