NOBUの独り言日記

暇にまかせて、つまらないことを呟いています。

病院にて

2024-12-14 14:00:31 | 日記

体調が悪くなって、癌の手術以来定期健診を受けている総合病院に行った。

 

定期検診はいつも午後だったが、予約のない受診は午前中に受付をしなければならない。病院の駐車場に着いたのは、10時ちょっと過ぎ。病棟に近い駐車場は1台も空きがなく、警備員の指示に従い向かったのは、病棟から一番離れた駐車場。従来の駐車場では足りず増設された部分だが、ここも満車のようで、入り口には車が列をなしている。警備員が空きを確認しながら1台ずつ呼び込んでいるが、なかなか前に進まない。受付は11時までなので、間に合うだろうかと気があせる。

 

なんとか時間までに受付を済ませ、診察室に向かうと、広い廊下に人が溢れ、お祭りのようだ。指定された診察室の前で待っていると、看護師さんから血液と尿検査を指示された。出がけにトイレに行ってしまったので、血液検査を先に受けることにしたが、血液採取を行う部屋も人で溢れている。順番待ち用のイスは満席で、立ったまま待っている人も多い。午後であれば、血液採取のブースは3~4つ利用しているのが通常だが、今日はすべてのブースを使って患者を捌いている。子供連れもいれば若いカップルもいる。当然年寄りも多く、中には車椅子に乗って家族に押してもらっている人も1人や2人ではない。

 

どうしてこんなに病人が多いのか。やっと空いた順番待ち用のイスに座って、その様子を眺めながら、自分もその中の一人だと気づき茫然とした。「生老病死」とはよく言ったもの、私もいつか、あのように車椅子に乗って、折れそうに細い腕を差し出すようになるのであろうか。この歳になれば、いつ死んでもかまわないとは思っているものの、苦痛の中で死ぬことは避けたい。しかし、老人にとって身体機能の低下は避けられないし、認知症といった問題もある。安逸な余生を願っていても、思い通りにはならないことがほとんどなのだ。すべてを受け入れる覚悟こそ必要なのかも知れない。そんなことを考えているうちに、自分の受付番号が呼ばれ、採血が終わった。

 

その後、採尿も行い、再度診察室の前で待ち、実際に診察を受けたのは12時過ぎ。抗生物質を処方され、近くの調剤薬局で薬を受け取ったのは午後1時であった。診察を受け、薬をもらい、幾分体調も良くなったように思ったのは当日だけ。本日もすっきりしない体調が続いている。

 




 


盆栽の実が・・・

2024-10-28 15:22:50 | 日記

玄関前に置いてある「カマツカ」の盆栽。毎年今の時期は赤い実を付け、楽しみにしていたのだが、今年はちょっとした異変が。

今月の半ばには多数の赤い実を付けていたはずが、次第に少なくなり、下旬にはほとんど無くなってしまったのだ。熟れて落ちたとか、風で落ちたのであれば、周りに実が何個か落ちているはずであるが、周りには全く見当たらない。

いろいろ考えてみたのだが、どうやら小鳥が実を食べてしまったらしい。玄関前の小さい盆栽の実まで食べるのだろうかとは思ったが、何日か前に盆栽の近くに鳥のフンが落ちていることがあった。その時には、なんでこんなところに鳥のフンがと思っただけで、まさか「カマツカ」の実を食べにきていたとは思わなかった。

今年は小鳥の餌になるものが少なかったのか、あるいは盆栽の実のおいしさに小鳥が気づいてしまったのか。いずれにしても、少々残念ではあるが、「カマツカ」の実が小鳥の生きていく役に立ったと思えば、それはそれで良かったのかも知れない。

10月中旬




10月下旬








いつか終わる

2024-09-14 14:49:45 | 日記

小川洋子の小説には、不思議な優しさがある。

 

「博士の愛した数式」「ブラフマンの埋葬」「ミーナの行進」「猫を抱いて象と泳ぐ」等、読んだ後に残るのは、作者の限りない優しさだ。

 

もちろん、小説家などという者が、優しさだけで本を書ける訳がない。人の心の中には、得体の知れない闇があり、人知れず育ててしまった妄想やコンプレックスもある。そうしたものも意識しなければ、小説などは書けないであろう。

 

そう言った意味では、彼女の初期作品である「揚羽蝶が壊れる時」などは尖った作品だが、小川洋子の作品は基本的に優しい。なぜそれ程優しくなれるのか。優しくなるためには、本人がよっぽど強くなくてはならないと思うのだが。

 

ところで、彼女のエッセイ集「遠慮深いうたた寝」の中の「いつか終わる」という作品に次のような文章がある。

 

「世の中の、すべてのことはいつか終わる。恋人との楽しいデートも、夫婦喧嘩も、つまらない仕事も、病気の苦しみも、本人の努力とはまた別のところで、何ものかの差配により、終わりの時が告げられる。だから、別に怖がる必要などないのだ。どっしり構えておけばいい。終わりが来るのに最も適した時を、示してくれる何ものかが、この世には存在している。その人に任せておこう。そう思えば、いつか必ず尽きる寿命も、多少は余裕を持って受け入れられる気がする。」

 

この言葉に、妙に納得しているこの頃である。