小川洋子の小説には、不思議な優しさがある。
「博士の愛した数式」「ブラフマンの埋葬」「ミーナの行進」「猫を抱いて象と泳ぐ」等、読んだ後に残るのは、作者の限りない優しさだ。
もちろん、小説家などという者が、優しさだけで本を書ける訳がない。人の心の中には、得体の知れない闇があり、人知れず育ててしまった妄想やコンプレックスもある。そうしたものも意識しなければ、小説などは書けないであろう。
そう言った意味では、彼女の初期作品である「揚羽蝶が壊れる時」などは尖った作品だが、小川洋子の作品は基本的に優しい。なぜそれ程優しくなれるのか。優しくなるためには、本人がよっぽど強くなくてはならないと思うのだが。
ところで、彼女のエッセイ集「遠慮深いうたた寝」の中の「いつか終わる」という作品に次のような文章がある。
「世の中の、すべてのことはいつか終わる。恋人との楽しいデートも、夫婦喧嘩も、つまらない仕事も、病気の苦しみも、本人の努力とはまた別のところで、何ものかの差配により、終わりの時が告げられる。だから、別に怖がる必要などないのだ。どっしり構えておけばいい。終わりが来るのに最も適した時を、示してくれる何ものかが、この世には存在している。その人に任せておこう。そう思えば、いつか必ず尽きる寿命も、多少は余裕を持って受け入れられる気がする。」
この言葉に、妙に納得しているこの頃である。