4月18日がれんじの四十九日でした
もう私のそばには、いないのかなあ・・・
れんが亡くなってからも
寝室に戻るとれんの匂いと気配がずっとあった
毎日、一緒に寝てたから寝室に入ると
もういない現実に耐えられなくて悲しくて辛い
れんが亡くなってもずっと散歩の時とごはんの時と寝る時は
声をかけてる
いつもの公園で夜、散歩に行ったら
なんとなくれんがいる気がした・・・その日の夜夢に見た
走り回るれんじ
全力で走ってて笑った
それで「目、見えるんだぜ」って言ってた
そうだね
れんは本当は走るの大好きだったし足が速かったんだ
目が見えなくなって怖くなって走らなくなって・・・我慢ばっかりで辛かったね
れんは生まれた時から一人だけ
まるっとしてぷくぷくとしてフレブルらしいイケメンだった
飼い主バカで3割増しだとしてもイケメンのやんちゃ小僧だった
全私が絶賛したイケメン長男
目が開いたのも
よちよち歩き出したのも
そしていたずらも1番早かった
れんを誰かにあげるのが嫌だった
可愛くてカッコ良くてずば抜けて賢かったんだ
愛するボスの白い子版でスリーサイズも体重も全部一緒だった
似てなかったのは皮膚が強くて体も丈夫な事だったのに・・・
一度パパのお義母さんのところに譲ったけど
1週間ぶりに見に行ったら皮膚がボコボコになっててハムとかソーセージあげてるって聞いて
すぐに引き取ったんだった・・・
あのままお義母さんちで過ごしていた方が良かったのかもな・・・
やっぱ私は自分勝手のクズだな・・
可愛かった・・・本当にすべて可愛くて
毎晩、眠るときは「毎日れんは可愛いね!生まれた時から可愛いよ」って言ってたっけ
そうするとちょっと長いしっぽをぷいぷい振って
「知ってるよお」っていつもお返事してくれてた
「かわいこさんは誰ですかあ~?」「は~い!れんちゃんで~す!」っていう
小芝居をうざすぎるくらいやっててごめんな
ぼーが亡くなった時は
誰よりも近くで鬱陶しいくらい嘆き悲しむ姿を見せてしまった・・・
本当にすまんかった・・・
心の底から申し訳なかったと反省し後悔している
最後の方はもう面倒になって放置しててくれたね。ありがとね
それ正解だったから
そして今れんが逝ってしまって
ぼーの時のように鬱陶しくなっているんだけども
ぼーの時で学んだから
大声で泣き叫んでもどんなに辛くてもどんなに悲しくても
誰も助けてくれないし誰も助けられないんだよね・・・
ただ時間が過ぎるのを待つだけ・・・
悲しみが無くなることはなく薄らぐこともなく
心が慣れていくのを待つしかないってさ学んだなあ
今回は誰にも泣いてるとこまだ見せてない・・・と思う
そしてれんが亡くなってから要所要所で「気にすんな」って
伝えてくれてありがと
メッセージ伝わってるよ
一生涯この後悔は無くならないけど
これも私の学びなんだと思うことにしてる・・・本当は夢であって欲しいけど
生まれてからずっと毎年楽しみにしてた桜
今年は一緒に見れなかった
本当に信じられないよ・・・こんな事になってしまうなんて・・・
宝物がどんどん無くなっていくよ・・・
仕方のないことなんだけれども・・・
自分のゴミ屑さ加減に嫌気がする
無くなってしまえばいいとさえ思う
つか世界なんか滅びてしまえとさえ思う
でもこんな事考えてるうちは、ぼーもれんも笑ってくれないな
私の人生のピークは終わった・・・
犬まみれは本当に楽しかった
素晴らしかった
もうすぐ犬まみれの日々も終わろうとしているのかな